ワーキングホリデーをきっかけに来日し、コロナ禍の困難を乗り越えた後、偶然にも不動産業界へ転職した在日台湾人のLulu氏が《風傳媒》のインタビューに応じた。当初日本に来た目的は、次のキャリアに進む前に異なる人生を体験したいという思いからだったが、今では日本に対して強い帰属意識を抱くようになったという。日本での仕事も順調に進み、旅行を通じて日本各地の環境や文化にさらに愛着を深めた。東北や北海道を訪れたことで、日本での生活を心から楽しんでいると改めて実感したと語った。
来日の経緯とコロナ禍での挑戦
日本に来た当初は、ワーキングホリデービザを利用していた。台湾では栄養士として病院で6年間勤務していたが、キャリアチェンジを決意し、30歳になる前に海外で異なる環境を体験しようと考えた。当時、ワーキングホリデーは非常に人気で、多くの友人たちは欧米やオーストラリアへ向かっていたが、Lulu氏は西洋料理に馴染みが薄く、日本食を特に好んでいたため、日本を選んだという。日本のアイドル文化に特に興味があったわけではないが、日本のドラマを通して好印象を持ち、日本への憧れが芽生えた。
来日後、最初の仕事は友人に紹介された台湾料理店でのアルバイトだった。当時は日本語力が十分ではなかったため、店側が用意した「カンペ」を持ち帰って暗記し、顧客対応に備えた。彼女は、適応期に親切なオーナーに恵まれたことを「非常に幸運だった」と振り返る。しかしその後まもなくコロナ禍が発生し、街にはほとんど人がいなくなり、店舗の客足も大幅に減少した。同僚たちが次々と台湾へ帰国する中、Lulu氏は日本に残り、長時間働くことで安定した収入を得ることができた。そして、ワーキングホリデー期間を終えた後、飲食業以外の仕事を経験することなく、直接不動産業界へ転職することになった。
不動産業界への偶然の転身
ある日、台湾人の顧客との何気ない会話の中で、相手の会社に求人があるかどうかを尋ねたところ、「空きがある」との返事を受け、履歴書を送ることになった。飲食店のオーナーに「どんな職種か確認した方がいい」とアドバイスされ、そこで初めて不動産関連の仕事だと知ったという。彼女自身、「まるで偶然、間違って飛び込んでしまったようなものだった」と振り返るが、今では不動産業界で約4年間働いている。
それでも、家族や友人、同級生たちは「あなたの性格は営業に向いている」と口を揃えた。彼女は過去にこの分野に携わった経験がなかったため、恐れを感じていたという。しかし幸運にも、コロナ禍で市場が低迷していた時期に業界に入り、会社の先輩たちも比較的時間に余裕があったため、じっくりと知識を習得できた。社内の同僚たちにすぐ質問できる環境が整っていたこともあり、基礎をしっかり築くことができた。そして、少しずつ顧客対応への恐怖心も克服し、自信を深めるようになった。

不動産業界で活躍する在日台湾人のLulu氏が、《風傳媒》のインタビューに応じた。(黃信維 撮影)
近年、台湾人の間で日本の不動産を購入する動きが増えている。投資家や住宅購入者など、様々なタイプが存在する。Lulu氏は、物件購入の判断は個人の条件と実際のニーズに基づくべきであり、市場の熱狂や他人の勧めだけで軽率に購入すべきではないと強調する。台湾人の中には、地政学的リスクを意識して日本に不動産を持つことを希望する者もいるが、実際にはそうしたケースはそれほど多くない。むしろ、台湾の高騰した不動産価格に対する不満から、日本で小さなワンルームマンションを購入する方が手頃であり、自ら住まなくても賃貸収入を得ることができるという魅力を感じている人が多い。日本の不動産投資は、台湾よりも一般的に利回りが高いことも、投資家にとって魅力的なポイントとなっている。
しかし彼女は、住宅購入は個人の財務状況に応じて慎重に決めるべきだと繰り返し強調する。誰もが日本で物件を購入すべきだとは限らないという。特定の物件を無理に勧めることはせず、客観的なアドバイスを心がけている。例えば、日本市場には「サブリース物件」が存在し、こうした物件は家賃が安く、価格も手頃だが、サブリース契約による所有権や賃貸管理の問題が複雑になるリスクがある。日本人はこのような物件を避ける傾向が強いが、台湾人顧客の中には、「将来的にサブリース契約を解除できれば、追加の利益が得られる」と考える人もおり、投資観念の違いを感じるという。
最近では、子どもの留学や将来の生活基盤を見据え、日本で不動産を購入する台湾人の親も増えている。この傾向について、彼女は「夢に流されず、財務状況を冷静に見極めた上で判断すべき」と助言する。適切なレバレッジの活用は投資メリットを高める可能性もあるが、何よりも「無理のない資金計画」が最も大切だと語った。顧客の財務状況とニーズを把握したうえで、無理な取引を促すのではなく、理性的な意思決定を支援することを常に心がけている。
日本語の壁と適応への努力
日本語力には今も課題が残っている。来日当初、語学学校に通って正規に学ぶ予定だったが、コロナ禍で多くの学校が閉鎖され、叶わなかった。そのため、日本語の学習は断片的になり、不動産会社でのビジネス文書の取り扱いや、日常の会話から少しずつ習得していった。
それでも、日本語力がさらに向上すれば、日本市場でのキャリアはより広がると考えている。仲介業者とのやり取りでは、文法ミスを指摘された際にメモを取り、次に活かす努力をしている。華人顧客とのコミュニケーションでは日本語を使う必要がないため、大きな支障にはなっていないという。
日本への帰属感と将来への思い
当初、日本に来た動機は環境を変えて異なる人生経験をするためであり、特定の要因に強く影響されたわけではなかった。しかし、時間の経過と共に、この地に対する帰属感が芽生えてきた。台湾社会では、30歳は「人生が安定しているべき」年齢と見なされることが多く、まだ模索中であると「未熟」と判断されがちだ。そのため、30歳までに何かを変えたいという思いが強く、将来振り返った時に後悔しないようにと決断を下した。日本での生活について、時には日本のドラマの曲を聴き、まるでドラマのワンシーンのような街並みを歩きながら、「生きていて良かった」と感じる瞬間があると微笑んだ。
ワーキングホリデー先の店主は、彼女が日本に適応できると考え、就労ビザの手続きをサポートしてくれた。ただし、支援できるのはビザ取得までであり、その後は自分で正規雇用を見つける必要があると説明された。さらに、コロナ禍により店舗閉鎖の可能性も伝えられたため、彼女は就職活動を開始した。しかし、コロナの影響で多くの応募先からの返事は得られなかった。
日本での生活について、Lulu氏は父親と国籍取得について話し合ったこともあった。父親は「やりたいことを思い切りやりなさい」と励ましてくれたという。この理解と応援が、彼女に安心感を与え、未来の計画を立てる支えとなった。
将来の目標について問われると、Lulu氏は「日本に長く住み続けたいという、ただそれだけのシンプルな願い」と答えた。もともと感情表現が控えめで、ディズニーランドの花火を見て周囲が涙する中でも、特に強い感動を覚えなかったと明かす。それでも、何気ない日常の中で、日本の街並みに心安らぐ瞬間が増えたという。
帰省した際には日本が恋しくなり、「ここが私の居場所だ」と強く感じるようになった。周囲からは、日本に長く滞在する決断について疑問視されたり、親元を離れることを「親不孝」と批判されたりすることもあったが、家族は彼女の選択を全面的に支えてくれた。