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黃信維

早大野球部の黃鼎仁 史上2人目の台湾出身選手が語る

早稲田大学野球部史上2人目の台湾出身選手、黄鼎仁選手。(撮影:黄信維)

早稲田大学の野球部は数多くのプロ野球選手を輩出し、現在も台湾人選手が在籍している。4年生の黄鼎仁選手は、早稲田大学野球部2人目の台湾人選手で、前任者は映画「KANO」の主人公、呉明捷氏に続く。2日、安部学生寮で風傳の単独インタビューに応じ、将来の医学進学について「より専門的な知識を身につけ、社会に貢献したい」と語った。


早稲田大学野球部の台湾人右腕

台湾・新竹市出身の黄選手は現在、早稲田大学に在籍し、東京六大学野球リーグに出場。右投手の黄選手は国際教養学部に所属し、全ての授業を英語で受講。中国語、日本語、英語の3カ国語を操る。2024年9月、リーグ戦で初登板を果たし、1イニングを無失点に抑え、日本の大学野球での夢を実現。野球以外にも、将来は台湾に戻って医学を学ぶ計画を持ち、医学への強い関心を示している。


プロ野球選手の登竜門、学業との両立を語る

早稲田野球部はプロ野球選手の育成で知られ、東京六大学野球リーグは日本のプロ野球界の重要な人材供給源とされている。和田毅、大竹耕太郎、今年引退の青木宣親、小島和哉、早川隆久など多くの著名選手を輩出。今年のプロ野球ドラフトでも山縣秀、吉納翼が指名された。通常、早稲田野球部には200名以上の選手が所属し、2019年から就任している小宮山悟監督の下、1軍から3軍まで分かれている。スタッフやサポート要員を含めると非常に大きな組織となっている。2024年春季リーグでは優勝を果たし、現在は秋季リーグでも優勝を争っている。


黄選手はインタビューで4年間の経験を語り、厳しい練習と学業の両立について共有した。「野球部の練習は非常にハードで、練習だけでなく、ストレッチ、食事管理、十分な睡眠など、すべてをコントロールしなければベストコンディションを維持できない」と説明。しかし、黄選手は時間管理を重視し、練習時は練習に、それ以外の時間は他の事に集中することで、バランスを取ってきたという。


黄選手は「目の前のことに集中することが大切。課題で行き詰まった時は、気分転換して別のことをする」と語る。この切り替えの方法で、問題に新たな視点で向き合い、解決策を見つけやすくなるという。また、体調管理についても「眠い時は眠り、食べたい時は食べる。無理はしない」と述べ、「そうすることで野球と学業のバランスが取れる」と説明している。

黄鼎仁選手が風傳メディアのインタビューで、4年間の野球部生活と学業の両立について語る。(撮影:黄信維)

大学リーグ戦4年目で初登板、「通知を受けた時は半信半疑」

9月14日に開幕した東京六大学リーグ戦で、早稲田大学は東京大学に20-0で大勝。台湾出身の4年生右腕・黄選手は、早稲田大学の3番目の救援投手として登板し、1イニングを投げ、安打1本を許すも無失点で大学4年目にして東京六大学野球リーグ初登板を果たした。「マウンドに立った時は、試合のことだけに集中していた」と振り返る。監督から試合2日前に登板を告げられ、早めの通知だったが、半信半疑だったという。


4年間待った初登板の緊張と興奮を語り、この機会の重要性を強調。登板時の心境を振り返り、良い投球をしたいという思いと、リラックスした状態を保つことのバランスを意識したという。「4年間練習してきたから、もちろん良い投球をしたかった。でも実際はかなりリラックスしていた」。この重要な経験は将来の人生にプラスの影響を与えると考え、「結果に関係なく、ここまで来られたことが大切」と強調している。


黄選手は笑顔で「これまでこのような機会はなく、初めての本当の登板。試合当日になってようやく実感が湧いた」と語った。名門校の野球部に加入した動機や、経験した訓練・管理システムについても言及。早稲田は伝統校として非常に整備された体系的な練習方法を持ち、高校時代との大きな違いを感じたという。訓練システムは非常に厳格で、毎日の練習計画が事前に決められ、専門の学生コーチが担当している。


大学野球部の階層管理、4年生は年末に引退

黄選手は説明を続け、野球部には元々選手だった人が訓練補助やスタッフとして残るケースもあると語る。北嶋晴輝マネージャーのように、元選手が各種練習の手配や訓練補助を担当している。チームは選手が多いため、1軍、2軍、3軍に分かれており、各レベルで訓練と試合の予定が異なる。1軍は主にリーグ戦に出場し、2軍は上級生と下級生に分かれる。上級生の2軍は公式戦がなく、下級生の2軍は新人戦、夏季・秋季リーグ戦に参加する。


上級生の2軍は主に練習が中心で、時々紅白戦に参加する。3軍は主に技術向上に重点を置いている。早稲田を選んだ理由や、学業と野球の両立について触れ、有名な野球部の存在が大きな魅力だったと述べる。全て英語で授業を行う国際教養学部での学業との両立について、その対処法を共有した。


黄選手は4年生となり、11月か12月の試合終了後に野球部を退部する予定だと明かした。これは4年生の伝統的な流れで、通常はリーグ最終週の早慶戦後に引退するが、勝利した場合は全国大会まで継続するという。将来の学術的方向性について、具体的な詳細はまだ固まっていないが、初期的な考えはあるという。引退後に準備を始め、来年か再来年に台湾の大学を受験する計画で、学術方向に進む予定。学士後医科の受験を考えており、理論的には一旦台湾に戻り、適切な学科を選択する方向だという。


日台の文化の違い、日本の「先輩後輩制」はより厳格

インタビューで黄選手は、高校野球時代と早稲田の練習文化の違い、日本の野球環境での特別な経験について語った。早稲田野球部の組織文化は厳格で階層制度を重視し、先輩後輩間の伝統が顕著だという。日本の野球文化では、後輩が当然のように多くの仕事を担当し、グラウンド整備や荷物運びなどを行う。4年生になってようやくこれらの仕事から解放されるが、誰もがこの道を歩んできたという。野球部の後輩の責任について詳しく説明し、試合時の荷物運び、統一的な水筒の洗浄、プロテイン飲料の準備などを挙げた。また、日本に来て2年生だったため、自身は後輩の仕事をそれほど長くせずに3年生になれたと笑顔で語った。


黄選手はまた、日本の野球文化が挨拶の礼儀を非常に重視していると指摘。後輩たちはリーグ戦期間中、正式な制服を着用し、特製の帽子をかぶり、チームの規範を厳守する。後輩たちは背筋をピンと伸ばし、荷物運びを手伝う。早稲田の野球練習について語る中で、チームメイトの優秀な選手との練習を称賛し、多くの実力のある仲間との出会いについても触れた。「彼らは本当に素晴らしい。普段の技術的なパフォーマンスが非常に優れていて、動きが流暢で美しい。このような選手たちと一緒に練習できることは貴重な経験だ」と語った。


コロナ禍で実際の日本滞在は2年強、医学への道を視野に

早稲田大学野球部での4年間の生活を終えようとする黄選手は、日本で野球を学ぶことを計画している若い選手たちへ貴重なアドバイスを提供した。まず言語の重要性を強調しつつ、新しく来る選手たちに言葉が通じないことを過度に心配しないよう励ました。「最初は言葉が通じなくても大丈夫。最終的な目標は他の人と良い友達になること」と指摘。言語は重要だが、より重要なのは他者とのつながりや友情を築くことだという。「時には簡単な単語しか知らなくても、人を笑顔にすることができ、それで距離を縮めることができる」と述べた。


さらに、異なる文化背景を持つことは、それ自体が特徴になると考えている。「日本人は異文化の人々に興味を持つことが多く、それが良い話題になる」と黄選手は説明する。日本に来たばかりの頃を振り返り、チームメイトたちが台湾に対して強い好奇心を持っていたことを回想。「みんなが台湾のことを聞いてきたり、中国語を教えてほしいと頼んできたりして、そこから会話が広がり、友情を築くことができた」という。日本で野球を学ぶことは技術の向上だけでなく、異文化交流の楽しさも体験できる。このような経験は将来にプラスの影響を与えると考えている。


最後に、黄選手は日本留学の経験を振り返り、将来の計画を共有した。2020年に入学したが、コロナ禍の影響で1年目は台湾からリモート学習を余儀なくされ、実際に日本に来たのは2022年3月だったという。そのため、実際の日本滞在期間は2年強に過ぎない。しかし、この短い期間でも非常に意義深い経験となった。卒業後に台湾に戻ることを選んだのは、より専門的なスキルを身につけ、将来社会に貢献したいという思いからだと率直に語った。「非常に専門的な分野をもう一つ学びたい。そうすることで、自分の能力で社会に貢献できる」と将来への展望を示した。


編集:佐野華美


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