台湾映画『余燼』、慶應義塾大学で特別上映──記憶と加害の問いをめぐる白熱討論

2025-06-01 15:30
討論会には、司会を務めた慶應義塾大学経済学部教授の吉川龍生氏、日本大学文理学部教授で台湾文学研究者の赤松美和子氏、本企画のキュレーターを務めた映画監督のリム・カーワイ氏の3名が登壇した(写真/黃信維)。
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2025年5月25日、慶應義塾大学三田キャンパスで、台湾文化センター主催「台湾映画上映会2025」の一環として、台湾映画『余燼』の特別上映とトークイベントが開催された。上映後には、慶應義塾大学経済学部教授で司会を務めた吉川龍生氏をはじめ、日本大学文理学部教授で台湾文学研究者の赤松美和子氏、そして本企画のキュレーターを務めた映画監督リム・カーワイ氏の三名が登壇し、1時間にわたり本作の主題、背景、そして社会的意義について議論を交わした。

慶應義塾大学経済学部教授で司会を務めた吉川龍生氏をはじめ、日本大学文理学部教授で台湾文学研究者の赤松美和子氏、そして本企画のキュレーターを務めた映画監督リム・カーワイ氏の三名が登壇。黃信維

討論会には、司会を務めた慶應義塾大学経済学部教授の吉川龍生氏、日本大学文理学部教授で台湾文学研究者の赤松美和子氏、本企画のキュレーターを務めた映画監督のリム・カーワイ氏の3名が登壇した(写真/黃信維)。

吉川教授:東アジアの文脈から読み解く本作の意義

冒頭で司会を務めた吉川教授は、今回の上映会が台湾文化センターと慶應義塾大学東アジア研究所の連携によって実現したことを紹介し、「本作は大学でこそ観られるべき映画だと感じていた」と語った。自身も台北での上映会に参加し、監督や主演俳優とのディスカッションを経て、その意義を再確認したという。

「字幕の翻訳は大阪大学の佐髙春音氏が担当し、学生たちとともに確認作業を重ねました。本作の中には、1956年と2006年というふたつの時間軸が登場しますが、それぞれが台湾の政治的記憶を映し出す構造になっており、特に2006年という設定には複雑な歴史的意味が込められていると感じました」と指摘した。

リム・カーワイ氏:台湾と日本、政治的記憶の継承の差異

続いてリム・カーワイ氏は、2024年の台北での初上映時のエピソードを紹介しながら、本作が台湾国内でも賛否を呼んでいることに言及した。「監督は『国家が私を守らないなら自分が復讐する』という主人公の姿勢を描くことで、移行期正義をめぐる台湾社会の葛藤を浮き彫りにしましたが、その描写が政治犯家族から批判を受けたことも事実です」と語る。

また、ジャンル映画としての構造やキャスティングにも注目し、「白色テロという重いテーマを扱いながらも、エンタメ性のある作品に仕上がっている。ジャンル映画として社会問題を描くという意味で、非常に挑戦的な試みだった」と評価した。

赤松教授:加害者像の描写と移行期正義の困難

一方、赤松教授はより学術的な観点から、作品が描く「加害者像」に焦点を当て、「本作では被害者だけでなく、加害者側にも視線を向けている。その姿勢自体が非常に台湾的だ」と分析した。また、ジェンダーの観点から「女性登場人物がほとんど“誰かの妻”や“娘”という属性に還元されており、もう少し能動的な女性像が描かれていても良かったのではないか」と指摘した。

さらに、「移行期正義とは、過去の加害や暴力の真実を明らかにし、記憶を継承する作業ですが、台湾社会ではまだ国家に対する不信が根強く、資料の公開や寄贈も進んでいない」として、社会全体としての「記憶の未整理」という課題を提起した。 (関連記事: 《SSFF & ASIA 2025》別所哲也と小池百合子が対談:「東京」を再定義する短編映画の力、優秀賞はイタリア作品『外人』に決定 関連記事をもっと読む

質疑応答では観客との対話も

イベントの終盤では観客との質疑応答も行われ、映画内で描かれた警察の描写や、劇中の家族の描かれ方、年代設定の意味について多くの質問が寄せられた。「なぜ2006年なのか」という問いに対し、登壇者たちは陳水扁(ちん すいへん)政権下での汚職事件、民主化の停滞感、そして「国家を信じられない時代」の象徴として語った。

慶應義塾大学経済学部教授で司会を務めた吉川龍生氏をはじめ、日本大学文理学部教授で台湾文学研究者の赤松美和子氏、そして本企画のキュレーターを務めた映画監督リム・カーワイ氏の三名が登壇。黃信維

討論会には、司会を務めた慶應義塾大学経済学部教授の吉川龍生氏、日本大学文理学部教授で台湾文学研究者の赤松美和子氏、本企画のキュレーターを務めた映画監督のリム・カーワイ氏の3名が登壇した(写真/黃信維)。