「最も美しいNBA日本人記者」として知られる宮河マヤさんは、スポーツインフルエンサー、インタビュアー、そしてバックラインスタイリストとして幅広く活躍している。今回、彼女は『風傳媒』の独占インタビューに応じ、これまでのキャリアや内面の変化、そして近年ますます強まる台湾とのつながりについて語った。

台湾のファンとの関係について尋ねられると、マヤさんは「台湾の皆さんは、日本にいるときも変わらず愛と応援を届けてくれます。本当に感謝しています」と話し、台湾は「第二の故郷」のような存在だと語った。「これからももっと素敵な思い出がつくれたら嬉しいです」と、穏やかな笑顔を見せた。
オランダ生まれ、日本育ち──三か国語を操るスポーツウーマン
マヤさんはオランダで生まれ、日本で育った。インターナショナルスクールに通っていたこともあり、日本語、英語、中国語を自在に操るトリリンガルでもある。運動好きだった彼女が本格的にフィットネスに取り組むようになったのは19歳の頃。当時は不安定なダイエットを繰り返しており、「雑誌で見たジムに足を運んでみたことがすべての始まりでした」と振り返る。
「体は3~6ヶ月で確実に変化することを知りました。とくにバックラインの筋肉を意識して鍛えることで、見た目もメンタルも前向きになれたんです」

NBAの取材に奔走する日々のなか、マヤさんが初めて台湾を訪れたのは2年前のことだった。コロナ禍によって3年間旅行を控えていたこともあり、「一人でどこかへ行きたかった」と話す。その旅は、人生に大きな影響を与えるものとなった。
「仕事を始めたのが早かった分、今後の人生で何を本当に求めているのかを考える時期に入っていました。そんなとき、SNSで『台湾に来て!』というコメントがたくさん届いたのが、訪問のきっかけです」その旅が彼女に与えた癒やしと気づきは、いまも強く心に残っているという。
台湾は「第二の故郷」――予想外の人気と感謝の気持ち
台湾での反響は、彼女の予想を大きく上回るものだった。「まさかここまで注目されるとは思いませんでした。空港や街中、ホテルでも声をかけられて、本当に驚きました」と語る。想像以上の注目に喜びを感じる一方で、「自分の実力以上の評価を受けているのでは」と不安に駆られ、自信を失いそうになったこともあるという。時にはインポスター症候群のような感覚に陥り、自分を必要以上に追い込んでしまったと振り返る。

そうした不安は、実際に台湾を訪れ、人々と触れ合う中で徐々に癒されていった。「多くの人が気軽に声をかけてくれて、観光に連れて行ってくれたり、ご飯をご馳走してくれたり。本当にこれまで経験したことのない温かさを感じました」と話し、台湾が特別な場所になった理由を明かす。この2年間、多くの新しい出会いや体験を通して自分自身と向き合い、「ありのままの自分でいい」と思えるようになったという。マヤさんにとって、台湾は心と身体の成長を促してくれた大切な場所だ。
人生を変えた台湾旅行、SNSから始まった旅路
「すべての経験や出会い、決断には意味があると思います。それらが一本の線で繋がって、今の道に導いてくれているように感じます」と語るマヤさん。もしバスケットボールの仕事に関わっていなければ、もし旅先に台湾を選んでいなければ、今のような大切な出会いはなかっただろうと話す。SNSを通じて台湾に関心を持ったことが、人生の大きな転機となった。

この旅を機に台湾との関係は深まり、始球式への参加などをきっかけに度々現地を訪れるようになった。「この2年間で、すでに6〜7回台湾を訪れました。ここは私にとって“第二の故郷”のような存在です」と話し、その表情には深い愛情と感謝がにじんでいた。
起業からブランド運営まで、一人でこなす多岐の業務
今後挑戦したいことについて尋ねられると、マヤさんは「新しいジャンルというよりは、今やっているフィットネスやスポーツ、観光、そしてグローバルな活動を引き続き追求していきたい」と話す。実はすでに自身の会社を立ち上げてから4年が経過しており、これまでにさまざまな分野へ挑戦してきたという。
会社経営はもちろん、業務交渉やメール対応まですべて自分ひとりでこなしている。さらに、フィットネスウェアブランドの立ち上げにも関わり、異なるビジネス分野にも積極的に関わってきた。コンテンツ制作や動画編集、翻訳作業までも自身で手がける日々だが、「多忙に流されることなく、自分のペースを大切にしながら、一歩ずつ進んでいます」と落ち着いた口調で語った。

キャリアを振り返って——すべては自然な流れの中で
これまでのキャリアを振り返ると、マヤさんは「子供の頃からテレビに出演していたし、大人になってからはブランド設立、会社経営、インタビュアー、トレーナー、海外での活動など、いろいろな経験をしてきました」と語る。現在は新たな挑戦を焦るのではなく、「これまでやってきたことを積み重ねていけば、チャンスは自然にやってくる」と感じている。
「私は本当に運が良くて、特に狙っていなくても、気がつけば新しいことに取り組んでいることが多いんです」と笑顔を見せる。今後も会社の経営を続けながら、フィットネスやスポーツの力を通じて世界と繋がり、規模にこだわらず、女性たちがより自信を持って輝けるよう支援を続けていきたいと語った。

女性たちの健康と自信のために——フィットネスの力を信じて
マヤさんが活動の軸に据えているのは、「運動を通じて、もっと多くの女性が美しくなり、自信を持ち、健康的なライフスタイルを手に入れてほしい」という想いだ。今後はその思いをさらに広げ、より多くの人々にポジティブな変化を届けていきたいと意欲を見せている。
幼少期からのモデル活動と水泳の葛藤
マヤさんはオランダ・アムステルダムで生まれ、父はオランダ人、母は日本人。2歳のときに日本へ移住し、幼い頃からモデルとして活動を始めた。9歳からは競泳を習い始め、ジュニアオリンピックを目指して本格的にトレーニングを重ねていたが、17歳のときにモデルと水泳のどちらかを選ばなければならなくなり、最終的にモデルの道を選んだ。

水泳をやめたことで筋肉量が落ち、太ったり痩せたりを繰り返す不健康なダイエットを経験したことが、健康の大切さを見つめ直すきっかけになったという。現在はSNSを通じて、自身のフィットネス習慣や日常の様子を発信しながら、運動の楽しさや健康的なライフスタイルの重要性を伝えている。
芸能活動33年、モデルからスポーツインフルエンサーへ
マヤさんは現在、スポーツインフルエンサー、バックラインスタイリスト、インタビュアーとして幅広く活動している。「生後6か月でモデル事務所に入ったので、モデルになったきっかけは正直覚えていないんです」と笑い、「でも気がつけば自然とこの業界にいて、もう33年以上が経ちました」と語る。

これまでで最も印象に残っている仕事として、NBA関連の活動を挙げた。「NBAの仕事がきっかけで台湾と繋がることができ、それが人生の大きな転機になりました。当時はまさかここまで深い関係になるとは思っていませんでした」と振り返った。
NBA関連の仕事が台湾との縁を生む転機に
インタビュアーとしてのキャリアは、2016年に初めて担当したハリウッド俳優マット・デイモンとのインタビューからスタートした。その後、ロサンゼルスで開催されたエミー賞(Emmy Awards)に招かれ、俳優のロバート・デ・ニーロらを取材した経験もある。「とても興奮しましたし、緊張もしましたが、今でも素晴らしい思い出です」と語る。
台湾メディアから「NBA最も美しい記者」と呼ばれていることについては、「キャッチーなタイトルをつけるのはメディアの仕事なので、そういう名前になったのだと思います。自分では選べませんけどね」と笑顔を見せた。

レイ・アレンやドワイト・ハワードとの取材経験
今後もNBA関連の活動を続けていきたいと意欲を見せるマヤさんは、2024年夏に来日したレイ・アレンとの一対一のインタビューを担当。また同年7月にはドワイト・ハワードとのコラボレーションにも取り組んだ。
「こうした取材は私にとって情熱そのもので、大好きな仕事です。これからも続けていきたい」と語り、「スポットライトを浴びる華やかな部分だけでなく、選手たちの人間らしさや共感できる面を多くの人に届けていきたい」と強調した。

現在、彼女は「バックラインスタイリスト(Back Line Stylist)」としての活動にも力を入れている。これは、背中やお尻、大腿部、ハムストリング(腿裏の筋肉)といった身体の背面の大きな筋肉を重点的に鍛える独自のメソッド。綺麗なボディライン作りはもちろん、姿勢の改善や筋力強化、基礎代謝の促進といった効果も期待でき、より豊かで心身ともに健康な人生へのアプローチを目指している。
バックラインスタイリストとしての活動と理念
彼女自身、このトレーニングを通じて身体の変化と心の健康を実感したため、多くの人にその魅力を伝えたいという想いで発信を続け、日本全国で様々な企業とタイアップしてトレーニングや健康関連のイベントを多数開催している。2018年にはフィットネストレーナーとしての活動を開始し、それがNBAの取材を始めた時期と重なっていることも興味深い。彼女は、自らトレーニングの計画を立て、運動と心身のバランスがいかに健康にとって重要かを伝えている。
自身もこのトレーニングを通じて、身体の変化とともに心の安定を実感したというマヤさんは、その効果を多くの人に届けたいと考え、日本各地で企業とのタイアップイベントやトレーニングセッションを積極的に開催してきた。フィットネストレーナーとしての活動を始めたのは2018年で、ちょうどNBAの取材をスタートさせた時期と重なる。

また、彼女が中国語を学び始めたきっかけは約5年前に遡る。当時、自分の名前が中国語圏でよく報道されていることに気づき、興味を持ったのが始まりだったという。その後、COVID-19のパンデミック直後に本格的な学習をスタートし、日本在住の華人講師と1対1のオンラインレッスンを開始。1年間の基礎学習を経て、現在も毎日ポッドキャストを聴くなどして語学力の維持と向上に努めている。
台湾との関係深まる中、スポーツメディアの活動も広がる
また、日常的に中国語を話す友人が増えたことも学習を後押ししている。「今では、私の友人の半分が台湾人です!」と笑顔で話し、台湾とのつながりが自然に日常へと浸透している様子をうかがわせた。
中国語圏での注目度が高まるにつれ、マヤさんには台湾に関連する仕事の機会が増えている。B.Leagueと台湾のコラボレーション企画や中華電信のプロジェクトへの参加、さらには楽天モンキーズとの仕事など、活動の幅は広がっている。「最近は台湾のプロ野球やバスケットボール関連の仕事が増えました」と話し、台湾とのつながりが一層深まっていることを実感しているようだ。

台湾との仕事の広がりとスポーツメディア活動
中国語学習の中で最も難しいと感じるのは発音と繁体字の理解。「もし留学のように現地で生活できたら、もっと早く習得できたかもしれません。大人になってから言語を学ぶには、本当にたくさんの努力と時間が必要です」と語り、引き続き地道な学習を続けていく意欲を見せた
Bリーグオールスター戦で感じた「理想の環境」
最近では、B.Leagueオールスター戦のメディアデーにも参加し、選手へのインタビューや交流に携わった。「忘れられない一日になりました」と振り返る中で、特に印象に残っているのが、初対面の選手と卓球対決を行ったイベント。事前の準備なしで即座に対戦する形となったが、「とても楽しく、貴重な体験だった」と語った。

また、当日の会場では中国語、英語、日本語、さらには韓国語まで使いこなし、国際色豊かな環境の中で自分らしさを存分に発揮できたという。こうした経験に備え、彼女はあらかじめB.Leagueの選手データや試合記録、Wikipediaの情報まで丁寧にリサーチしており、メディアとしての姿勢も一貫してプロフェッショナルだ。
多言語対応と国際取材への適応力
取材現場では、状況に応じて臨機応変に対応する力が求められる。マヤさんは「冷静に判断しながら、質問内容を調整することがスムーズなインタビューの鍵でした」と振り返る。その日は卓球チャレンジや腕立て伏せチャレンジといった体力を使うイベントにも参加し、その直後に取材モードへと切り替える必要があった。「普段は1日に1〜5人程度の取材ですが、この日は15人近く。まさに体力勝負の一日でした」と話し、忘れがたい経験になったと語った。

台湾との関係深化と将来への展望
当初はここまで台湾と深く関わるとは想像していなかったというマヤさん。しかし今では、台湾を自身のキャリアの大切な拠点と位置づけている。「スポーツを通じて台湾や世界とつながることができました。今度は私が誰かをつなげる役割を担えたら」と語る。

今後は、フィットネスの経験やスポーツメディアの知見を活かして、日本と台湾の文化・価値観を行き来させながら、さらに広い世界に向けて発信していきたいという。「スポーツは国境を超えた共通言語。背景が違っても、人と人はきっと響き合える」。その思いが、マヤさんの情熱の原動力になっている。
台湾から得た学びと成長
マヤさんは、台湾との出会いが自身の成長にとってかけがえのないものであったと語る。「たくさんのことを学び、考え、前に進む力をもらいました」。今では台湾の夜市グルメを楽しむのが恒例で、中でも「揚げ臭豆腐」はお気に入り。「辛いソースをかけると最高なんです。最初は匂いが気になったけど、揚げたタイプは全然平気」と笑顔を見せる。
また、小籠包や台南のタピオカミルクティーにも深い思い入れがある。「台南のタピオカは台北より甘くてびっくりしました」と話し、地域ごとの味の違いも楽しんでいる様子だった。 (関連記事: Bリーグ・オールスターがもたらした64.8億円の価値 船橋開催で地域経済にも波及、EY Japanが試算公表 | 関連記事をもっと読む )

風景では、陽明山、九份、十分、台南などがお気に入り。特に台南のレトロな街並みに惹かれているという。「昭和っぽくて、可愛らしい雰囲気が大好きです」。一方で、高雄の街並みはヨーロッパを思わせるような印象を持ち、それぞれの都市で異なる空気感を感じてきた。
お気に入りの台湾風景と訪れたい場所
今後は、まだ訪れたことのない台湾東部への旅を目標にしている。「宜蘭までは行きましたが、それより先の自然の美しさをぜひ見てみたい」と話し、台湾での体験をさらに深めていきたいと意欲を語った。
「一番好きな街を選ぶのは本当に難しい」と話すマヤさんは、台北・台南・台中・高雄それぞれに魅力を感じており、「どこに行っても新しい発見があるのが台湾の良さ」と断言。「これからも台湾との関係をもっと広げていきたい」と、目を輝かせていた。

将来の目標は、スポーツと観光を通じた国際交流
将来の目標について尋ねられたマヤさんは、国際的な舞台で影響力を発揮し、スポーツを通じて人と人をつなげていきたいと語った。「日本の素晴らしさを世界に伝え、世界の良さを日本に持ち帰る。そうした交流がもっと広がっていくように貢献したいです」と話す。現在はフィットネスやバスケットボールを中心とした活動に力を注いでおり、「自分だからこそできること」を追求しながら挑戦を続けている。
また、最近は観光業にも積極的に関わっているという。「観光を通じて世界中の人たちをつなぎたい。台湾の人たちに日本の魅力を伝えたり、日本の人たちに台湾の素晴らしさを紹介したり。そんな役割をもっと担っていきたいと思っています」と話し、スポーツだけでなく観光を介した国際交流にも強い関心を示した。

台湾のファンへのメッセージと感謝
マヤさんは、これまでに台湾のファンから受け取った多くの応援に心から感謝しているという。「台湾を訪れるたびに、空港や街中で声をかけていただく機会があって、とても嬉しいです。皆さんのあたたかさにいつも感動しています」と語り、その優しさが彼女にとって台湾を特別な存在にしていると明かす。
ファンに向けて「皆さん、健康には十分気をつけてくださいね。自分の体を大切にして、またお会いできるのを楽しみにしています!」と呼びかけ、「これからも台湾とのつながりをもっと深めていきたい」と力を込めた。
マヤさんは今後、台湾の企業とのさまざまなコラボレーションにも挑戦していきたいと意欲を見せている。また、これまで何度か務めてきた始球式についても「またチャンスがあればぜひ挑戦したい」と語り、台湾のファンと直接会える機会が増えることを心から楽しみにしているという。
「もっと多くの人と直接触れ合い、言葉を交わし、笑顔を分かち合いたい」。その願いを胸に、マヤさんはこれからもスポーツと観光という2つの柱を通じて、世界と台湾、日本をやさしく結び続けていく。
