Lynnさんは東京在住の、BEAMS海外事業部に勤務する台湾出身の女性です。今回《風傳媒》のインタビューを通して、彼女はこの6年間の日本での奮闘の日々を振り返りました。言葉が通じないところから始まり、日本の職場に少しずつ溶け込み、長期ビザを取得するまでに至った彼女の歩みは、不安に満ちつつも、強い意思で築かれてきたものです。これからの生活や仕事については模索中とのこと。

「私は“鬼針草”だと思う。どこに落ちても生きていける植物のように」と語りました。彼女は2016年、台湾の林口にあるBEAMSアウトレット店舗で正社員としてキャリアをスタートさせました。約3年間の勤務中、日本から来た会長と接する中で、言葉の壁を痛感し、日本語を学ぶ強い動機が芽生えました。その後、インターネットでワーキングホリデーの情報を見つけ、「とりあえず試してみよう」という気持ちで申請し、見事ビザを取得。

仕事を辞めて京都に渡り、ワーホリ生活を始めました。「日本語は五十音しかわからず、正直仕事なんて無理でした」と彼女は笑います。ワーキングホリデービザを使って語学学校に通うことを決め、限られた資金の中、3カ月単位で学費を支払い、アルバイトで次の学費を稼ぎながら生活を続けました。語学がまだ不十分だった当初は、中国語家庭教師や、韓国・東大門から衣類を仕入れて台湾で転売することで収入を得ていました。

9カ月間の日本語学習を経て、N3を取得。その後、就職活動を開始します。ある日、BEAMSの新ブランド「Purple Rib」で買い物をしていたところ、台湾BEAMSのスタイリングページに出ていたことを店員に気づかれ、アルバイトに誘われました。当時の日本語力はまだ高くありませんでしたが、海外顧客対応に中国語と英語が必要とされていたため、無事にチームへ参加。その半年後にはN1にも合格しました。さらに、コロナ禍によってビザが延長され、正社員への申請も成功しました。

正社員登用の前には3段階の面接があり、会長との面談も含まれていました。「日本語が母語じゃないから、準備が本当に大変だった」と振り返ります。ビザを取得後、会社の要請で京都から東京本社の海外事業部へ異動。最初は京都を離れたくなく、引越し条件について会社と交渉。最終的には合意に至り、東京での生活が始まりました。京都では店舗スタッフとして、接客や商品整理に加え、中国語・英語対応も担当。「中国から来たバイヤーとはWeChatで連絡を取り、購入を手助けしていました」と語ります。

東京では海外事業部に異動となり、台湾・香港・中国・バンコクなどの代理店業務を担当。注文や出荷、在庫の手配といった一連の業務に加え、英語でのやり取りを日本語に翻訳して社内と調整を行うという、国と国をつなぐ“橋”のような役割を担っています。Lynnさんは「とてもやりがいを感じています」と話します。 (関連記事: 日本での11年、理想と現実の間で見つけた道──台湾出身・歩小心さんが語るキャリアと挑戦 | 関連記事をもっと読む )
しかし、精神的に大変な時期もありました。コロナの影響でビザの延長が半年ごとに行われ、不確実な状況とプレッシャーの中、全身にじんましんが出たり、ニキビが増えたりと生活は混乱。「面接に落ちたり、ビザが下りなかったらすぐ台湾に戻らなきゃいけないから、家具も買えなかった」と語ります。