剣道、柔道、合気道は、間違いなく日本で最も国際的な影響力と代表性を持つ現代武道である。しかし、符号学の観点から日本武道史を考察すると、これら三つの現代武道はすべて、ある程度、古流剣術である柳生新陰流の影響を受けており、互いに思想的あるいは技術的な継受・伝承関係にあることが容易に見て取れる。徳川幕府の歴代将軍の兵法指南役として、柳生新陰流は幕府時代の終焉とともに消滅したのではなく、日本現代武道の内在的な核心の一部となり、維新後の国際舞台へと歩みを進めたのである。
現代剣道について言えば、技術的には柳生新陰流と大きく異なっているが、日本の竹刀発展の歴史を詳細に考察すると、現代剣道で使用される竹刀は、実は新陰流の「袋竹刀(蟇肌竹刀)」から進化・発展したものであることがわかる。柳生新陰流兵法師範、池之側浩氏によれば、現代剣道で用いられる竹刀は防具の発達と共に江戸時代中期頃に徐々に完成し、試合稽古に取り入れられるようになったという。これは柳生新陰流が袋竹刀を用いて「勢法」を練る稽古とは異なるものの、訓練の安全性を大幅に高め、現代剣道の実戦攻防の実施を可能にした。
現代柔道の起源については、その技術は基本的に「天神真楊流」と「起倒流」という二つの古流柔術に根ざしている。今日でも講道館には起倒流の核心技術である表十四本・裏七本が「古式の形」として保存・継承されており、起倒流と現代柔道の伝承関係は明らかである。起倒流の創始者である茨木専斎は、かつて柳生石舟斎の下で稽古に励んでおり、起倒流という名は柳生家が厚く信頼した沢庵和尚によって命名されたと伝えられている。当時、茨木専斎と共に柳生石舟斎の下で稽古をしていた者の中には、後に古流柔術「良移心当流」の創始者である福野七郎右衛門もいた 。
合気道と柳生新陰流の関係は、さらに密接である。合気道の創始者である植芝盛平自身が柳生新陰流の門人であっただけでなく、合気道の前身であり、即ち合気道技術体系の根源である大東流合気柔術の膨大な体系の中にも、柳生新陰流に由来する合気の術が混在している。合気道の技法の中には上泉信綱の「転(まろばし)の道」の概念が容易に見出せ、また「入身投げ」の動きの中には、柳生新陰流の「無刀の位」が体術として体現されているのを見ることができる。
日本の現代武道の中に柳生新陰流の姿を見出すことができるのは、単に武道史上の伝承関係によるものだけでなく、精神的・思想的な内在的影響による部分が大きい。柳生新陰流は日本武道史上、初めて「活人剣」という思想を提唱し、それを修行の目標とした古流剣術流派である。この「不殺」の概念は、当時の徳川幕府による平和構築に合致していただけでなく、戦後の日本における現代武道発展のニーズとも合致していた。この概念こそが、剣道、柔道、合気道が直接・間接を問わず柳生新陰流の影響を受けることになった根本的な原因である。
今に至っては、戦国時代の殺戮の場は遠い過去のものとなり、現代武道に求められる精神は、嘉納治五郎が述べた「精力善用、自他共栄」である。そしてこれこそ、四百年以上前に柳生宗矩が活人剣によって確立した修行目標そのものであり、単に異なる言葉で表現されているに過ぎないのである。
本文の筆者・葉志堅氏は、日本古武道の研究学者であり、ドキュメンタリー映画の監督、《フランスワイン文化教育協会》の理事長でもあります。これまでに5度、フランスから騎士勲章を授与されており、現在は複数の大学で客員教授を務めています。また、日仏両国でたびたび関連する学術講演に招かれています。
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編集:梅木奈実















































