賴清德総統が「台湾が世界に立つ決意と気魄を示した」と力説したあの瞬間、その背景には百年にわたる物語があった。ジャーナリスト・野島剛氏が10年の歳月をかけ、日台100人近い関係者への取材を通じて編み上げた『野球與棒球』。本書は単なる運動史に留まらず、野球という視点から日台の百年を再構築し、2024年の世界大会優勝に至るまでの「台湾棒球共同体」の真実を浮き彫りにした壮大なノンフィクションである。勝敗の記録を超え、時代に翻弄された人々がいかに野球を通じて人生を定義し直してきたかを問う、日台関係の縮図とも言える一冊である。
「親日」か「植民地」かを超えた「第三の視点」
日台関係を語る際、往々にして「親日的な美談」か「植民地支配の清算」という二項対立に陥りがちだ。しかし野島氏の記述が傑出しているのは、そのどちらにも偏ることなく、現場の熱量から歴史を再構築している点にある。豊富な取材経験を生かし、台湾内部の情熱と日本からの歴史的経緯を融合させた第三の視点を確立した。
著者は、台湾野球最大の謎の一つを直視する。すなわち、総人口のわずか2%にすぎない原住民が、なぜプロ野球選手の3〜4割を占めるのかという事実だ。これは単なる身体能力の問題ではない。貧困からの脱却という強い目的意識と、百年途絶えることのない伝承が結びつき、独自の野球文化を形成した結果であると野島氏は指摘する。
「野球」から「棒球」へ――言葉に刻まれた抵抗と進化
著者はまた、野球と棒球の定義を、政治と歴史の緊張感をはらんだ進化のプロセスとして巧みに描き出している。近代中国のナショナリズム高揚のなかで、野という字が野蛮なニュアンスを持つとして排斥され、訳語は最終的に棒球へと収斂していった。戦後、国民党政権下で「本省人は棒球、外省人はバスケットボール」という省籍矛盾(台湾における出身地による対立や緊張関係)が生まれ、棒球は日本的な色彩を帯びているとして冷遇された時期もあった。
しかし、1951年のフィリピン遠征時に掲げられた「台湾棒球隊」の隊旗や、当時の台湾省政府主席であった呉国楨の開明的な姿勢は、権威主義的統治下にあっても、棒球は台湾人のアイデンティティを結束させる重要な媒体であり続けたのである。
受け継がれるDNA――嘉農から現代の野球留学生へ
野島氏は、台湾における野球DNAの存続を、台湾の人々が生存戦略として主体的に選び取ってきた「無形文化財」として再定義している。
陳耕元や郭光也といった嘉義農林(KANO)のOBたちは、戦後も故郷の台東で近藤兵太郎流の厳格な日本式野球教育を伝承した。1964年結成の馬蘭野球隊では、資源が乏しい中で日本語の怒声が飛び交う指導を通じて、郭源治や陽岱鋼へと繋がる名選手たちが育成された。原住民集落の深い絆と日本野球の精神が織りなす底力は、本書を単なるスポーツノンフィクションから一級の文化人類学的記録へと昇華させている。
対等なパートナーシップとしての「日台共生」
百年前の能高団から、現代の野球留学生に至るまで、日台の野球交流は決して途絶えることのない一本の線である。野島氏は後記において、「日本の野球と台湾の棒球は血の繋がった兄弟であり、互いにエネルギーを吸収し合いながら成長を続けている」と明言している。
台湾が日本の技術体系を吸収しつつ、自身の力や原住民の爆発力を融合させたプロセスは、もはや一方通行の植民地的指導関係ではなく、より高次な対等なパートナーシップへの歩みである。本書は複雑な歴史を誠実に提示し、日台の対等と共生を象徴する「新世紀の歴史教本」へと変換して見せたのである。
世界を、台湾から読む⇒風傳媒日本語版 X:@stormmedia_jp
(関連記事: 【書評】野島剛『野球與棒球』(下)――深層にある絆、交錯する記憶と日台野球の未来 | 関連記事をもっと読む )編集:小田菜々香

















































