韓国で3日に行われた大統領選挙は、4日午前1時20分時点で80%の票が開票され、共に民主党の大統領候補、李在明(イ・ジェミョン)氏が48.37%の支持率を獲得。金文洙(キム・ムンス)氏の42.93%と李俊碩(イ・ジュンソク)氏の7.64%を上回り、リードしている。勝利が確実となった李在明氏は4日未明に勝利演説を行い、「国民から与えられた銃で国民を脅かし、軍事クーデターを起こすことは断じて許さない。全力を尽くして経済を活性化し、国民生活を回復させる」と訴えた。
韓国で3日に行われた第21代大統領選挙は、4日未明に開票が終了し、「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)氏が49.42%の得票率で当選した。対立候補である「国民の力党」の金文洙(キム・ムンス)氏は41.15%、改革新党の李俊錫(イ・ジュンソク)氏は8.34%にとどまった。
中央選挙管理委員会は4日朝、全体会議を開いて投票結果を正式に承認し、李在明氏を第21代大統領に確定。同日午前6時21分、代理大統領を務めていた李周浩(イ・ジュホ)副首相兼教育部長官から大統領権限が引き継がれた。
李氏は当選確実が伝えられた後、ソウル・汝矣島の民主党本部で花束を受け取り、市民に両腕を掲げて挨拶。「最優先任務は内乱の克服だ。国民から与えられた銃で軍事クーデターを起こすような行為は断じて許されない」と述べた上で、「経済の活性化と国民生活の回復に全力を尽くす」と力を込めた。
貧しい家庭出身の新大統領
聯合ニュースによると、李在明氏は、韓国北部の慶尚北道安東で開拓農家の家庭に生まれ育った。本人も「銀のスプーンどころか木のスプーンすら持っていなかった」と語るほどの貧困生活を経験。幼少期には、市場で腐った果物を拾って食べ、母親は市場の公衆トイレの掃除やトイレットペーパー販売で生計を支えたという。5男2女の5番目として育ち、姉2人は幼い頃に亡くなっている。

小学校へは山道を5キロ歩いて通い、卒業後は京畿道城南市に移住。進学を諦めて6年間、児童労働に従事した。時計工場では塗装作業中に嗅覚障害を患い、野球用グローブ工場では左腕をプレス機に挟まれ骨折。以降、左腕は曲がったままとなった。過酷な労働環境から抜け出すため、独学で高校卒業認定試験を受けた。
その後、奨学金を得て1982年に中央大学法学部へ進学。人権弁護士として活動を始めた。本人によれば、人生の目標は「いじめられない」「貧しさから抜け出す」「自由に生きる」の3つだったという。
政界入り後は、城南市長や京畿道知事などを歴任。2022年には尹錫悦(ユン・ソンニョル)氏との大統領選に敗れたが、野党第一党「共に民主党」の党首として再起し、今回の選挙で再び大統領選に挑んだ。国会議員選挙でも党を勝利に導き、政権交代を果たした。 (関連記事: 韓国・大統領補欠選挙で李在明氏が当選確実 尹政権の弾劾受け緊急実施、政治混乱に終止符へ | 関連記事をもっと読む )
李在明時代が今日から始まる
聯合ニュースによれば、今回の選挙で李氏が勝利した背景には、尹錫悦政権や「国民の力党」に対する国民の審判という側面があったとされる。李氏は「即戦力の大統領」という評価を受けており、今後5年間は、与党が国会過半数を占める体制で政策を進めていくことになる。共に民主党は現在、300議席中171議席を有している。