最近、ネットで「中国時報-尚青論壇」の投稿を読んでいたとき、「中共同路人」――より正確に言えば「中国同路人」としての誇りを語る若者たち、史学勤氏、許明偉氏、游智彬氏、何溢誠氏の言葉に触れ、1970年代に「保釣運動」や「和平統一運動」に関わった自分の記憶がよみがえった。思わず「微斯人、吾誰与帰(この人あらざれば、誰によりて帰せん)」という思いが浮かんだ。
「中華民国」という国号はこのまま消えてしまうのか――。
1981年に「葉九条」が発表される以前、中国大陸からの招待を受けて北京を訪れた。孫中山の旧居がある鉄獅子胡同で、社科院台湾研究所の研究者たちと数日間にわたって意見交換を行った。その中で特に議論が白熱したのは「和平交渉の相手は誰か?」という点だった。
私(筆者)は、当時の台湾与党である国民党と対等な立場で交渉すべきだと主張した。相手側は「国民党が本当に台湾人を代表できるのか?」と問いかけてきたが、私は1971年の国連2758号決議以降、蒋介石父子が国民党を「台湾化」するために、許信良氏や張俊宏氏ら台湾出身の若手を積極的に登用し、地方のリーダーを党の要職に据えてきたことを指摘した。当時の統計では、本省人党員の割合は85%に達しており、国民党との交渉が「台湾人の利益に反する」とは言えないはずだと述べた。「葉九条」は、国民党に、そして台湾人に希望を託す内容だった。
その後の議論で争点となったのは、統一後の台湾の政治的地位だった。多くの参加者は「自治区」として位置づけるべきだとしたが、私は異を唱えた。台湾には高山族などの少数民族が存在するものの、人口比率は低く分散しており、「自治区」よりも「特別行政区」の方が現実的だと主張した。かつて海南島も省になる前は「特別行政区」と呼ばれていた。
許明偉氏と游智彬氏は、「中華民国」という名前を使って中国との統一交渉ができるのか、そして統一後にその国号が消滅するのかという、根本的な問題を提起した。

外交部は2020年9月2日、新デザインのパスポートカバー(右)を正式発表。従来の構成を維持しつつ、「TAIWAN」の表記を大きくし、英語の国名「REPUBLIC OF CHINA」は国章の外周に配置された。画像は新旧パスポートの比較。(写真/盧逸峰撮影)
この点に関して、「葉九条」は明確に、交渉の主体は「中華人民共和国」と「中華民国」ではなく、中国共産党と国民党の政党間交渉であると示していた。鄧小平氏も1983年に、「国号・国旗・国歌も交渉の対象になる」と言いつつ、「国際社会で中国を代表するのはあくまで『中華人民共和国』だ」と強調している。1997年には汪道涵氏が「一つの中国は『中華人民共和国』でも『中華民国』でもない」と語っており、将来の統一国家が新しい国号を持つ可能性があるという考え方も出てきた。つまり、「中華民国」の名称は、国際舞台から姿を消すリスクがある。
最近の台湾のパスポートにも変化が見られる。「CHINA」との混同を避けるため、「TAIWAN」の文字が強調されたデザインになっている。
許明偉氏は、現実的な見方をしている。もし将来、政治的な統一がなされた場合、「中華民国」という国名は消え、「Taiwan」の名称も「中国台湾」あるいは「中国台湾特別行政区」に変更される可能性が高い。五院(行政・立法・司法・考試・監察)は改組または改称され、総統は「行政長官」などに変わり、総統府も「特区政府」となるかもしれない。つまり、現在の制度や名称は、歴史の中に姿を消すことになる。
それでも許氏は、「国号が消えても、我々は何も失わない」と語る。守るべきは「中華民国」という四文字ではなく、その背後にある人々の生活、信じてきた制度、積み上げてきた尊厳だと述べている。
さらに彼は、名前を守ることだけに固執し、市民の生活や未来を顧みない立場ではないと強調する。もし台湾人の自由、制度、財産、言語、宗教、選挙といった要素が確保されるならば、「一つの国」という提案にも交渉の余地はあるという。ただし、尊厳や制度、暮らしをすべて奪うならば、徹底的に抵抗するとも語った。
この視点について「葉九条」はすでに答えている。台湾に高度な自治を認め、社会や経済制度、生活様式、他国との関係性が変わらないこと、私有財産や相続、企業の所有権、外国投資の保護まで明記されており、制度の枠組みを維持したまま統一の可能性を模索する形が提示されている。
「中華民国」は中国近代史の一ページ、重要な象徴として伝え続けるべき
游智彬氏は、将来的に中台間で交渉のテーブルに「中華民国」が着くためには、まずその歴史的な貢献を正しく評価することが不可欠だと語る。たとえば、帝政の打倒や共和国の建設、北伐による中国の統一、抗日戦争の勝利、台湾の「光復」、不平等条約の撤廃、さらには中国が国連安保理の常任理事国になったことなど、いずれも「中華民国」が果たしてきた重要な役割と見るべきだという。
加えて、台湾における「中華民国」の成果、特に蒋介石・蒋経国父子による統治の評価も欠かせないと述べた。「もし蒋介石父子がいなければ、今日の『中華民国』は存在していなかった。その功績を否定することは、すなわち『中華民国』そのものを否定することになる。そんな状態で交渉の場に着くことなどできない」と強調した。
一方で、歴史家の間では「中華民国」はあくまで過渡的な政権とする見方も根強い。現在の国民党についても、前主席の洪秀柱氏が「党の魂も徳も、リーダーシップも失った」と指摘しており、孫文の理念に立ち返らなければ、「二岸の平和統一」を語る資格はないとする声もある。
1927年、蔣介石が孫文の「ソ連との連携、共産党との協力、労働者・農民の支援」という三大政策を裏切り、共産党を弾圧した時代以前の国民党の姿には、思うところが多い。小学生の頃に歌った《総理紀念歌》の歌詞が今でも頭に残っている。

1924年1月20日〜30日、孫文(孫中山)氏は広州で中国国民党の第1回全国代表大会を開催。大会では綱領と党章が採択され、「ソ連との連携、共産党との協力、農民・労働者の支援」という三大政策が確認された。(引用:ウィキペディア・パブリックドメイン)
農工の家に生まれた筆者にとって、北伐民謡の歌詞は特別な響きを持つ。「中国国民の意気高く、夜を徹して農に励み、協力し稲を育てる。地権の平等、革命の成功、人類の進化、世界は大同へ——青天白日満地紅。」
このような歌詞が描くのは、黄埔軍校を中核に、労働者・農民を主力とした国民革命軍の姿。約2年間(1926~1928年)で各地の軍閥を掃討した歴史がある。
かつての国民党は、遠大な理想を掲げ、進歩を求める革命政党だった。「青天白日満地紅」はその象徴であり、国旗として掲げられたその旋律や歌詞にも誇りが込められていた。
「山川は壮麗、物産は豊か。炎黄の子孫としてアジアに立ち、卑下せず、閉じこもらず、民族を輝かせ、世界の大同を目指す——青天白日満地紅。」
この歌も、毎朝の国旗掲揚の際に歌っていたものだ。今でもその一節一節が心に残っている。
ほんの少しの意志と行動で、「中華民国」の史跡を保存し、歴史の中にその名を刻むことは可能だと思う。「中華民国」は、確かに中国近代史の重要な1ページとして残されるべき存在だ。
個人的には、「黄花崗起義」こそが辛亥革命の中で最も象徴的な事件だと考えている。それ以前の多くの革命は秘密結社主導だったが、この蜂起では多くの若い知識人が命を落とした。その意義は非常に大きく、記念日として国定祝日にしてもよいのではないかと思う。
「青天白日満地紅」の旗とその旋律を、「台湾特別行政区」の区旗・区歌として残すという案にも賛成だ。
一方、許明偉氏は「『中華民国』という国号がなくなっても大丈夫だ」と考えているという。なぜなら、「その最も良い部分は、次に受け継がれる名前に残ったからだ」と話す。その“次”とは「中華人民共和国」だ。許氏は、「『中華民国』が消えること以上に怖いのは、自分たちが誰なのかを忘れることだ」と語っている。
「中共同路人」は侮辱か、それとも誇りか
譚傳紹氏は、「『中共同路人』という言葉は侮辱ではなく、むしろ受け入れるべきものだ」と語る。一方、史学勤氏もこう述べる――「もし誰かに『中共同路人』と呼ばれたら、私は真剣に伝えたい。私は『中国同路人』だ。それは単なる言葉遊びではなく、中華民族の一員であるという自覚、そして若い世代が平和と共栄を願う気持ちの現れだ」と。
史氏は、この認識は単なるラベルではなく、私たちの言語、記憶、文化生活に深く根ざしていると指摘する。「中国同路人」として、私たちは何千年にもわたる文明の詩情や優しさを共有しており、近代化に向かう中で築かれた成果に誇りを持っている。
台湾の立場から見れば、中国の歩みを客観的に評価することが可能だ。もしその道が台湾にとっても利益と幸福をもたらすのなら、なぜ選ばないのか。海外の人たちでさえ、良い道を求めて動いている。私たちには幸せな道を歩むための優位性があるのに、それを自ら手放す必要はあるのか――史氏はそう問いかける。
急速な技術発展や経済成長、かつての貧困から脱して国際舞台に立つ今の中国は、全ての中国人の知恵と努力の結晶であり、中華民族の共通の財産でもある。中国の台頭にともない、左右の立場を超えて協力し、海峡を越えて共に栄え、「同根同源」のあたたかさを家庭を守る力に変えていくことができる。必要なのは多くない。争いではなく、手を取り合い、共に明るい未来を築こうとする気持ちだけだ。
台湾と中国大陸は、同じ祖先の知恵と努力によって守られてきた土地に根を持っている。山や川、海峡を越えて、この地は私たちが生まれ、育ち、共に未来を築いていく場所だ。古い故郷も新しい住まいも、すべてが「我が家」と言える存在であり、そこからさらなる富と誇りを生み出すことができる。
史氏は「私たちは台湾で生まれ育った台湾人だが、中国の血を引き継いでいる」と話す。そして「私はあなたに『中国同路人』としてのあたたかさを込めて呼んでほしい。私たちが望むのは平和で、純粋な願いだ。台湾の人々が無意味な抵抗に押しつぶされることなく、次の世代の夢がもっと自由に、もっと大きな空へ羽ばたいていってほしい」と語った。

2022年3月4日、台湾独立建国同盟や台湾制憲基金会、台湾基進党、台北市議会議員の苗博雅氏らが「中共同路人、呉斯懷は辞めろ」と題した記者会見を開催。国民党立法委員の呉斯懷氏が過去の発言で中国のプロパガンダを擁護したとして批判し、「疑米論」を主張した。(写真/柯承惠撮影)
譚氏は、「同路人」とは、共に同じ目標を目指し、成果や恩恵を分かち合う人々のことだと定義する。その中には、称賛に値する人物や、学ぶべき存在も含まれるという。つまり「同路人」とは、肯定され、学ばれるべき存在であり、批判の対象ではない。
かつて貧しかった中国を、今や世界に誇れる先進国へと変えた中国式の現代化。その背後には音楽や歌詞にも表れるような、中国人としての誇りがある。「中共同路人」という言葉には、本来なんの問題もなく、むしろ称賛されるべき意味があると語る。
現在、台湾こそが中国大陸を「敵」と見なすべきでない地域であり、最もその地理的・歴史的・文化的・血縁的な利点を活かせる場所でもある。それにもかかわらず、誤った情報やイデオロギーによって「中共同路人」という言葉に対する根拠のない恐怖や誤解が広まり、それはまったく無意味なことだと指摘する。
譚氏は「私たちは中国大陸と同じルーツを持ち、文化を共有し、共に民族の夢を抱いている」と語り、中国の統治と成就は国際社会でも受け入れられていると続ける。そして、「中共同路人」は侮辱ではなく誇りであり、アメリカに媚びることもなく、尊厳を持って世界に立ち向かえる存在だと述べる。「中国人であることを誇りに思い、堂々と名乗ろう。『中共同路人』というレッテルを恐れる必要はない。私は、『中国同路人』である」と語った。
海外在住の「老釣魚」たちは台湾独立と統一をどう見ているか
米国に住む中国人の何溢誠氏は、アメリカでは台湾海峡の戦争や二岸の混乱を懸念する声が多く、これはアメリカ流の「威嚇理論」に基づいた典型的な情報戦だと述べた。メディアでは頻繁に中国軍による台湾侵攻のシナリオが取り上げられ、日時や方法を予測する報道もあり、それが地政学的な目的で分断と結託を煽っているという。
こうした状況に対し、何氏は「中国はアメリカの覇権的圧力に唯一真っ向から立ち向かい、自らの尊厳を守ってきた国だ」と話す。これは甘えではなく、自信と誇りに裏打ちされた行動だとも語った。
また中国政府はこれまで繰り返し、「台湾問題は中国人同士の問題であり、外国の干渉なく話し合いで解決すべきだ」と明言してきた。北京は台湾の各政党や代表者に対し、協議と提案を呼びかけており、両岸の人々は同じルーツを持ち、知恵と努力でこの地を守ってきた存在だと主張する。
中華民族の復興は共通の夢であり、台湾の人々がこの夢の中に欠けてはならない存在だ、と何氏は語る。未来の世代がより豊かに暮らせるよう、繁栄と幸福を共有するべきだと主張する。
「尚青論壇」においても、台湾独立に対してさまざまな意見が出ているが、穏やかで平和な統一を望む声は次第に明確になってきており、その実現の日も近づいているとみられる。