【花蓮洪水から1年②】なぜ被災地を離れないのか 仮設住宅で暮らす夫婦が待つ「二度と立ち退かない家」 洪水災害を免れた後、陳春龍さん(左)と巴阿妹(バアメイ)さん夫妻は仮設住宅に入居したが、今もなお、再び立ち退かずに済む「家」を待ち続けている。(劉偉宏撮影)
2025年9月23日、台湾東部・花蓮県を流れる馬太鞍渓(マタアン渓)の上流で、土砂崩れでできたせき止め湖が、台風18号に伴う豪雨で越流し、大規模な洪水を引き起こした。約1540万トンの水が土砂を巻き込み、泥流となって一気に下流の光復郷へ押し寄せ、100万立方メートルを超える黒い泥が町に流れ込んだ。道路や住宅、農地、学校は一瞬にして姿を変え、死者19人、行方不明5人を出した。
せき止め湖は7月25日には林業及自然保育署(林保署)が衛星画像で確認しており、越流前日の22日夜の中央災害対策センターの集計では、1837世帯8524人が避難の対象となっていた。それでも、このうち5241人が自宅の上階にとどまる「垂直避難」を選び、犠牲者の多くは自宅1階で見つかった高齢者だった。2018年の西日本豪雨で、亡くなった51人のうち45人が65歳以上、44人が自宅で命を落とした倉敷市真備町と重なる構図だ。
災害後、台湾全土から延べ50万人超の「シャベル超人」と呼ばれるボランティアが駆けつけ、シャベルで一すくいずつ約40万トンの泥をかき出して、絶望の中から再生への道を切り開いた。それから1年、鋼製の仮橋が開通し、子どもたちは教室に戻り、仮設住宅に明かりがともり、市街地の店も次々とシャッターを上げた。だが、かき出された土砂は巨大な土の山となって乾き、風に乗って砂塵と化している。
被災者は住宅の修繕や住まいの確保、土地収用の答えを待ち続け、農家は補助金と休耕、借地契約の解除、再耕作のコストの間で身動きが取れない。上流のリスクは消えず、頻発する警報は住民の感覚をすり減らしていく。工事は一つずつ進んでも、暮らしの再建はまだ途上にある。
風傳媒(ストームメディア)グループの『新新聞』取材班は今月、再び光復を訪れた。馬太鞍渓と万里渓に沿って仮設住宅や学校、農地、集落を歩き、被災者や教師と生徒、小規模農家、山岳・渓谷救助の主任教官、村長らの話から、災害が長く残す影響を追った。シャベル超人の善意は、光復を黒い泥の中からすくい上げた。人波が去ったいま、この町は安心して住み、耕し、学び、日々を送れる条件を取り戻せるのか。それが、1年後に問われている。
台湾糖業(台糖)光復製糖工場の敷地の裏手にある仮設住宅(台湾では「中継屋」と呼ばれる)は、台9線からは見えにくい。脇道に入ると、プレハブ住宅が何列も静かに並び、数匹の犬が辺りを歩き回っている。どの家の戸口にも、頼清徳総統と蕭美琴副総統の名が入った春聯(旧正月に戸口に貼る縁起物の対句)が貼られている。扉を固く閉ざした家もあり、玄関先には靴、裏手には物干しや、住民が元の家から救い出した品々が置かれている。ここにあるのは、災害後に最も急を要した問いへの答え――「まずは、眠る場所を」だ。
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光復製糖工場近くに立ち並ぶ仮設住宅。壁には正副総統の名が入った春聯が掲げられている。家賃は無料で、入居期間は原則として最長2年。(劉偉宏撮影) 巴阿妹(バアメイ)さんが仮設住宅の扉を開けると、狭い居間があり、エアコン、冷蔵庫、棚、テーブルがそろい、2部屋に仕切られている。家賃はかからず、入居期間は原則2年まで。日本の応急仮設住宅も供与期間は原則2年以内とされており、期間の設定は近い。電気代は2カ月ごとの精算で、水道代は月700台湾ドル(約3500円)ほど。電気代がかさむのを心配して、エアコンはほとんど使わない。台所は屋外にあり、電気コンロが置かれている。一つひとつ説明する口調は落ち着いていて、ごく普通の新居を紹介しているかのようだ。だが「自分の家」と口にするとき、彼女が指すのは今もアトモにある、洪水で屋根をはがされ、ほとんど壁しか残っていないあの家だ。
洪水の前、陳春龍さんと巴阿妹さんの暮らしは、あの家と周りの土地を中心に回っていた。陳さんは農業を営み、巴阿妹さんは金針菜(ホンカンゾウのつぼみ)を栽培し、外で臨時の仕事もしていた。1ヘクタール近い農地が一家の収入を支えていた。家も田畑も仕事も同じ生活圏の中にあり、朝、家を出ればすぐ畑に立てて、親族も近くに住んでいた。災害が奪ったのは住まいだけではない。一家の仕事と暮らしの秩序も、ばらばらにしてしまった。
仮設住宅の室内は簡素で、電気代は月約700台湾ドル。巴阿妹さん一家は、電気代を抑えるためエアコンをほとんど使わない。(劉偉宏撮影)
濁流にもがく人と犬 巴阿妹さんは2階から自宅の屋根がはがされるのを見た 巴阿妹さんの家は、洪水がアトモに流れ込む最前線に面していた。水が来たとき、一家はいとこの家の2階に避難した。高い所から見下ろすと、木材やトタン、家財道具を巻き込んだ泥水が集落になだれ込み、見慣れた道が一瞬で消えた。自宅の屋根がはがされていくのを目の当たりにし、一家は泣き崩れたが、どうすることもできなかった。
混乱の中で、忘れられない光景がもう一つある。大きな黄褐色の犬が濁流にのまれて浮き沈みし、飼い主が危険を冒して引き戻した。犬の口の中は泥と砂でいっぱいだった。人も動物も濁流の中でもがき、数歩で行けたはずの家が、あっという間に近づけない場所になった。水が引くと、家の中には厚い泥が積もり、トタンはねじ曲がり、家具や日用品が泥の中に散らばっていた。家屋は半分近くが壊れ、近くの農地も土砂に埋まった。その一部は、のちに工事や土砂の仮置きなどに使われる範囲に含まれた。
最初に一家を支えたのは、次々とやって来る見知らぬボランティアたちだった。40人余りが家に入り、泥をかき出し、ねじ曲がった金属を取り外し、運び出せるものを一つずつ外へ出した。高雄から来たボランティアは2度にわたって電線を引いて電気を復旧させ、扇風機も届けてくれた。花蓮県秀林郷から来たボランティアは鶏もも肉と竹筒ご飯を持ってきて、片付けに追われる被災者がまず食事をとれるようにした。洪水は人々を家から追い出したが、見知らぬ人たちが、家へ戻る道を少しずつ切り開いていった。
花蓮県光復郷の洪水災害で、陳春龍さんと巴阿妹さん夫妻の自宅は大きな被害を受けた。当時は「シャベル超人」と呼ばれるボランティアが家の復旧を手伝った。(巴阿妹さん提供)
「被災地を離れず、集落に残る」 それでもアトモの家を思う 一家はその後、光復製糖工場近くの仮設住宅に移り、あちこちに身を寄せる日々に区切りをつけた。政府は「被災地を離れず、集落に残る(離災不離村)」の原則に基づき、23世帯65人をここに受け入れた。被害の大きかった仏祖街の被災者もここで暮らし、住民は慣れ親しんだ生活圏にとどまることができる。子どもはスクールバスで通学でき、高齢者はかつての隣人と顔を合わせられる。通院や買い物も一からやり直す必要はない。巴阿妹さん一家にとっては、少なくとも夜どこで眠るのかがようやく決まった。
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仮設住宅が日常を受け止める一方で、元の家は今も一家を引き寄せている。昼間、時間があれば、巴阿妹さん一家はアトモの家に戻り、少しずつ泥をかき出し、壁を直し、まだ使える物を拾い集める。「慣れなくても、慣れるしかない。自分の家がどんな状態でも、やっぱり自分の家だから」と巴阿妹さんは言う。この言葉は二つの場所を指している。仮設住宅は今慣れなければならない住まいであり、半壊した古い家こそ、彼女にとって本当の家なのだ。
収入の問題も、新しい住まいに移ったことで解決したわけではない。農地が耕せなくなり、農業と金針菜の栽培、臨時の仕事で成り立っていた家計は途絶えた。陳さんも巴阿妹さんも年を重ね、陳さんは関節リウマチを患っているため、選べる仕事は多くない。臨時の仕事があれば出かけていく。巴阿妹さんは「呼ばれればどこへでも行く」と言う。「被災地を離れず、集落に残る」が住む場所を残すだけで、農地も仕事もなければ、一家は結局、生計のために集落を離れざるを得なくなるかもしれない。
アトモにある半壊した家こそ、巴阿妹さんにとって本当の「我が家」だ。(劉偉宏撮影)
土地は収用できても、暮らしは切り離せない アトモの住民が収用に関心を寄せるのは、災害後、河床と堤防と集落の関係が変わってしまったからだ。大量の土砂が堆積して河床が高くなり、元の場所に安全に住めるかどうかは新たなリスク評価が必要になる。一部の土地は河川整備や工事での使用、あるいは収用の対象となる可能性がある。政府は次の災害のリスクを下げなければならない。
一方で住民は、土地を手放したら、その後どこに住み、何で生計を立てるのかを知る必要がある。代々この集落で暮らしてきた家族にとって、土地の価値は公告土地現値(行政が定める土地の評価額)や建物の評価額だけでは測れない。家の隣に農地があり、近くに親族が住み、祭儀や助け合い、互いの支え合いも、すべて一つの生活のネットワークの中にある。
同じ広さの土地と交換しても、水源や灌漑・排水、道路、仕事がなければ、元の暮らしを続けることはできない。補償が近くで新たに土地を得るのに足りなければ、住民は移転を受け入れても、落ち着く先を見つけられないかもしれない。巴阿妹さん一家が待っているのは、補償金だけではない。元の家は修理できるのか、元の場所は安全なのか、仮設住宅にはいつまで住めるのか、土地が収用されるなら補償額はどう算定されるのか、新たな住まいを集落の近くに確保できるのか――その一つひとつが、この家族の次の一歩を左右する。
こうした課題は、日本の能登半島地震の被災地とも重なる。仮設住宅での生活が長期化するなか、元の集落に戻れるのか、どこで暮らしを立て直すのかという問いは、災害後の地域に共通する重い課題だ。
答えが出るまで、一家は仮設住宅で暮らしながら半壊の家に通って片付けを続け、仕事の声がかかれば臨時の仕事に出る。室内のエアコンと冷蔵庫、二つの部屋は、確かに一家が最も苦しい時期を乗り越える支えになった。
ボランティアが切り開いた道も、一家を再び元の家に近づけてくれた。だが、住む場所を得ることと暮らしを立て直すことの間には、なお農地、収入、収用、そして集落とのつながりが横たわっている。巴阿妹さんが毎日向き合っているのは、まさにその距離だ。扉を閉めて休める住まいは手に入れた。それでも彼女は、二度と引っ越さなくていい家を待ち続けている。
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