映画『黒の牛』は禅宗の『十牛図』にインスピレーションを得た物語で、19世紀明治時代の日本の農村における人と黒牛の共生、農作業を通じて自然との繋がりを再構築する物語を描く。台湾映画の主演男優アカデミー賞と言える、金馬奨受賞の李康生が主演を務め、本作は東京国際映画坊「アジアの未来」部門にも選出された。試写後、李康生は笑顔で「とても嬉しい。また素晴らしい映画を撮ることができた」と語り、「浪人や原始人を演じるのが似合っていると思う」と冗談を交えて話した。
本作は昨年11月3日の公開前に舞台挨拶を行い、公開後には上映後トークショーも開催され、観客からの質問も受け付けた。公開前のイベントには、蔦哲一朗監督、主演の李康生と須森隆文、著名ダンサーの武井慧が出席。本作の音楽は故・坂本龍一が手掛けた。李康生は「今回は特別な経験だった。東京の映画祭に参加し、日本映画の主演を務めたから」と述べ、「完成した映画はまだ見ていないので、今日は観客の皆さんと一緒に観る」と語った。
武井慧は「映画出演は初めての経験で、監督と素晴らしいスタッフに囲まれ、素晴らしい体験ができた」と話した。須森隆文は「8年前に試写版に参加して以来。映画が無事完成し、このような大きなスクリーンで上映されることに感慨深い」と述べた。
李康生の言葉を受け、蔦哲一朗監督は「観客の皆さんは幸運だ。今日は李康生さんと近い距離で映画を観られる」と述べ、会場は笑いに包まれた。また「この映画は8年かけて制作され、国際共同製作に依存し、台湾の友人からも協力を得た」と語った。
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本作は蔦監督の故郷である徳島県三好市西部を舞台に、かつて徳島と香川地域に存在した農家間での耕作牛の貸し借り、いわゆる「借耕牛」の伝統を描く。作中には「ふくよ」という名の牛も出演する。蔦哲一朗監督は「この映画は人間だけでなく、牛を欠かせない登場人物として描いている。牛の演技と背景の自然風景も作品の重要な要素で、観客には五感で味わってほしい」と語った。
李康生は「皆さん苦労して完成させた作品で、その成果を見られて嬉しい」と述べ、「撮影のため2度来日し、新型コロナの影響で隔離された時期もあったが、監督の後編集が素晴らしい」と話した。
李康生はまた、監督が台湾に2度訪れ、誠実な態度で以前の作品や『黒の牛』の初期短編を見せてくれたことを振り返った。「この時代にまだ白黒フィルムで映画を撮ることに衝撃を受け、この芸術家の作品に参加して支援したいと思った」と語った。監督に起用理由を尋ねたところ、「日本人らしくない人、"ある人"のような感じの人を探していた」との答えだったという。
李康生は「この映画は本当に美しく、各シーンが一枚の絵のよう。日本の初期の映画の画面や人物を思わせる。映画を観ているとそんな感覚が湧いてきた」と述べた。

牛との関わりについて、李康生は出演した「ふくよ」が雌牛で、彼女を女優と呼んでいたと明かした。来日当初の2週間は、糞の始末や餌やり、背中のブラッシング、シャワーなど、「まるで彼女のように接した」という。撮影のため春夏秋冬を通じて2度来日したが、2度目の来日時には長く会っていなかったためか生気が失せ、牛舎で2度蹴られそうになり、壁に「ドン」という大きな音が響いたこともあったという。
撮影時のエピソードとして、李康生は雌牛に乗って撮影中、スタッフが離れると牛が山の上から下まで走り出し、「強力なバイクに乗っているような感覚だった」と振り返った。地面に投げ出され、怪我をするかと思ったが幸いにも無事で、勇気を出して再度挑戦したという。最後に李康生は「耕作牛は温厚に見えるが、暴走するとスペインの闘牛のように危険」と語った。
編集:佐野華美 (関連記事: 内幕》曹興誠はなぜ彼女の魅力された?中国籍愛人の驚くべき経歴が明らかに 広州企業に1.3億元投資、多岐にわたる事業は | 関連記事をもっと読む )
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