中国の元国務院総理(首相)で、中国共産党中央政治局常務委員を務めた朱鎔基氏が、8月12日午前、北京市内で死去した。97歳だった。中国共産党中央委員会、全国人民代表大会(全人代)常務委員会、国務院、全国政治協商会議(政協)は同日午後、訃報を発表し、朱氏が病気療養の甲斐なく、同日午前11時6分に北京で息を引き取ったことを確認した。公式発表では同氏を「党と国家の卓越した指導者」と称賛している。
朱氏の死去は、中国の改革開放時代において、鮮烈な政治的個性を持った最高指導部メンバーの一人が生涯を閉じたことを意味する。多くの中国国民にとって、同氏の最も色濃い政治的功績は、1990年代末から21世紀初頭にかけて中国の経済、国有企業、金融、そして政府体制を揺るがした抜本的な改革である。
清華大生から国務院総理へ
朱氏は1928年、湖南省長沙市に生まれた。1947年に清華大学電機工学部へ入学し、1951年の卒業後は東北人民政府工業部および国家計画委員会に入局した。1958年、政治運動の煽りを受けて「右派」に指定され、その後下放されて労働に従事した。この経験は、後の政治キャリアにおいて極めて重要な背景となっている。
改革開放後、朱氏は国家の経済管理体制へと復帰を果たす。1980年代には国家経済体制改革に関連する役職を歴任。1988年から1991年にかけて上海市長を務め、その強硬かつ実務的な行政手腕が鄧小平氏ら共産党指導部の目に留まった。
1990年代の中国政界において、朱氏は経済政策および金融分野における最高意思決定者の一人として中核的な役割を担った。1993年に国務院副総理に就任して以降、マクロ経済や金融などを統括し、同年から1995年までは中国人民銀行(中央銀行)総裁も兼務した。1998年の総理就任後は、国有企業、金融、財政・税制、住宅など一連の重大改革を直接主導した。
政治的代名詞となった「鉄腕改革」
朱氏が総理に就任した当時、中国は深刻な経済課題に直面していた。アジア通貨危機が波及する中、国有企業は巨額の赤字を抱え、金融システムにはリスクが蓄積していた。さらに政府機構は肥大化し、住宅、食糧、医療などの制度も早急な改革を迫られていた。
その政治手法は、当時の中国官界においてとりわけ際立っており、効率、規律、そして行政の実行力が強く推し出された。
中でも代表的なものが、1998年に着手された大規模な国務院の機構改革である。政府部門は従来の40から29へ削減され、伝統的な計画経済時代の専門的な経済管理部門が大量に統廃合された結果、国務院の職員数は大幅に削減された。
これと同時に、朱政権は国有企業改革、金融体制改革、住宅制度改革、医療保険改革、そして財政・税制改革などを推し進めた。
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こうした改革は決して代償を伴わないものではなかった。国有企業改革は大量のレイオフ(下崗)を生み出し、伝統的な「鉄飯碗(終身雇用と手厚い福利厚生)」制度は徐々に崩壊した。一方、住宅のコモディティ(商品)化は、都市住民の居住形態を根本から変え、その後の不動産市場の急激な拡大に向けた制度的基盤を形成した。












































