かつて世界を制した女王が、長い沈黙を破り再び頂点へ。11年間の苦悩と、それを乗り越えさせた「ゴルフへの愛」に迫る独占取材。
人は、愛するそのことのために、どれほど長く耐え抜くことができるだろうか。
11年前の頂点から、長い時を経て再び掴んだ栄光。「その長い歳月は、まるで天候の変わりやすい試合のようだった」——ヤニ・ツェン(曾雅妮)はそう静かに振り返る。
2025年10月、ウィストロン・レディース・オープン(Wistron Ladies Open)。その数日間、コースは深い霧に包まれていた。ウォーミングアップを終えた直後に天候不良による順延が告げられる。その繰り返される循環は、まるで彼女の選手キャリアそのもののようだった。待機、準備、期待、そして落胆。彼女は10年以上の時を費やし、再び高みへと戻ってきた。
今回、私たちは「微笑みの女王」ことヤニ・ツェンと対面し、決して諦めることのなかった夢への追走劇について語り合った。
久々の晴天、伝説との再会 取材当日は、まぶしいほどの太陽が降り注いでいた。高速鉄道の駅を出ると、暖かい空気が肌を包む。「なんて良い天気だろう、久しぶりの晴れだ」。そう心の中で呟きながら、車はゴルフ場へと向かう。窓の外にはのどかな田園風景が広がり、陽の光を浴びて輝いている。いくつもの小さな丘を越え、目的地に到着した。
コースに近づくと、遠くで一心不乱にクラブを振る人影が見えた。近づくと、彼女はこちらに気づき、少しはにかんだような笑顔を見せて挨拶をしてくれた。彼女こそが、本日の主役、ヤニ・ツェンだ。
ゴルフファンならずとも、その名を知らぬ者はいないだろう。史上最年少でメジャー4大会を制覇(キャリア・グランドスラム)し、台湾の国民的スターとなった伝説のプレーヤー。しかし、彼女はその輝かしい記録の後、長いスランプを経験することになる。それでも、彼女は心から愛するゴルフを手放そうとはしなかった。
「愛しているからこそ、諦めなかった。スランプのまま終わりたくない。自分が一番好きな姿で、コートを去りたいから」
彼女は力強い眼差しでそう語った。その言葉通り、彼女はついに霧を抜け出し、再び朝日を浴びることとなったのだ。
11年ぶりの優勝ロード 悪夢と現実の狭間で この11年間、彼女は何度も夢を見た。ティーショットを打ち、スコアボードを見上げ、フィールドに立つ夢を。しかし、その直後に悪夢で目を覚ます。頂点から陥落した後、再び優勝カップを手にするまでに11年という歳月を要した。今回の優勝までの道のりもまた、彼女のキャリア同様、未知数な変数に満ちていた。
「その時、自分に言い聞かせ続けたんです。『緊張しないで、まだ始まったばかり。あと18ホールあるんだから、試合に集中しよう、影響されるな』と」
初日の14ホールを終えた時点で、体は疲労困憊だったが、心は満たされていたという。初日のパフォーマンスについて彼女はこう語る。「手応えはありました。順位もかなり良い位置にいるとは分かっていましたが、あえてスコアは見ませんでした。見ようとも思わなかった」
翌日、残りの4ホールを消化した時点で、優勝まであと一歩のところにいることを確信した。その日はほとんど眠れなかったという。次のラウンドに備えて仮眠を取ろうとしたが、コースの光景が脳裏に焼き付いて離れない。
「考えちゃダメだと思えば思うほど、思考が止まらないんです。『もし勝ったら、スピーチで何を話そうか』なんてことまで考えてしまって」 そう言って彼女は笑った。そのユーモラスな言葉に、私も思わず笑い声を上げてしまった。
期待と、それがぬか喜びに終わることへの恐怖。彼女は緊張を抱えたまま、再びコースへと向かった。「ゆっくり、焦らないで」と自分に言い聞かせながら。「キャディにも『緊張しないように私に注意してね』と頼んだんです。そうしたら彼、『僕もすごく緊張してます』って返してきたんですよ」
(写真/葉勇宏 撮影)
涙のフィナーレ 走馬灯のように駆け巡った記憶 希望、待機、失落。この11年間、ヤニ・ツェンはこのループの中に閉じ込められていた。しかし、試合はついに最終ホールを迎え、彼女は久々にリーダーボードの最上段に立った。
その瞬間、彼女の中に湧き上がったのは感動よりも、「確認したい」という衝動だった。 「スコアボードの間違いじゃないかと疑いました。グリーンに上がって、もう一度ボードを確認したんです。3打差でリードしている!思わずスコア係の人に『これ本当?』って聞きましたよ。現実だと確信した瞬間、涙が溢れ出そうになりました」
彼女は声を震わせて語る。「最後のパットを残した時、過去のあらゆる出来事が心に押し寄せてきました。酸いも甘いも噛み分けた記憶が、まるで走馬灯のように目の前に現れたんです」
優勝が決まった瞬間、抑え込んでいた感情が爆発した。彼女はフィールドで頭を抱え、泣き崩れた。「この10年、諦めなかった自分に感謝したい。自分を誇りに思います。諦めなかったからこそ、再びこの舞台に立つことができた」
この11年は、単なる「優勝への道」ではなかった。それはヤニ・ツェンにとって、自分自身を知るための旅でもあったのだ。彼女は挑戦を受け入れ、「愛」と「不屈の精神」で、自身の人生という物語に新たな章を書き加えた。
2025年ウィストロン・レディース・オープンで優勝を果たしたヤニ・ツェン。(写真/葉勇宏 撮影)
忘れ去られた歳月 愛が重圧に変わる時 長い日々のなかで、ヤニ・ツェンは幾度となくスランプに襲われた。怪我による手術、世間からの容赦ないバッシング、そして精神的な重圧。「一時期は、ゴルフクラブを見るだけで全身が震えるほどでした」。彼女は重い口を開き、そう告白した。
観客は、選手が輝いている瞬間しか目にしない。その裏にある苦難が知られることは稀だ。若くして世界の頂点に立ち、多くの人々に愛された彼女だったが、その高みは美しく、同時に孤独でもあった。
成績が低迷し始めると、メディアや大衆の視線は疑念へと変わった。「遊び歩いているからだ」「練習不足だ」。そんな心ない言葉が彼女を襲った。「遊んでばかりで本職を忘れたことなんて、一度もありません。必死に努力していても、世間はそうは見てくれませんでした」
大衆にとって、スコアこそが全てだ。しかし、カメラの回っていない場所で、彼女は誰よりも練習を重ねていた。この11年間、彼女はずっと「自分らしさ」を探し求めていたのだ。
11年間、来る日も来る日もひたむきに練習を重ねてきたヤニ・ツェン。(写真/Leon Hung 撮影)
スマイル・クイーンの消失と再生 5歳でクラブを握って以来、ヤニ・ツェンの人生はゴルフと共にあった。「私がゴルフを選んだだけでなく、ゴルフも私を選んでくれたのだと思います。このスポーツを愛していますし、ゴルフは私に見たことのない景色を見せてくれました」
しかし、ゴルフが彼女に広い世界をもたらした一方で、逃れられない重圧も与えた。スランプに陥った数年間、「スマイル・クイーン」と呼ばれた彼女から笑顔が消え、次第に負の感情に支配されていった。「最初は楽しいからプレーしていた。でも、あの数年間は苦痛でしかありませんでした。『この道を選んだのは正しかったのか?』と自分を疑うことさえありました」
彼女は精神的なバランスを崩し、投薬治療を受けることになった。約1年間の薬物によるコントロールを経て、ようやく霧が晴れるように意識が鮮明になった時、彼女は涙ながらにこう思ったという。「どうしてこんな姿になってしまったんだろう。これは私の望んだ姿じゃない」
自身の変化を自覚した彼女は、勇敢にも「変わる」ことを決意した。記憶の中にいる、あの輝いていたヤニ・ツェンを取り戻すために。
「愛しているから」ヴィパッサナー瞑想で見つけた答え 人生に「11年」という時間はどれほど重いか。愛することのために、これほど長く耐え抜けるだろうか。挫折とネット上での誹謗中傷(サイバーブリング)を経験しながら、なぜ彼女は持ちこたえることができたのか。
「ゴルフを『愛している』から。だから諦めなかった。答えは時として、それほど単純なものなんです」 彼女は言葉を詰まらせながら語った。
自分を取り戻すため、彼女は外界と遮断された環境で行う「ヴィパッサナー瞑想」のコースに参加した。それは、より良い自分を見つけるための旅だった。「外界から隔絶され、毎日自分自身と対話しました。最も深い恐怖と向き合い、最初の5日間は毎日泣いていました。でもその後、憑き物が落ちたように心が満たされていったのです。花を眺めること、蟻の行列を見ること、あるいは中秋節に皆と柚子(ボンタン)を食べること。そんな何気ない日常に、感動と癒しを感じられるようになりました」
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過去2年間で3回、この瞑想に参加した。1回目で心の中の重荷を下ろし、2回目で心が満たされるのを感じ、3回目で「足るを知る」ことと感謝を学んだ。かつてゴルフとプレッシャーで埋め尽くされていた彼女の人生に、余白が生まれたのだ。彼女は今、自分の心と向き合い、自分に合ったペースで歩みを進めている。
常識破りの決断 左打ちパターへの転向 自己探求と並行して、彼女は技術面でも大きな賭けに出た。パッティングのスタイルを、従来の右打ちから「左打ち(レフティ)」に変えたのだ。「何かを変えなければ勝てない。そう思って、大胆な試みをしました」
左打ちに変えてからわずか1週間後、彼女は試合に臨んだ。初日の1番ホール、残ったのは非常に短い距離のパットだった。以前の彼女なら、イップスのように恐怖を感じていた場面だ。しかし、その日は違った。「アドレスに入った瞬間、鳥肌が立ちました。パッティングがあんなにも穏やかで、怖くないなんて。手が代われば、脳みそも入れ替わるみたいです」
「脳みそが入れ替わる」というユニークな表現に、現場は笑いに包まれた。しかし同時に、誰もが彼女の「変化を恐れない勇気」に敬服していた。
パッティングのスタイルを「左打ち(レフティ)」に変更したヤニ・ツェン。(写真/葉勇宏 撮影)
現在地、そして未来へ 心と向き合い、技術を一新したヤニ・ツェンの状態は、日に日に向上している。「感覚は良くなっている」と語る一方で、現実はまだ厳しい。「今年は何度も、あと1打で予選通過という試合があり、落ち込むこともありました」と悔しさを滲ませる。
そんな彼女を、コーチやチームは温かく支え続けた。「焦らないで。ここまでどれだけの道のりを歩んできたか、思い出して」と。そして、コーチは彼女にこう問いかけた。『もし手術を受ける前の君が、今の君の姿(予選落ちしても前向きに戦う姿)を知っていたら、それを受け入れられたと思う?』
試合とは、スコアや緊張、プレッシャーだけではない。そのことに気づいた彼女は、歩調を緩め、自分が最も心地よいと感じるリズムに調整した。さあ、再出発だ。
ゴルフだけの人生から、「調和」のとれた人生へ もし、自分の人生を「マンダラチャート(9マスの目標達成シート)」で表すとしたら、そこに何を書き込むだろうか。
世界ナンバーワンになる前のヤニ・ツェンにとって、そのマスのすべては「ゴルフへの愛」と「目標」で埋め尽くされていた。中心にあるのはゴルフ。周りを囲むのはフィジカルトレーニングや食事管理。それだけだった。しかし、名声と共に状況は一変する。プレーだけでなく、スポンサー対応やメディア取材といった「義務」がマスを侵食し始めた。そしてスランプに陥ると、彼女は焦りから、再びゴルフの練習比率を極端に高め、執着した。結果、過度なプレッシャーが彼女の呼吸を止めてしまったのだ。
現在のヤニ・ツェンの「マンダラチャート」には、ゴルフ以外にも多くの生活の要素が書き込まれている。(写真/Leon Hung 撮影) ゴルフだけのチャートから、人生そのもののチャートへ。彼女はメンタルを調整し続けている。「かつてのような輝かしい成績には戻れないかもしれない。でも、成長し続けている今の自分は、過去の自分をすでに超えているんです」
あの頃のような「怖いもの知らずの勇気」や「圧倒的な技術」はないかもしれない。しかし11年の歳月は、彼女に「自分が好きな姿で生きること」の大切さを教えた。「諦めていないし、まだ勝ちたいと思っている。その心持ちさえあれば、十分なんです」
次世代へのメッセージ コンフォートゾーンを抜け出せ 頂上の絶景も、谷底の暗闇も知る彼女は、その経験をもって新たな夢を紡いでいる。台湾の若い選手たちへ向けて、彼女はこう語る。「台湾には才能ある選手がたくさんいます。だからこそ伝えたい。夢に大小なんてない。教育の影響で『夢は壮大でなければならない』と思いがちだけど、そんなことはありません。重要なのは、前に進むための原動力と情熱。自分の夢を簡単に諦めないでほしい」
世界を舞台に戦ってきた先駆者として、彼女は後輩たちに「海外」へ出ることを強く勧める。「世界の舞台は常に変化しています。若いうちに、コンフォートゾーン(快適な場所)を抜け出して、海外で挑戦してほしい。もしダメだったら?家は逃げません、いつでも帰ってくればいい。でも、挑戦しなければ、外の世界がどんなものか永遠に分からないままです」
引退?いいえ、私はまだ戦いたい 近年、同世代の選手たちが次々と引退していく中で、彼女自身の心境はどうなのだろうか。 「正直に言えば、今年『引退すべきか』と考えたこともありました」 彼女は率直に明かす。しかし、その迷いはすでに晴れていた。
「難しく考えるのはやめました。『私はこのスポーツが好き。まだ打ちたい。まだ続けたい』。だからフィールドに残る。それだけです」今後の目標は、体のケアを最優先しながら、再びLPGA(米女子ツアー)やLET(欧州女子ツアー)への出場権を目指して戦い抜くことだ。
人生のほぼ全てをゴルフと共に歩んできた彼女は、力強い眼差しで語る。「私はゴルフが大好きです。自分のプレーで夢を追う選手たちを助けたいし、より多くの人にゴルフに触れてほしい。高い実績を残すことだけが全てではありません。スポーツを生活の一部にすること、それもまた素晴らしいことなのですから」
記者後記:不完全さを受け入れた「ドリーマー」 世界チャンピオンから、長いスランプへ。「彼女はどこへ行った?」「もう引退したのか?」——絶え間ない疑問の声が飛び交う中、ヤニ・ツェンは来る日も来る日も、自分自身を探索し、練習を重ねていた。
自分と和解する旅の途中で、彼女は一つの真理に辿り着いた。「人生とは、経験するためにあるものです。私は過去の自分をコピーしようとしているのではありません。全く新しい『自分』として試合に臨むのです。やりたいことをやり、自分の弱さを他人に見せることを恐れない。よりリアルで、穏やかな心で挑戦を受け入れる。後悔だけは残さないように」
かつての世界ランク1位には戻れないかもしれない。だが彼女は今、自分が何を求めているかを知り、人間として最も輝かしい時間を生きている。
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