インフルエンサーの館長(陳之漢)は近日、中国本土を旅行し、全行程をライブ配信すると発表し、自身を「平和の使者」と称している。陸委会の官員はこれを皮肉り、この時代に「平和の使者」と自称する者はいないと述べた。注目されるのは、民進党政権の見解において、「平和の使者」と名乗れないのは一体どのような時代なのかという点だ。それは戦争の時代なのか、敵対関係にある時代なのか、それとも戒厳令と白色テロが支配していた時代なのか――。
陸委会は明確な説明を避けたものの、実際の動きは活発だ。
中国の学者が指摘したように、頼清徳総統の5月20日の就任1周年演説では両岸関係への言及はなかったが、台湾独立に向けた動きは「言わずに実行している」との見方もある。陸委会は、中国共産党の宣伝画像を転載したとして、台湾の芸能人20人を対象に調査・処分の方針を明らかにした。陸委会は台湾の芸能人20人をピックアップし、中共のプロパガンダ絵葉書を共有した件で調査を行っている。民進党の中国部門は、欧陽娜娜氏を含む12名の芸能人を名指しで、彼らが軍事、宣伝、娯楽を貫く「統一戦線(統戦)ネットワーク」の一環であると指摘している。
最新の動きとして、北京で開催された第2回「両岸中華文化サミット」が閉幕した直後、陸委会はすぐさま旺中グループを名指しで批判。「中国共産党による対台湾統一戦線的な宣伝に呼応し、我が国の主権を損ない、国家の利益を著しく害する行為である」として、強い非難の声明を発表した。さらに陸委会は、同メディアグループの行動が《両岸人民関係条例》に違反していないか精査する意向も明らかにした。
総統は「条件付き統一」を提起できるのに、インフルエンサーや芸能人は自己のアイデンティティを持つことが許されないのか
これは奇妙でありえない時代である。大統領は「大企業・中小企業の合併論」を持ち出し、大企業に条件を提示して交渉を進める一方で、ネット有名人や芸能人は自分の考えやアイデンティティをもとに中国側と接触・交流することが許されない。大統領は憲法を「災難」と表現しながらも、《両岸人民関係条例》には一切言及しない。しかし陸委会などの関連部門は、《両岸人民関係条例》を盾に市民のあらゆる動きを監視し、少しでも問題があれば厳しい処分を課そうとしている。
政府自らが両岸関係の監視隊を名乗り、黒熊や青鳥といった側翼勢力が跋扈する言論空間では、「赤い帽子」が飛び交う状況だ。党の方針に合わない意見や気に入らない発言には、すぐに「親中派」のレッドカードを突きつけられる。台湾で陸配(大陸出身の配偶者)である劉振亜(通称・アヤ)氏の事件が大きな話題となった際、ある報道関係者が陸委会の記者会見で、アヤ氏の動画が「武力統一の宣伝」と同じかどうかをただしたところ、ネット上で「親中派記者」と罵倒される投稿が相次いだ。
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与党が「大規模なリコール運動」を積極的に推進する中、あらゆることが過剰に騒がれる傾向がある。
例えば4月、一部メディアはレーサーであり「霧峰林家」の末裔である人物が、公然とリコールを支持し、ボランティアにも参加して「急速に赤化(共産化)しつつある国会の混乱に直面して、簡単に頭を下げて敗北するわけにはいかない」と強調したと報じた。
この「赤化」という言葉が出ると、当然ながら「文字が読めず衛生観念もない」と批判される「支語監視隊(中国寄りの言動や用語の使用を監視・批判する人たちのこと)」の存在も思い起こされる。今や「寢室」、「本科」といった言葉さえ彼らの目に触れると問題視され、物理の先生が「質量」という専門用語を説明するだけで、赤化用語だと指摘される。
民進党の中国部門は5月29日、王心凌、張韶涵、呉慷仁、楊丞琳、王力宏、欧陽娜娜(写真)、欧陽娣娣を含む12名の芸能人を名指しで、「中国共産党の浸透プロジェクト」に協力し、軍事、宣伝、娯楽を貫く「統戦チェーン」を構築していると述べた。(IG/nanaouyang より転載)「転型正義」は政治的な詐術であり、心の奥では「反共」の白色テロを懐かしんでいる
「赤化」という言葉は実に古臭い。冷戦と内戦という「二重の戦争」時代の用語が、民主化から数十年経った今もなお使われ続けているのは、ひとつのことを物語っている。それは、「転型正義」が完全に欺瞞的な政治的レトリックに過ぎないということである。実際のところ、与党とその支持者たちに白色テロに反対する者などいるだろうか。彼らは一日中「反共」を叫び、「親中派」を罵倒し、共産主義者を弾圧・粛清した白色テロを支持していると言っても過言ではない。むしろ彼らは白色テロの復活を望み、「親中派」を一掃して馬場町刑場に送り込むことを願っているのかもしれない。
歴史の視点から見れば、「親中派」や「赤化」といったレッテル貼りは、ひとつ間違えば自らの祖先を侮辱することになりかねない。たとえば、「赤化」を目の敵にしている「霧峰林家」の末裔には、林献堂という人物がいる。彼は日本統治時代の1936年3月、台灣新民報が組織した華南視察団に参加し、上海で華僑団体から歓迎を受けた際の挨拶で、「林某、祖国に帰還いたしました」と発言した。これが日本のスパイによって密告された。その後、同年6月17日に台中公園で開かれた「台湾始政記念日祝賀園遊会」に招かれた際、日本台湾軍の参謀長・荻洲立兵の指示を受けた右翼活動家・賣間善兵衛に公衆の面前で平手打ちされ、「非国民(売国奴)」と罵倒された。この出来事は後に「祖国事件」として歴史に記されている。
林献堂が日本の高等警察に取り調べを受けた際、彼は毅然とこう答えたという。
「私の祖先の墓は中国大陸にあり、両親が所属していた国も中国です。であれば、なぜ私の祖国ではないのですか? それ以外に、私はどの国を祖国と呼べばいいのでしょうか。辞書を調べて、『祖国』の定義をよく確認してみてください。」林献堂が参加した中国大陸への視察団は、滞在中に各方面から歓待を受け、「祖国に心を寄せている」と自らの立場を明言した。これは、現在の与党が定義するところの「統一戦線工作(統戦)」そのものに相当する。日本統治時代に台湾の文化啓蒙活動に大きく貢献した林献堂だが、彼自身、おそらくこうした行動が日本から平手打ちを受けるだけでなく、もし彼が現代に生きていれば、《両岸人民関係条例》に基づき陸委会から調査の対象とされ、自らの子孫からも「親中派(中国に媚びる者)」と批判される可能性が高いなどとは、想像もしなかっただろう。
霧峰林家の林獻堂は、日本統治時代に中国大陸の探査団に参加し、対岸で「林某は、祖国に帰還いたしました」と発言し、台湾に戻った後、日本の右翼活動家に公然と叩かれた。この事件は「祖国事件」として知られている。(ウィキペディアのパブリックドメインより転載)館長と旺中、立場は異なれど行き着いた先は同じ──台湾の民主主義は茶番ではなく、もはや不条理な悲劇である
林献堂はその時代において特異な存在だったわけではない。台湾が日本の植民統治から解放された「光復」後、多くの熱血青年たちは、国民党政権の掲げる「白色祖国」に失望し、代わって共産党による「赤色祖国」に希望を託した。当時「台湾四大才子」と称された許強、呂赫若、郭琇琮、呉思漢は、いずれも中国共産党の地下組織に参加し、最終的には国民党政権の銃口の前に倒れた。彼らが命を賭して追い求めた理想とは、まさに「台湾の赤化」だったのではないか。なかには処刑直前、「中国共産党万歳!」「毛沢東万歳!」と叫んだ者もいた。問いたい。彼らの「紅い青春」は、「親中行為」と断じられるべきものなのだろうか。仮に歴史に触れないとしても、現状を見るだけで明らかだ。今日の台湾と中国大陸の関係は極めて密接であり、国際秩序において「東昇西降(東の台頭と西の衰退)」はもはや否定しがたい現実である。もし「親中か否か」を一律に線引きするなら、それを免れ得るのは「脱中国・北上(=親米・親日)」の立場を取る者だけだろう。あるいは、「罷免国民党」を訴える署名運動に参加した者だけが、「親中ではない」と忠誠心を証明できるというのだろうか。かつて「反紅メディア(反旺中)」の急先鋒だったYouTuber・館長は、今や「両岸の平和親善大使」を名乗ろうとしている。その結果、親中と非難された旺中グループと同様、「親中派」として糾弾され、「中共同路人(共産党の協力者)」の烙印を押されるに至った。これは冗談ではなく、台湾の「民主政治」が、どこまでも滑稽で、そして悲痛なまでに不条理であることを示す、象徴的な悲劇である。
「親中派(“中国に媚びる者”)」というレッテル貼りは、台湾社会が国民党と民進党による共犯的な冷戦イデオロギーの枠組みにいかに縛られているかを浮き彫りにしている。そこでは、無知が正義とされ、歴史への背信が誇りある功績にすり替えられ、ヒステリックな言動が理性的な批評として扱われる。他者を罵っているようで、実のところ自らを貶めている――なんと哀れな姿だろうか。