1989年の六四天安門事件から36年、中国の民主活動家・劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞してから15年の節目を迎えた6月3日午後、東京都千代田区の衆議院第一議員会館で、「劉暁波とは何者か——一九・六四天安門事件36周年記念」と題する記念集会が開かれた。
中国の人権状況が一段と悪化する中、会場には学者や人権活動家、民族少数派の代表らが登壇し、劉氏の思想と行動を振り返りながら、今後の民主化の可能性について意見を交わした。

「中国共産党の存在が問題の核心」──牧野聖修氏
冒頭、司会を務めた井出慶太郎氏が集会の趣旨を説明し、参加者に撮影を控えるよう呼びかけた後、会場では天安門事件の犠牲者に対して1分間の黙祷が捧げられた。

主催者代表の元衆議院議員・牧野聖修氏は開会挨拶で、「1989年に北京で若者たちが示した自由への意志は、閃光のように世界中の政治改革に影響を与えた」と回顧。学生たちを非暴力で支持した劉氏が、その後も投獄を繰り返されながら《零八憲章》を発表し、ノーベル平和賞を受賞するも、獄中で死亡した現実を重く受け止めたとした。
「我々は何度も抗議し、声を上げ、決議を通してきたが、人権状況は悪化の一途をたどっている」と述べ、「中国共産党の存在そのものが問題の核心だ。チベット、香港、台湾、そして日本にとっても無関係ではない。今こそ行動すべき時だ」と訴えた。
「自由とは、読みたい本を読み、言いたいことを言えること」──及川淳子教授
中央大学教授・及川淳子氏は「劉暁波の思想と行動」と題した基調講演を行い、20年前に夫妻と知り合った経験をもとに「自由とは、読みたい本を読み、言いたいことを言い、会いたい人に会えること。それがどれほど貴重なことかを教えてくれた」と語った。

劉氏が手渡した反日感情をテーマにした原稿の入ったフロッピーディスクや、日本で翻訳出版された自身の著作についても紹介。「彼は出版されていたことすら知らなかった」と述懐した。
また、1989年にアメリカから帰国した際の劉氏の覚悟について、「帰れば人生が変わると分かっていても、『戻らなければならない』と言った」と紹介した。
「私は敵を持たない」──非暴力と寛容の精神
及川氏は、劉氏が裁判で述べた「私は敵を持たない」という有名な言葉について、「中国共産党の弾圧を否定するのではなく、愛と寛容によって敵意を乗り越えようとする姿勢だ」と解説した。
また、「自由への憧れを止めることは誰にもできない。中国は必ず法治国家になる」という劉氏の信念に触れ、「今の中国の姿を見ると疑念を抱くこともあるが、それでもこの言葉を忘れてはならない」と語った。 (関連記事: 米中AI戦争に異変!習近平氏「AIは核ではなく電力だ」発言の真意とは? | 関連記事をもっと読む )
《零八憲章》の意義については、「中国国内の知識人たちが実名で訴えた民主化への切実な声であり、非暴力・民間起点・敵を持たぬという3つの思想こそが彼の核心だった」とまとめた。