舞台裏》親密な台日関係に潜む「人材の空白」 外交人材の継承に懸念

2025-07-04 17:44
総統の頼清徳(左)は安倍家と親しい関係にあるが、台湾と日本の関係には嵐の前の危機が潜んでいる。写真は頼清徳が「安倍昭恵(中央)来台歓迎晩餐会」に出席した際のもの。(写真/陳思明撮影)
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近年、日本台湾の関係はかつてないほど良好な状態にある。2024年9月に駐日代表に就任した李逸洋氏は、現地メディアに「歴史上、最も良い時代」と述べ、両国の緊密な関係を強調した。5月20日に行われた頼清徳氏と蕭美琴氏の就任式にも、日本の超党派国会議員連盟「日華議員懇談会」の歴代最大規模の訪問団が参加し、改めて日台の連帯が確認された。

日台の関係が急速に深まった背景には、2011年の東日本大震災で台湾が200億円以上の寄付を行ったことがある。この支援は日本国民の心に深く刻まれ、当時台南市長だった頼氏は震災直後に二度訪日し、305人の市民を率いて観光業の再建を後押しした。その後、安倍晋三元首相が再任した2012年以降、日台関係は「2.0時代」と呼ばれる新たな段階に入り、2022年の安倍氏の死去時には、頼副総統(当時)が「至親摯友」として東京を訪問。台湾からの過去最高位の弔問となった。

しかしこの「最良の関係」の陰で、台湾の対日外交には深刻な課題が横たわっている。

前防衛大臣、現任内閣総理大臣補佐官岸信夫のFacebookでのライ清徳との記念写真。(岸信夫Facebookより)
2022年7月12日、安倍晋三氏が暗殺された後、頼清徳副総統(左から3番目)は「至親摯友(最も親しい友人)」として東京の安倍家を訪れ、記念撮影を行った。(岸信夫Facebookより)

李登輝時代に育まれた外交人材に依存する現実

台湾の対日外交を担う人材の世代交代が進まず、その多くは今なお1990年代の李登輝政権期に育成された人物たちに依存している。2012年の馬英九政権時代にはすでにこの「人材の断層」への警鐘が鳴らされていた。李登輝政権下では、日米台間の秘密ルートとして「明徳グループ」が設立され、当時の外交官が日本の官僚機構とのパイプを築いていた。

しかし、その後の世代にバトンがうまく引き継がれず、特派員の報道によれば、日本駐在の外交高官のうち、5年以内に少なくとも15人が退職すると予測されていたにもかかわらず、この傾向に歯止めはかかっていない。

台湾日本関係協会(旧・亜東関係協会)が対日外交の中心的役割を担っているが、ここでも人事の継続性に問題が生じている。たとえば2023年6月、張仁久氏が12年ぶりに事務局長として復帰した。張氏はかつて駐日副代表を務めたが、2021年に帰国後、再び事務局長に就任したことで、人材の枯渇が浮き彫りとなった。通常であれば、同協会の事務局長を経て日本に派遣され、分処長や副代表に昇進するのが外交官の昇進ルートだが、張氏のように同じポストを繰り返し担うケースは異例であり、現場の人材不足を如実に示している。

李登輝(新新聞資料照)
李登輝元総統(写真)は在任中に、日米台の秘密コミュニケーションルート「明徳グループ」を立ち上げ、当時の多くの対日外交人材が育成され、現在でも活躍している。

退職間近のベテランが支える対日外交 若手人材の空白が深刻化

台湾の対日外交の現場では、人材の高齢化と継承の問題が一層深刻になっている。台北にある台湾日本関係協会だけでなく、東京・霞が関近くに位置する台北駐日経済文化代表処においても、現職の多くが30年近いキャリアを持つ古参の外交官で占められている。

代表的な例が、現在も副代表として東京に勤務する蔡明耀氏だ。蔡氏は当初、2018年に定年退職を予定していたが、蔡英文政権の下でスワジランド(現エスワティニ)に特命で派遣された後、東京に戻り、再び駐日副代表の任を継続している。