日本首相を決める自民党総裁選が27日、2回の投票を経て行われ、「これは38年の政治生活の総決算だ」と語った古参の石破茂氏が悲願を達成、5度目の挑戦でついに勝利を収めた。一方、自民党右派勢力から期待された高市早苗氏は、2012年の石破氏の経験を再現することとなった。第1回投票で最多得票を得たものの、第2回投票で敗れ、最終的に「日本初の女性首相」の座を逃した。
63歳の高市早苗氏は今回の選挙では「無派閥」とされたが、常に安倍晋三氏の人脈(清和政策研究会)に属していた。問題は、自民党の政治献金スキャンダルが各派閥に打撃を与え、その中心にあった「安倍派」が今年1月19日に解散を決定、2月1日に最後の議員総会を開いたことだ。「安倍派」議員ではなくなったものの、高市氏は読売新聞に「党内最強硬派の保守派」「安倍晋三路線を継承する」憲法改正(改憲)を目指す政治家と称されている。
党内右派の強固な路線以外にも、高市氏の政界での経験は無視できない。63歳の高市早苗氏は1993年に無所属で衆議院議員に当選し、当時32歳だった。3年後、高市氏は自民党に入党し、清和政策研究会(安倍派の所属組織だが、当時は三塚博派)に加わった。その後、高市氏は内閣府特命担当大臣、自民党経済安全保障対策本部長、総務大臣、自民党政調会長、経済安全保障担当大臣など重要な職務を歴任した。読売新聞は高市氏について、言葉が鋭く、しばしば驚くべき発言をすると評している。岸田首相が増税の研究を指示したときも、高市氏はソーシャルメディアで公然と反対し、「意味が分からない」と述べた。
「犬猿の仲」の夜間会談
27日の投票前、日本のメディアは2つの興味深いニュースを報じた。1つは「犬猿の仲」と言われる石破茂氏と麻生太郎氏が選挙前日に35分間の会談をした。石破氏は麻生内閣(2008年から2009年)で農林水産大臣を務めたが、麻生氏の退陣を要求して不和となり、さらに石破氏と安倍晋三氏の不仲、麻生太郎氏が長年安倍氏の経済ブレーンだったことも考えると、この会談は注目を集めた。
しかし、「政治生涯最後の戦い」を前に、石破氏は麻生太郎氏に頭を下げて協力を求めた。理由は単純で、麻生派が自民党に残された唯一の派閥であり、他のすべての派閥はすでに解散していた。ただし、麻生派の議員は50人程度で、確かに影響力はあるものの、選挙結果を左右するほどの力はない(今回の総裁選の議員票は計367票)。
では、石破氏と麻生氏の会談の結果は?
産経新聞は26日深夜、独自スクープを報じた。自民党副総裁の麻生太郎氏が、麻生派議員(志公会メンバー)全員に対し、第1回投票から高市早苗氏を全面支援するよう指示したという。麻生氏が握る50票余りは、日本のメディアが注目してきた焦点だった。麻生派のメンバーは今回、河野太郎氏と上川陽子氏の総裁選出馬を推薦しており、外部からは麻生太郎氏がこの2人のうち1人を支持すると思われていた。しかし、彼は選挙直前に高市氏の擁立を指示した。ただし産経新聞も、派閥の影響力が自民党内で
する中、派閥議員が麻生氏の指示に従うかどうかは不透明だと指摘している。
岸田首相、最後に「石破支持」を指示
27日の投票当日、ほとんどの観測筋は三つ巴の戦いになると予想していた。「最後の戦い」に望みをかける石破茂氏、一時世論調査でトップに躍り出た小泉進次郎氏、右派票の支持を受ける高市早苗氏の3人だ。ところが当日朝、岸田文雄首相が元岸田派議員に「高市氏を支持せず、党員票を多く獲得できる候補を支持すべき」と指示したと報じられた。日本のメディアはこれを岸田氏による石破支持の指示と解釈した。一方、「親にも見放された」小泉進次郎氏は最後の瞬間まで電話で議員の支持を求め、「運命の采配を待つ」としていた。
総裁選の第1回投票が終了すると、高市早苗氏が「党員票」109票と「議員票」72票の両方で勝利し、首位へ。小泉進次郎氏は電話作戦で75票の議員票(第1回投票での議員票最多)を獲得したものの、この若手議員は3番目に多い61票の党員票しか得られず、最終的に3位で決選投票進出を逃した。石破茂氏は108票の党員票と46票の議員票で2位につけ、2012年以来の「2枚目の」自民党総裁選決選投票切符を手に入れた。
第2回投票前、石破茂氏と高市早苗氏は再び演説する機会を得た。石破氏は「日本を守り、国民を守り、地方を守り、そして自民党を守る」と宣言し、「一人一人に幸せと安心と安全を感じてもらい、皆の顔に笑顔を浮かべたい」と述べた。最近の政治献金スキャンダルについては、「我々はルールを守る自民党でなければならず、国民を信じる自民党でなければならない」「たとえ国民が自民党を信じなくても、自民党は国民を信じ、問題から逃げずに勇気を持って誠実に真実を語らなければならない」と語った。
高市氏は、女性として総裁選の決選に進んだことは自民党と日本の歴史的瞬間だと強調。日本は「非常に厳しい安全保障環境に囲まれている」と指摘し、多くの災害の中で日本を守り、国民の生命と生活を守らなければならないと述べた。高市氏は、若い世代が日本の未来に向けて積極的な役割を果たし、未来に対して自信と夢を持つことが重要だと強調した。「そういう日本を作らなければならない。次の世代のために、日本列島の隅々まで積極的な経済活動が行き渡り、日本のどこにいても安全に暮らせ、必要な医療や福祉を受けられ、質の高い教育を受けられるようにしなければならない」と述べた。
第2回投票では、第1回投票の367票の「党員票」が「都道府県連合会」の47票に変更される一方、国会議員票は第1回投票と同じ367票のままとなり、自民党議員の重要性が大幅に高まった。これは石破茂氏が2012年に安倍氏との戦いに敗れた最大の理由でもあり、特に当時の第2回投票では議員票のみが認められたため、石破氏は決選段階で安倍氏に19票差で逆転され敗北した。2001年3月、石破茂氏は自民党幹事長として選挙規則を改革し、第2段階で「各都道府県に1票を配分する」規定を導入した。
興味深いことに、石破氏が新しい決選規則を利用して勝利する機会があったにもかかわらず、今回の二回目の投票では都道府県連合会の票を計算する必要すらなく、議員票だけで189票対173票で高市氏をリードした。もちろん、都道府県連合会の票を加えても、石破氏は26対21で高市氏をリードしていた。選挙前に日本初の女性首相になると期待されていた高市早苗氏は、2021年に続いて2回目の総裁選敗北に終わった。岸田文雄首相の支持率が低迷し、岸田派も解散前は主流大派閥とは言えなかったため、彼の意向が選挙結果を左右したとは言い難い。また、麻生太郎氏が高市氏に50票の保証票を与えたとしても、自民党右派の希望を実現するには至らなかった。
フジテレビは、麻生派の高市早苗氏への支援こそが、石破茂氏の逆転劇の鍵だったとさえ見ている。FNNの政治記者、瀬島隆太郎氏は、石破茂氏が勝利した第2回投票の結果が出た時、投票会場では議員から感嘆の声が上がり、涙を流す議員もいたと指摘した。自民党のベテラン議員は、石破茂氏の勝利は日米関係、日中関係にとって有利だと述べた。一方、高市陣営はこの結果を受け入れがたいと感じている。彼らは高市氏が第1回投票で見事に勝利し、第2回投票での勝利は当然のことと考えていたが、予想外の展開となった。逆転の主な理由について、麻生派が最後の瞬間に高市早苗氏に傾いたことが逆効果を生み、小泉進次郎氏支持者や岸田派の議員が第2回投票で石破茂氏を全面支援することになったのではないかという見方さえある。確実に言えることは、現在、自民党内での派閥の影響力が衰退していることだ。
編集:佐野華美
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