『進撃の巨人』の世界では、人類は巨人から逃れるためにウォール・マリア、ウォール・ローゼ、ウォール・シーナという三重の壁を築いた。外側の壁が破られれば内側へ退き、壁さえ残っていれば人類にはまだ生き延びる余地がある、という設定だ。
しかし同じ問いを現実の世界に置き換えてみるとどうなるか。四方を海に囲まれた台湾は、かつて戦争の脅威に直面したとき、どのようにして身を守ったのだろうか。
答えはもちろん、島全体を取り囲む「巨大な壁」を築くことではない。
1950年代、台湾海峡が高度な軍事的緊張状態に入って以降、金門・馬祖といった最前線の島々では、まったく異なる防衛の仕組みが形づくられていった。海岸沿いの拠点、トーチカ、砲陣地、地下坑道、観測所、そして民間防衛の体制――これらが幾重にも重なり合うようにして築かれたのだ。
今日、金門や馬祖を訪れると、今もこの歴史の痕跡を目にすることができる。山の奥深くまで掘られた坑道もあれば、海岸に直接向き合うトーチカもあり、村の地下に戦闘用の坑道が隠されている集落さえある。今でこそ特色ある観光名所のように見えるが、数十年前はもちろん観光客の撮影のために造られたものではなかった。
それらが防ごうとしていたのは、漫画に出てくる巨人ではなく、実際に起きた、そして再び起こり得る戦争そのものだった。
台湾に『進撃の巨人』のような高い壁はないが、金門はかつて島全体を要塞に変えていた
『進撃の巨人』の防衛の論理は単純明快だ。敵は外からやって来るのだから、十分に高く、十分に厚い壁を築いて外に締め出せばよい。
しかし現実の島嶼防衛はまったく事情が異なる。海岸線は長く、島全体をコンクリートの壁で囲むことなど現実には不可能であり、砲撃や艦艇、航空機、上陸作戦に対して、壁一枚だけでは十分な防衛にはならない。
そのため、長期にわたる軍事的対峙のなかで、金門・馬祖は次第に高度に軍事化された最前線の島へと変わっていった。海岸には拠点や火力陣地が設けられ、重要な施設は地下に隠され、人員や弾薬、指揮、通信、さらには補給のための空間までもが、徐々に地下化されていったのだ。
『進撃の巨人』のやり方が「人を壁の内側に隠す」ことだとすれば、金門が取った方法はむしろ、島全体を一つの要塞に変えることに近かった。
金門国家公園の資料によると、1956年から金門では坑道の大規模な掘削が始まり、軍事拠点や指揮、通信、備蓄のための施設が次第に地下で恒久化されていった。
1949年の古寧頭の戦いを経て、金門は台湾海峡の軍事最前線となった
1949年10月、金門で古寧頭の戦いが勃発した。中国人民解放軍が海を渡って金門に上陸し、両軍はただちに激しい戦闘に突入、最終的に上陸部隊は国軍によって撃退された。この戦い以降、金門は台湾海峡の軍事的構図のなかで一段と特殊な位置を占めるようになり、軍事配備と防衛施設の強化が続けられていった。
今日、古寧頭を訪れると、戦争が残した痕跡を今も直接目にすることができる。例えば北山古洋楼はその戦闘の現場の一つであり、建物の外壁には今なお無数の弾痕が残り、1949年の戦いを物語る最も生々しい歴史の証拠の一つとなっている。
しかし、金門の地下工事をさらに拡大させることになったもう一つの重要な出来事は、その9年後に起きる。
1958年の八二三砲戦――金門はなぜ地下に身を隠し始めたのか
1958年8月23日、中国人民解放軍が金門への大規模な砲撃を開始し、「八二三砲戦」が始まった。8月23日から10月6日までの44日間にわたる主要な戦闘期間、台湾国防部の戦史研究資料によると、中国側は金門に向けて47万4千発余りの砲弾を撃ち込んだとされる。
10月6日以降、大規模な戦闘は徐々に沈静化し、その後は奇数日にのみ砲撃する「単打双不打」といった断続的な砲撃へと移行した。中国大陸側が金門への砲撃停止を宣言したのは、1979年1月1日のことだった。
これほど密度の高い砲撃の脅威にさらされるなかで、一つの問題が極めて現実的なものとなった。兵営や弾薬、指揮中枢、艦艇のすべてが地上にさらされたままでは、大規模な砲撃を受けた際にたちまち機能を失いかねない、ということだ。
金門の花崗岩および花崗片麻岩という地質も、地下工事を掘削するための条件を備えていた。こうして数多くの坑道、指揮所、弾薬庫、補給施設が、次第に山の奥深くへと造られていった。
そのため今日、金門を訪れると、台湾の他の地域では比較的珍しい光景を目にすることになる――一見ただの山に見えるものの、その内部にはまったく別の世界が隠されているのだ。
金門の翟山坑道はただの洞窟ではない――かつて小型艇42隻を隠せた地下水路
今日、金門で最もよく知られた戦地観光地の一つである「翟山坑道」は、地下化された防衛の最も代表的な例だ。八二三砲戦の後、国軍は補給能力と艦艇の掩護能力を強化するため、1963年に翟山坑道の掘削に着手し、工事にはおよそ3年を要した。
坑道全体は花崗片麻岩を直接掘り抜いて造られており、陸上部分の坑道に加え、内部にはA字型の地下水路も設けられている。金門国家公園の資料によると、水路の総延長は約357メートルで、最大42隻の小型艇を収容でき、艦艇が地下で停泊や旋回、補給作業を行うことができた。
今の視点から見れば、この設計は軍事SF作品に出てくる「地下ドック」を思わせるものすらある。
さらに特徴的なのは、村までもが防衛体制に組み込まれていたことだ
地下化されたのは軍事施設だけではない。長期にわたる戦地化のなかで、一般住民の暮らしそのものが、この防衛体制に組み込まれていった。
1956年以降、金門・馬祖では「戦地政務」という制度が敷かれ、「軍政一元・軍民一体」という特殊な統治体制が形づくられた。住民の生活はさまざまな程度で軍の管理下に置かれ、民間防衛の組織も戦備体制に組み込まれた。この体制が終わりを迎えるのは1992年のことだ。
金門の瓊林はその典型的な例だ。瓊林はかつて「戦闘村」として計画され、住民は民間防衛組織に編入された。村の地下には戦闘用の坑道が掘られ、異なる区域を結んでいた。平時には、民間防衛の要員が工事を手伝ったり物資を運んだりすることもあり、有事には救護や防衛に関わる任務を担うこともあった。
つまり当時の防衛線は、もはや「海岸にいくつか並ぶトーチカ」だけではなかったということだ。海岸、兵営、坑道、集落、さらには島に暮らす人々の生活までもが、すべてこの戦地体制のなかに組み込まれていた。
馬祖も同様――山の中に埠頭を隠し、海辺の岩礁をそのまま要塞に変えた
こうした光景は、金門だけに見られるものではない。1956年以降、馬祖も同じく戦地政務の時期に入った。長期にわたる軍の配備にともない、島には地下坑道、軍事拠点、砲台、港湾などさまざまな軍事施設が次々と現れ、もともとの漁村の風景は、次第に戦地の建造物と入り混じっていった。
なかでも最もよく知られているのが、南竿の北海坑道だ。1968年、国軍は「北海案」と呼ばれる計画を推進し、南竿、北竿、西莒、東引などの地で地下坑道の埠頭を掘削した。狙いは、上陸用の小型艇を外部からの砲撃や偵察から避けさせ、山の内部で停泊・補給できるようにすることだった。
発想は金門の翟山坑道と非常によく似ている。もともと海辺にさらされていた艦艇を、そのまま山の中に隠してしまうというものだ。
馬祖にはもう一つ、より視覚的にわかりやすい防衛施設がある。鉄堡だ。鉄堡は南竿の海岸から突き出た岩礁の上に位置し、軍は岩そのものをくり抜いて坑道や銃眼、防衛空間を内部に設け、天然の岩礁を海に面した軍事拠点へと造り変えた。
今日では観光客がその内部を見学できるが、軍事的対峙の時代における本来の役割は、海岸の監視と防衛だった。
つまり台湾にとって本当の「壁」は、そもそも一枚の壁ではなかった
この歴史をあらためて『進撃の巨人』に重ねてみると、興味深い違いが見えてくる。漫画のなかの恐怖は、きわめて具体的だ。壁の外には巨人がいる。だから壁さえ十分に高く、十分に厚ければ、人類はひとまず自分たちが安全だと信じることができる。
しかし現実の島嶼防衛は、それよりもはるかに複雑だ。金門・馬祖といった最前線の島々では、実際に機能していた「壁」は、必ずしも目に見えるものではなかった。それは海岸に面したトーチカかもしれないし、一つの観測所、あるいは花崗岩のなかに隠された地下坑道かもしれない。さらには、艦艇や物資を山の内部に隠すことができる地下埠頭であることもあった。
金門と馬祖にこれほど密度の高い軍事遺跡が残されているのは、単に「かつて多くの軍が駐留していたから」というだけではない。より深い理由は、これらの島々が長期にわたり「戦場」という論理に基づいて造り変えられてきたことにある。山は掘削されて指揮所になり、岩礁は要塞へと造り変えられ、村の地下にさえ戦闘用の坑道が隠されていた。
1992年11月7日に金門・馬祖の戦地政務が終了し、30年以上続いたこの特殊な戦地統治体制はようやく歴史のなかへと収まった。今日、金門で翟山坑道に足を踏み入れ、馬祖で北海坑道を通り抜けても、目にするのは薄暗いトンネルや巨大な地下空間、海に向けられた銃眼だけかもしれない。
しかし、こうした遺跡はいずれも、後の世代にあることを静かに伝えている。本当の戦争の歴史は、必ずしも教科書や記念碑にだけ記されているわけではない、ということを。
それはときに、一つの島の地底に、そのまま眠っているのだ。
参考資料
- 内政部国家公園署金門国家公園管理処:軍事防護施設、金門の戦史記録、翟山坑道、北山古洋楼、瓊林戦闘村に関する資料
- 国家発展委員会檔案管理局:八二三砲戦、戦地政務に関する国家档案
- 国防部の戦史研究資料:八二三砲戦の砲撃統計
- 文化部国家文化資産網:馬祖の戦地文化景観に関する資料
- 交通部観光署馬祖国家風景区管理処:南竿北海坑道、鉄堡に関する資料
- 国立台湾歴史博物館:金門・馬祖の戦地政務に関する資料