今年5月末、台湾のテレビ局TVBSが発表した台北市長選の世論調査では、現職の蔣万安(しょう・ばんあん)氏が58%、民進党の立法委員である沈伯洋(しん・はくよう)氏が30%と、両者には28ポイントの差があった。当時、4カ月後には沈氏がその差を標本誤差の範囲内にまで縮める可能性があると言っても、信じる人はほとんどいなかっただろう。
ところが9月13日、沈氏の陣営は内部調査の結果を公表し、差が一桁台にまで縮まったと主張した。さらに同月22日、信民協会は戴立安氏が設計・分析した最新の世論調査を発表。蔣氏41.7%、沈氏40.5%で、差はわずか1.2ポイントだった。大きな波乱はないとみられていた首都の市長選に、支持者が「洋流」と呼ぶ政治現象が突如として浮上した。
「洋流」は本物か 民進党内にもエコーチェンバーを疑う声
沈氏はすでに蔣氏に追いついたのか。いま台北政界で大きな話題となっている。しかし、現時点で「洋流」が台北の選挙情勢を一変させたとみるのは、まだ早い。
5月のTVBSと9月の信民協会の調査では、調査手法やサンプル構成が異なる。「58対30」から「41.7対40.5」への変化を、そのまま一本の線として捉えることはできない。最新調査についても、回答者のうち民進党支持層が32.7%、国民党支持層が24.3%だったことから、サンプル構成を巡る議論がすぐに起きた。
この調査が少なくとも示しているのは、台北市長選がすでに熱を帯びているということだ。「洋流」が選挙結果を覆すほどの力を持つのかについては、民進党内でさえまだ確信を持てていない。
ここ数日、沈氏の勢いを目にした民進党関係者の中にも、数字に現実味を感じられず、「本当にそんなに強いのか。またエコーチェンバーの中だけの現象ではないのか」と周囲に尋ねる人がいる。
こうした疑問が出るのも無理はない。昨年の大規模リコール運動で、すでに一度同じような経験をしているからだ。当時、SNS上では大きな盛り上がりが生まれ、支持者の熱気も高まった。特定の人間関係の中にいると、「台湾全体が同じ方向へ動いている」という錯覚に陥りやすかったが、最終的な投票結果は、エコーチェンバーの中で見える台湾と、実際の投票所に現れる民意が同じではないことを改めて示した。
黒熊学院の設立から台北市長選への挑戦に至るまで、曹興誠氏(左)は一貫して沈伯洋氏(右)を強く支持してきた。(資料写真、劉偉宏撮影)
沈氏は、半導体大手・聯華電子(UMC)の創業者である曹興誠氏から強く推薦され、頼清徳総統が自ら指名した民進党の台北市長候補だ。支持者が「洋流」の盛り上がりに沸く一方、民進党内の他派閥は比較的冷静に見ている。
民進党が沈氏に期待する役割 蔣氏を台北にとどめ、支持層を再び動かす
沈氏とその支持者にとって、「洋流」は形になりつつある。一方、民進党の他派閥から見れば、現在の盛り上がりがすでに従来の支持基盤を越えた力なのか、それとも黒熊学院や大規模リコール運動の支持者、従来の民進党支持層が再び集まったことで生じたものなのかは、なお検証が必要だ。
だからこそ、「41.7対40.5」という数字が正確かどうか以上に注目すべきなのは、民進党が沈氏の戦いをどう位置づけているのかという点だ。その答えは、単に「台北市長選で勝つ」という目標より複雑かもしれない。
民進党内では以前から、沈氏の出馬を一種の「犠牲打」に例える声があった。もちろん、最初から勝利を諦めているという意味ではない。沈氏が果たす政治的な役割は、最後に市長になれるかどうかだけで測るものではない、という意味だ。
蔣氏は現在、国民党内で全国的な知名度と若いイメージを持ち、中間層にも接近できる数少ない政治家の一人だ。台北市長選が最初から最後まで結果の見えた選挙になれば、終盤の1、2カ月には新北、桃園、台中、彰化などを回り、国民党候補の応援に入ることができる。
蔣万安氏は現職の台北市長で、選挙戦では現職としての優位性を持つ。(資料写真、柯承恵撮影)
しかし、沈氏が差を5ポイント前後まで縮め、ときには互角を示す世論調査も出るようになれば、蔣氏は安心して台北を離れられない。
全国的な選挙戦という視点に立てば、沈氏は必ずしも蔣氏を破る必要はない。他候補の集票を後押しする国民党の「母鶏」役である蔣氏を台北に釘付けにするだけでも、狙いの一部は達成できる。
第二の役割は、大規模リコール運動の後に熱気を失った民進党支持層を再び動かすことだ。
地方選挙で怖いのは、支持者が「どうせ勝てない」と感じ、最後には投票に行かなくなることだ。沈氏は政治的な立ち位置やキャラクターが明確で、支持者の結束も強い。
「洋流」の現在の最も分かりやすい効果は、穏健な国民党支持層を穏健な民進党支持層へと転じさせることではない。むしろ、沈静化していた民進党支持層に「この選挙は戦える」と再び感じさせることにあり、その効果はすでに表れ始めている。
これは、沈氏が最近も頻繁に台北以外で活動している理由を説明する材料にもなる。「41.7対40.5」が本当に台北市長選の互角に近い情勢を示しているのであれば、これまで小選挙区の選挙を経験せず、初めての地域選挙で首都市長に挑む候補者なら、本来は台北で地方組織を固めるだけでも時間が足りないはずだ。
台北には12の行政区があり、里長、市議、市場、地元団体、地域コミュニティなど、それぞれのネットワークを築くには時間がかかる。それでも沈氏には県市をまたいで活動する余裕がある。
沈氏を「台北市長候補」であると同時に「全国の応援要員」と考えれば、この動きは理解しやすい。台北では蔣氏を牽制し、他県市では民進党支持層を動かし、個人へのメディアの注目を党全体の選挙戦の勢いへと波及させるという構図だ。
SNSやメディア、政治的な争点、イベントなどを通じて短期間に大きな盛り上がりをつくり、それを地域を越えて広げていく。大規模リコール運動は、メディアやSNSを中心とした「空中戦」が短期間で大きな参加意識を生み出せることを示した。
しかし、問題は常に、その盛り上がりが異なる層の有権者にまで届いているかどうかだ。それこそが、「洋流」が本当に大きな流れになったのかを見極める鍵となる。
「洋流」は民進党の支持基盤を越えられるか
沈氏の支持率上昇が主に民進党支持層の回帰によるものであれば、それは「動員」である。もともと民進党に好感を持っていなかった人や、大規模リコール運動に反感を抱いていた人まで沈氏を選択肢として考え始めて初めて、「支持拡大」と呼べる。
沈氏が本当に「勝機がある」段階に入ったのであれば、今後は戦い方も変える必要がある。
台北市長を目指す候補者は、最終的には中間層へ支持を広げなければならない。交通、住宅、都市再開発、保育、教育、市の財政といった課題が、支持層だけを沸かせる政治的な攻防に徐々に取って代わる必要がある。
政策を語る言葉もより穏健なものにし、穏健な国民党支持層や強い政党支持を持たない人にも、少なくとも「沈伯洋でもいいかもしれない」と思ってもらわなければならない。
柯文哲氏は、台北市長選で民進党陣営の支持を受け、国民党候補との一騎打ちを制した唯一の候補者だ。(資料写真、林韶安撮影)
頼陣営の関係者によると、沈氏は支持者が蔣氏の家族にまで攻撃を広げることを支持せず、むしろ自ら歯止めをかけているという。選挙戦の内容にも、市政や都市問題を扱うものが増えている。
これは少なくとも、頼陣営の一部が「2026年の地方選挙で大規模リコール運動の手法をそのまま繰り返すことはできない」と認識していることを示している。
大規模リコール運動の動員の論理は、支持者に相手への反発をより強く持たせることだった。一方、市長選で最後に必要なのは、もともと自分を好んでいなかった人にも支持を検討してもらうことだ。
2014年の柯文哲(か・ぶんてつ)氏を引き合いに出し、柯氏も初出馬で台北市長になったと指摘する人もいる。しかし、柯氏と沈氏では置かれた条件が大きく異なる。
柯氏は2013年の段階ですでに政界進出を模索し始めていた。2014年には「ひまわり学生運動」後の政治的な揺れが続く中で選挙を迎えた。
さらに重要なのは、当時の国民党候補、連勝文(れん・しょうぶん)氏が現職市長ではなく、現職市長が立候補しない「オープンシート」だったことだ。
現在、沈氏が相手にしているのは再選を目指す現職の蔣氏である。蔣氏には行政トップとしての露出、市政実績、地方ネットワークがあり、すでに一度、台北市長選を戦い抜いた経験もある。
沈氏の戦い、評価の物差しは「市長当選」だけではない
だから本当に問うべきなのは、現在の沈氏に、2014年の柯氏のように国民党と民進党の従来の支持基盤を越える条件があるのかということだ。それこそが、「洋流」が台北市長選を本当に変えられるかを左右する。
頼氏と民進党にとって、沈氏の今回の戦いには、もともと一つだけの勝敗基準しかないわけではない。
最終的に蔣氏を台北に釘付けにし、大規模リコール運動後に熱意を失っていた民進党支持層を呼び戻し、その勢いを他県市へ広げることができれば、この「犠牲打」が沈氏自身の市長当選につながらなくても、全国的な選挙戦では一定の役割を果たしたことになる。
しかし、「犠牲打」にとどまらず、実際に台北市長の座を勝ち取る候補になるには、見るべき基準は一つしかない。
民進党を好まない人、大規模リコール運動に熱意を持たなかった人、さらには反感を抱いていた人までが沈氏への投票を真剣に考え始めたとき、「洋流」は初めて民進党支持層という自らの海域を越えたと言える。
それまでは、この現象が台北市長選を変えるほどの大きな潮流になるのか、それとも民進党の支持基盤が再び満ち潮を迎えたことで生じた波にすぎないのか。それが依然として、この選挙の最大の焦点である。