現在、イランとイスラエルは互いを不倶戴天の敵と見なし、激しく対立している。しかし、1979年の革命によってイランが神権体制へ移行する以前、両国は極めて良好な関係にあり、頻繁な交流だけでなく、軍事面でも密接な協力関係を築いていた。
1948年の建国以来、イスラエルはアラブ世界全体と長らく敵対してきた。一方で、同じイスラム教国でありながらペルシャ人を主体とするイランは、イスラム世界において長期間、自国の首都にイスラエル大使館の設置を認める唯一の国家であった。
元台湾武官、「地下大使館」は1960年代イラン外交界の「公然の秘密」
1960年代後半、中華民国(台湾)とイランに国交があった当時、駐イラン軍事武官を務めた査顕琳(サ・ケンリン)氏は、回顧録『中東采風』に貴重な一次記録を残している。査氏の記述によれば、テヘランにあったイスラエル大使館は事実上の「地下大使館」であったという。イスラエル外交官は外交界の公式行事には一切出席せず、イラン外務省の各国大使館名簿にもその名は記されていなかった。
しかし、当時のイラン政府とイスラエルの間には「暗黙の了解」が存在した。イラン側は、イスラエル外交官が国内で他国の関係者と接触することに一切干渉しなかった。他国の外交官がイスラエル大使館に接触を求めたとしても、イラン政府が口を挟むことはなかったという。
2026年現在、イランとイスラエルがこれほどまでの友好関係にあったという過去は、もはや想像すら及ばないものとなっている。

「軍服を着ない武官」イスラエル外交官の徹底した実利主義
1967年、査氏は駐イラン軍事武官として赴任し、1971年8月の断交までその職を務めた。同氏は、台湾がイランに派遣した「最後の武官」である。
1983年に出版された著書『中東采風』には、査氏がテヘランで過ごした4年間の見聞が克明に記されており、当時のイラン軍政および社会を台湾当局者の視点から捉えた貴重な一次記録となっている。
査氏の回顧によれば、当時のテヘラン外交界において、イスラエルが「地下大使館」を構えていることは公然の秘密であった。その組織は、大使から公使、参事官、そして武官に至るまで、極めて大規模な布陣であったという。
テヘランの各国大使館による活動や、イラン政府主催の晩餐会といった公式の場にイスラエル側が出席することはなかったが、各国の外交官たちは私的な場でイスラエル側と頻繁に接触し、互いにその交流をあえて公にしない「抑制された外交」が展開されていた。
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また、査氏はイスラエル外交官の特異なスタイルについても言及している。格式や礼儀を重んじる外交界において、周辺国と常に戦時下にあったイスラエルは、虚礼を廃した徹底的な「実利主義」を貫いていた。外交官はラフな服装で、正副武官すら軍服を一切着用しなかったという。「ネクタイを締めず、スーツも着ないシャツ姿で勤務していたため、一見しただけでは何者か判別がつかなかった」と査氏は記述している。



















































