台湾の作家・楊双子氏と、台湾系アメリカ人翻訳家の金翎(リン・キン)氏が、小説『台湾漫遊鉄道のふたり』(原題:臺灣漫遊錄、英題:Taiwan Travelogue)をめぐり、ブッカー国際賞(International Booker Prize)公式サイトのインタビューに応じた。
同作は、1930年代の日本統治下の台湾を舞台に、台湾の植民地経験、食文化、女性同士の親密な関係を重ね合わせた長編小説。インタビューでは、創作の背景や歴史叙述のあり方、翻訳の政治性、文学がいかに「境界を越える旅」となり得るかについて、楊氏と金氏がそれぞれの視点から語っている。
台湾の植民地経験をめぐる複雑な感情
ブッカー国際賞公式サイトのインタビューで、楊氏は『台湾漫遊鉄道のふたり』の創作動機について、国際的な読者に向けて説明した。楊氏は、同じく日本帝国の旧植民地である韓国と台湾が、植民地時代の記憶に対して異なる集団的感情を持っていることに着目したという。
韓国では、日本統治の歴史に対して強い怨恨を抱く感情が広く見られる一方、台湾人が日本統治時代に向ける感情はより複雑で、不快感とノスタルジーが交錯するものだと楊氏は指摘した。
楊氏は、現代の台湾人の視点から、過去の台湾人が置かれていた複雑な状況を解きほぐしたかったと語る。歴史を振り返ることは、単なる懐古ではなく、「私たちがどのような未来を追求すべきか」を考えるためでもあるという。
楊氏によると、2017年後半には物語の大枠を構想し、第1章を書き始めていた。正式に執筆計画を始動したのは2019年2月18日で、同年8月20日には初稿を書き上げたという。
また、楊氏は執筆に伴う「副産物」についてもユーモアを交えて語った。同作は「旅」と「食」を重要なテーマとしているため、調査やフィールドワークによって自身の生活にも変化があったとし、「最も明らかな変化は二つありました。貯金が減り、体重が増えたことです」と笑いを誘った。
文化を「トラウマ」だけで語らない視点
楊氏が歴史的な舞台を構築したとすれば、その物語を英語圏へ届けたのが翻訳家の金氏である。金氏はインタビューで、『台湾漫遊鉄道のふたり』を翻訳した理由について、自身の文学観とともに語った。
金氏は、個人的に「ただ悲惨なだけ」の歴史小説は好まないという。苦難だけが残る物語は、自身にとってかえって現実味を欠くものに感じられるとし、どれほど困難な時代であっても、人はどこかに軽やかさや深い愛情を見いだすものだと述べた。
金氏は、当時の台湾にもユーモアがあり、食があり、映画があり、学校生活があり、日常のささいな口論や恋愛があったと指摘した。そのうえで、「ある文化をそのトラウマだけに矮小化してしまうのは誤りだ」と述べた。
金氏によれば、これこそが同作を高く評価する理由である。『台湾漫遊鉄道のふたり』は、単一の被害者物語に回収されることなく、歴史の大きな流れの中にあった台湾人の日常を、豊かで立体的に描き出しているという。
翻訳の「ルール」を越えた多層的な試み
金氏にとって、『台湾漫遊鉄道のふたり』の翻訳は、文化の橋渡しであると同時に、自身の翻訳者としての大きな転機でもあった。同作は、金氏が初めて手がけた長編小説の翻訳だった。
金氏はインタビューで、当初は著者に圧倒されていたと振り返る。当時、専門家としての実績がまだ十分ではなかったため、楊氏に多くの質問をすることをためらい、著者に「自分はこの仕事に向いていない」と思われるのではないかと不安を感じていたという。金氏は、それを今後繰り返したくない過ちだったと述べている。
一方で、この不安は米国の出版社との協働を通じて解消されていった。金氏は、米独立系出版社グレイウルフ・プレス(Graywolf Press)の編集者ユカ・イガラシ氏との緊密な連携に言及した。
金氏によれば、イガラシ氏は大きな信頼を寄せ、作中の複雑に絡み合う言語や注記、脚注を大胆に処理することを認めてくれたという。金氏は、両者が「マキシマリスト的な」アプローチを取り、従来の翻訳の「ルール」をいくつも打ち破ったと表現している。
その結果、実験的で多層的な作品を共に完成させることができた。複雑さや異質性を削ぎ落とさずに残す翻訳方針は、同作の国際的評価を支える重要な要素となった。
「第二の目」としての翻訳
2026年のブッカー国際賞のテーマは「Fiction beyond borders(境界を越えるフィクション)」である。楊氏と金氏はこのテーマについて、作者と翻訳者それぞれの立場から翻訳文学の重要性を語った。
楊氏は、自分のように一つの言語しか読めない人間にとって、翻訳がなければ世界を見る視野は大きく限られてしまうと述べた。楊氏は翻訳文学を自身の「第二の目」にたとえ、翻訳者は読者を険しく未知の異郷の道へと導く、欠かせない案内人だと語った。
一方、金氏は社会批判的な視点から、観光について「しばしば気が重くなる」と述べた。十分に下調べをしたとしても、人は見知らぬ土地に身を置くと、資本主義の仕組みに巻き込まれ、意図せず現地の搾取の循環に加担してしまうことがあるという。
金氏は、理想的な旅とは、その土地をよく知る友人と一緒に歩くことだと語る。背景や文脈を説明し、深い洞察や生き生きとした物語を与えてくれる友人の存在があれば、旅は大きく変わる。金氏にとって、翻訳小説はまさにそのような友人に近い。
翻訳文学の平等性と英語圏市場への広がり
2026年は、ブッカー国際賞が現在の形式、すなわち著者と翻訳者が賞金を等分する形になってから10周年にあたる。公式インタビューによると、楊氏と金氏はいずれも、この仕組みを高く評価している。
楊氏は、過去10年間にわたり、同賞が著者と翻訳者を同等に評価してきたことに意味があると述べた。こうした平等性の重視は、翻訳文学に対する人々の理解を変える助けになるという。
楊氏は、文学翻訳が「二人の創作者による共同作業の成果」であることを、読者がより深く理解するきっかけになると指摘した。
金氏は、英語出版市場では翻訳作品の出版点数が相対的に少ないという現実に触れた。そのため、文学賞が翻訳小説と英語で書かれた小説を「同じように重要なもの」として認め、広く紹介することには大きな意味があると述べた。
金氏はまた、現在の国際社会では依然として英語が強い影響力を持つ共通語であると指摘した。ブッカー賞のような権威ある英語圏の文学賞が翻訳作品に光を当てることは、英訳作品への注目にとどまらず、作品が生まれた国や、他言語市場の出版社にも大きな関心をもたらすという。金氏は、ブッカー賞が毎年、多様で重要な物語を英語圏だけでなく世界へ押し出していると語った。
読書の原点は『ドラゴンボール』、世界観を変えた『論語』
ブッカー国際賞公式サイトは、楊氏と金氏に対し、自身に大きな影響を与えた本についても尋ねた。幼少期に読書を好きになったきっかけについて、楊氏が挙げたのは鳥山明氏の漫画『ドラゴンボール(Dragon Ball)』だった。
楊氏は、同作の連載が自身の生まれた1984年に始まり、11歳の時に終了したと振り返る。単行本は全42巻に及び、楊氏にとって『ドラゴンボール』は、読み方や物語の作り方を教えてくれた作品であり、創作者を志す出発点だったという。
作家になりたいと思ったきっかけについては、特定の一冊を挙げることはできないとしながらも、最初に小説を書こうと思った動機は、1990年代半ばに台湾で流行したロマンス小説ブームだったと明かした。中学生のころ、同級生たちと創作サークルを作ろうと決めたが、「5人のうち、書き続けたのは私だけだった」と振り返っている。
世界の見方を変えた本として、楊氏は儒教の古典『論語』を挙げた。若いころに『論語』を読んだことで、儒教思想を中心とする中国文化に強い憧れを抱き、それが大学で中国文学を専攻するきっかけになったという。
しかし成人後、『論語』は、こうした思想が歴史の中で権力にどのように利用されてきたのかを考え、問い直す原動力にもなった。楊氏は、その思索と解体を経て、最終的に自分自身の新たな思想的基盤を築こうと決意したと語っている。
金翎氏の読書体験 『マチルダ』から「ナポリの物語」へ
金氏が自力で読み終えた最初期の英語の児童向け長編作品の一つが、ロアルド・ダール氏の『マチルダは小さな大天才(Matilda)』だった。体育の授業で思うように身体が動かず、ぎこちなさを感じていた子ども時代の金氏にとって、本はその不器用さを補ってくれる存在だったという。『マチルダ』の主人公の冒険は、金氏にとって満足感があり、励まされると同時に、とても楽しいものだった。
翻訳の道に進むきっかけとなった作品として、金氏はイタリアの作家エレナ・フェッランテ氏の「ナポリの物語(The Neapolitan novels)」四部作を挙げた。アン・ゴールドスタイン氏による英訳版が大学卒業前後に大きな注目を集めていたころ、金氏自身も文学の仕事に進むべきか迷っていたという。
金氏は、このシリーズが一つの重要な事実を示してくれたと語る。それは、小説が極めて「ローカル」なものであっても、他の文化圏の読者の心をつかむことができるということだった。
同作は、翻訳市場で評価されるためには、物語が「シームレス」で「一般の英語読者にわかりやすい」ものでなければならないという古い思い込みを打ち破った。金氏は、文化的な細部や特殊性を犠牲にしなくても、普遍的な共感を獲得できる可能性をそこに見いだしたという。
注目する同業者として、金氏はアラビア語から翻訳するレリ・プライス(Leri Price)氏を挙げた。難解な物語を、感情と情報の豊かさを保ちながら明快な英語に移し替える能力を高く評価している。
金氏は、プライス氏の翻訳を読むことを、しっかりとしていながら優しい手に導かれ、見知らぬ風景の中を進んでいくようなものだと表現した。読者を迷わせないだけでなく、その道中で既成概念を揺さぶる力があるという。
楊双子氏と金翎氏が薦める台湾文学
インタビューの最後に、二人は中国語で書かれた本や、ブッカー賞の候補作について、それぞれ推薦作を挙げた。
「誰もが読むべき中国語の本」は何かと問われた楊氏は、「『人生で必ず読むべき本』と言える本は一つもないと思う」と答えた。そのうえで、漢字を使う文化圏に共通する世界観を理解したいのであれば、『論語』は倫理観の起源を知るうえで参考になると述べた。ただし楊氏は、読者に対して「疑いの目を持ってこのテキストを読むべきだ」とも助言している。
一方、金氏は台湾の新鋭作家、寺尾哲也氏の『子彈是餘生』(英題:Spent Bullets)を強く推薦した。同作は王可(ケビン・ワン)氏が英訳している。金氏によれば、同作はクィアの成長小説であると同時に、台湾学術界の過当競争を描き、米シリコンバレーとも直接つながる厳しい現実を映し出した作品だという。
金氏は同作について、BDSM、制度的な名声、うつ病、自己価値といった重いテーマを、ほかの言語の文学でも見たことがないような方法で掘り下げていると評価した。また、翻訳者である王氏の文体についても、しなやかで滑らかであり、時に抑制され、時に鋭く不穏で、読者を虚無主義的な天才の内面へと導くものだと称賛した。
国際ブッカー賞の候補作について、楊氏はここでも「誰もが読まなければならない本はない」との考えを示した。そのうえで、台湾の作家・呉明益(ゴ・メイエキ)氏の代表作『自転車泥棒(The Stolen Bicycle)』(ダリル・スターク氏訳、2018年国際ブッカー賞ロングリスト入り)を挙げ、非常に優れた小説だと語った。
金氏は、今年の候補作についてはまだ読む時間が取れていないとしながらも、『The Wax Child』を楽しみにしていると述べた。著者オルガ・ラヴン氏と翻訳者マーティン・エイトケン氏による『The Employees』を以前高く評価していたためだという。
また、昨年の候補作を振り返り、ヴィンチェンツォ・ラトロニコ氏とソフィー・ヒューズ氏による『Perfection』、市川沙央氏とポリー・バートン氏による『ハンチバック(Hunchback)』の2作品に強く心を揺さぶられたと語った。