日本外国特派員協会にて行われた「Book Break」において、著書『日米映画の架け橋 ラストサムライ 2393億円の男』を出版したビルアイアーティン氏が登壇し、長年にわたるワーナーブラザースジャパンでの経験と映画製作の裏側を語った。
アメリカ人の父と日本人の母を持つ同氏は、1976年に上智大学を卒業後、マトリックスシリーズなどの超大作映画に携わってきた。父は英語雑誌の創刊者であり、自身もまた日米双方の文化に触れながら、映画業界でさまざまな経験を重ねてきたと振り返った。
スコセッシ監督から『ラストサムライ』まで、大作映画の舞台裏
マーティンスコセッシ監督が来日した際の逸話として、レオナルドディカプリオらと同行したツアーのエピソードが披露された。アイアーティン氏がスコセッシ監督に書籍『東京アンダーワールド』を渡したところ、監督は深く魅了され、映画化への熱意を示したという。
ニューヨークのディレクターズギルドビルディングにある監督のオフィスは、イタリア語のマフィア映画ポスターで覆われ、まるで劇場のようであった。
スコセッシ監督はパラマウント社と契約を結び開発を進めたが、ワーナーとの権利関係が複雑に絡み合い、結果的にスコセッシ監督は『インファナルアフェア』を原作とする『ディパーテッド』でアカデミー賞を受賞し、パラマウントは別作品の製作へと舵を切った。
ビジネスとクリエイティビティが交差するハリウッドにおいて、感情的な対立や権利の駆け引きがいかに激しいかが浮き彫りとなった。
トムクルーズ主演の『ラストサムライ』についても詳細な製作秘話が語られた。クルーズ氏は非常に真面目な姿勢で剣術の訓練に励み、渡辺謙や真田広之と親交を深めていたという。
過去のハリウッド製日本映画の失敗やステレオタイプを乗り越えるべく、ニュージーランドでの撮影には半年間の拘束と髭を剃らないことを条件にリクルート誌を通じて約300人の日本人が集められた。エドズウィック監督の指揮の下、日光江戸村のスタッフによるアクション指導も行われた。
愛知県豊橋市で行われたテスト試写では、通常30から40パーセントとされる推奨度において、70パーセントという驚異的な数値を記録し、観客がトムクルーズ演じるオールグレン大尉と勝元の生き様に深く共鳴して涙を流す姿が見られたという。
同作は当初の予想を大きく上回る大ヒットを記録した。
『硫黄島からの手紙』撮影秘話、映画宣伝の苦労も語る
クリントイーストウッド監督による『硫黄島からの手紙』の製作においては、栗林忠道中将の物語をいかに忠実に描くかが焦点となった。
当初はカリフォルニア州の洞窟で撮影地を探したものの不適切と判断され、最終的に東京都が管轄する実際の硫黄島での撮影が決断された。
当時の石原慎太郎都知事との折衝や、自衛隊基地しか存在しない島への機材搬入、衛星電話を用いた連携など、困難を極めた舞台裏が明かされた。また、渡辺謙が戦死者の魂を慰めるために水を島へ持ち込んだという感動的なエピソードも紹介された。
しかし、同作は言語の99パーセントが日本語であるにもかかわらず、アメリカ資本で作られたため日本アカデミー賞では外国語映画として扱われ、渡辺謙をはじめ関係者の間に複雑な思いを残したという。興行面では日米双方で50億円規模の成功を収め、作品の芸術性は高く評価された。
一方で、最も苦労した経験として『エクソシスト』のプロジェクトが挙げられた。当時のワーナーを救ったとされる同作に関連し、テレビ放送を巡って困難な時期に電通と協力しながら、ミニシアターやテレビ局への対応に奔走した過酷な日々が語られた。
アイアーティン氏は、映画業界においてテレビ放送や広告代理店を通じた宣伝がいかに重要であるかを強調し、共に困難を乗り越えた電通への深い感謝の意を表して講演を締めくくった。
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編集:小田菜々香


















































