水玉模様や網目を反復した作品、「かぼちゃ」の彫刻、鏡を使った「インフィニティ・ミラー・ルーム」などで世界的に知られる前衛芸術家の草間彌生さんが8月14日、東京都内の病院で死去した。97歳だった。草間さんの公式サイトが27日、発表した。共同通信によると、死因は多臓器不全だった。
株式会社草間彌生と株式会社草間彌生スタジオは公式発表で、草間さんについて、美術を中心にパフォーマンス、小説、詩など幅広い分野で国際的な活動を続け、「亡くなる直前まで絵筆を手放すことなく、永遠の愛と魂を探究し続けた」と振り返った。
東京・新宿区の草間彌生美術館で開催中の展覧会「クサマズ・ポップ(KUSAMA'S POP)」は、予定通り8月30日まで開催される。
幼少期の幻視を水玉や網目の作品に
草間さんは1929年3月22日、長野県松本市に生まれた。幼少期から幻視や幻聴を経験し、10歳ごろから水玉や網目をモチーフにした絵を描き始めた。
水玉や網目など一つのモチーフを繰り返し、増殖させる表現は、その後の草間作品を象徴するものとなった。
1952年には松本市で初の個展を開催。1957年に単身で米国へ渡り、その後ニューヨークを拠点に活動した。
現地では巨大な網目を描く「ネット・ペインティング」をはじめ、布を使ったソフト・スカルプチャー、鏡や電飾を用いたインスタレーションなど、従来の美術の枠にとらわれない作品を相次いで発表した。
単一のモチーフを反復、増殖させることで個と世界の境界を消していく「自己消滅」は、草間さんの創作を代表するテーマの一つとなった。
1960年代、ニューヨークで前衛芸術活動を展開
1960年代には絵画や彫刻にとどまらず、ボディー・ペインティングやファッションショー、映画制作などにも活動を広げた。
街頭などで裸体に水玉模様を描くパフォーマンスや、反戦の思いを込めた「ハプニング」も展開。当時のニューヨークで前衛芸術家として存在感を高める一方、日本ではこうした活動がセンセーショナルに報じられることもあった。
1973年に帰国した後も創作を続け、詩や小説の執筆にも取り組んだ。1983年には小説「クリストファー男娼窟」で野性時代新人賞を受賞した。
その後も野外彫刻や大型インスタレーションなど幅広い作品を発表。鏡や光を用い、空間が果てしなく続くような感覚を生み出す「インフィニティ・ミラー・ルーム」も、草間さんを代表する作品群として知られるようになった。
1980年代以降、国際的な評価高まる
1980年代に入ると、海外の美術館で個展が相次いで開かれるようになった。
1993年には国際美術展「ベネチア・ビエンナーレ」の日本館代表を務め、その後、国内外で評価を高めていった。 (関連記事: 東京が止まれば日本も止まるか 首都直下地震に備える「副首都」法、なぜ「大阪ありき」と批判されるのか | 関連記事をもっと読む )
ニューヨーク近代美術館や東京国立近代美術館などでも作品が紹介され、2011年からはパリのポンピドー・センターやロンドンのテート・モダンなど欧米の美術館を巡回する大規模な回顧展も開かれた。














































