2026年1月29日および30日、台湾が自主建造した初の潜水艦「海鯤(かいこん)号」が2日連続で出航し、潜航試験を実施した。これは台湾海軍の造船史における新たなマイルストーンである。しかし、「海鯤」の建造プロセスは多難を極めた。軍需産業ブローカーの暗躍、複雑に絡み合う政治的思惑、そして与野党の激しい攻防――。外野の喧騒の中、造船を担当する台湾国際造船(台船)の董事長(会長)は3人代わり、海軍司令(トップ)は4人が入れ替わった。 めまぐるしい人事の変遷の中、プロジェクトの最初から最後まで現場を支え続けた、ある一人の「海の悍将(猛将)」が海軍内部に存在した。
「遅い」との批判に反論、世界基準でも「速い」建造ペース 「海鯤」の建造進捗 については「遅すぎる」との批判が外部から上がっていた。これに対し、台船はプレスリリースで反論を展開。「他国と比較しても工期は長くなく、むしろ速い部類に入る」と主張した。具体的なタイムラインは以下の通りである。
2017年3月21日:設計開始(5年2ヶ月経過) 2020年11月24日:起工 2021年11月16日:キール・レイイング(起工式、4年2ヶ月経過) 2023年9月28日:命名・進水式(2年4ヶ月経過) 2025年6月14日:初の浮上航行試験 2026年1月29日:初の潜航試験 海鯤号は1月末に2日連続で潜航試験を実施し、台船が初めて潜航写真を公開した。(写真/台船提供)
激動の人事:潜水艦の「太上皇」と「大蛇」の暗闘 「海鯤」の起工時の海軍司令は劉志斌氏だったが、その後、梅家樹氏、唐華氏と続き、現在は蒋正国氏が務めている。台船のトップも鄭文隆氏、黄正弘氏を経て、現在は陳政宏氏が指揮を執る。「海鯤」は実に4人の海軍司令と3人の台船会長を見送ってきたことになる。
この過程で、潜水艦計画の実質的な支配者として「太上皇(上皇)」と呼ばれた当時の国家安全会議諮問委員・黄曙光氏と、「唐蟒蛇(唐という名の大蛇)」の異名を持つ当時の海軍司令・唐華氏との間で激しい権力闘争が繰り広げられたとされる。最終的に、黄氏も唐氏も潜水艦プロジェクトの中枢から去ることとなった。
「潜れない」説を一蹴、深度100メートルへの到達 外部での政治的な嵐をよそに、「海鯤」建造チームは黙々と任務を遂行し続けた。2026年1月29日、「海鯤」は初の浅海潜航を完了。翌30日には再度潜航試験を行い、深度100メートルに到達した。台船は初めて潜航中の写真を公開し、「潜水できないのではないか」という外部の疑念を一挙に払拭した。 台船によれば、今後もテスト手順書に基づき、各設定深度での操艦、探知・捜索装備、緊急機能、戦闘管理システムなどの試験を順次実施し、海軍の作戦要求を満たす性能を検証していくという。
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自主建造潜水艦の過程では様々な論争や人事抗争が絶えず、最終的には「自主建造潜水艦の父」と呼ばれた当時の国家安全会議諮問委員・黄曙光氏(右)も潜水艦の中枢を去ることとなった。(写真/顏麟宇撮影)
計画の全貌を知る男 256戦隊出身の「顧志中」少将 「海鯤」建造計画は極秘事項であり、その実態を知る者は極めて少ない。海軍トップさえも次々と交代する中、海軍内部にはプロジェクトの始動から現在に至るまで関わり続けている現役の将官がいる。 2026年に艦隊指揮部副指揮官への異動が予定されている、顧志中(こ・しちゅう)少将だ。
海軍軍官学校(士官学校)82年組(1993年卒)の顧氏は、これまで「海虎」潜水艦艦長、第256戦隊(潜水艦部隊)参謀主任、「西寧」フリゲート艦長、第256戦隊長、そして海軍造船発展センター(海発センター)主任を歴任してきた。その経歴の大半を潜水艦と共に歩んでおり、海軍が長期的に育成してきた「真の潜水艦将校」と言える存在だ。
顧氏は2021年5月1日に海発センター主任に就任したが、その直前の2018年1月から2021年4月までは第256戦隊長を務めていた。つまり、彼は「海鯤」がまだ図面上の存在だった頃から、その誕生のすべてを見届けてきたことになる。 事情通はこう語る。「顧氏は潜水艦に関して高度な専門知識を持つ将領だ。彼が戦隊長から海発センターへ異動したのは、まさに『海鯤』のためだった。数々の困難があったが、彼の強靭な意志があったからこそ、プロジェクトはここまで持ちこたえられたのだ」。
顧志中氏(右)は海軍が長期的に育成してきた潜水艦士官であり、海鯤号の建造にゼロから関わり続けている。(写真/総統府提供)
艦隊指揮部への栄転、それでも「海鯤」の幕引きは彼の手で 事情通によれば、顧氏 の下には多くの参謀がおり、各プロジェクトを分担しているが、「海鯤」に関しては顧氏自らが陣頭指揮を執り続けてきた。船体(プラットフォーム)から戦闘システム、そしてそれらの統合に至るまで、すべての詳細を把握することは不可能だとしても、問題が生じるたびに解決策を提示し続けてきたという。 また、彼は柔軟で開かれた思考の持ち主であり、階級に関わらず現場と議論を交わし、プロジェクトを前進させてきた。「海鯤」建造プロセスの「魂」とも呼べる中心人物の一人である。
顧氏は2月1日付で艦隊指揮部副指揮官への異動(栄転)が発令された。しかし関係者によると、海軍上層部は異動後も引き続き顧氏に「海鯤」プロジェクトの責任者を務めるよう求めているという。プロジェクトが最終段階を迎える中、海軍は「海鯤」の仕上げ(収尾)を託せるのは彼しかいないと判断したためだ。
建造過程では多くの政治的・技術的なトラブルに見舞われたが、顧氏は常にチームに対し「外野の雑音や流言飛語は気にするな」と鼓舞し、潜水艦を完成させるという一点において強靭な意志を貫いた。 先の潜航試験の際も、顧氏は自ら乗艦して造船チームと共に海に潜り、帰港後も休むことなく関連データの検証作業に没頭していたという。
「海鯤号」が海上浮上航行試験を完了。建造チームは潜航して試験を実施し、帰港後も関連テストを続けている。(台船提供)
前任者・邵維揚と顧志中、台湾国産潜水艦を支えた「沈黙の艦隊」 蔡英文前総統は退任直前の2024年5月15日、国家安全チームの22名に勲章を授与したが、そのうち10名が潜水艦自主建造計画(IDS)のキーマンであった。顧志中氏もその一人であり、「四等雲麾勲章(うんきくんしょう)」を授与されている。 同様に、元海軍参事の邵維揚(ショウ・イヨウ)氏も同勲章を受章している。特筆すべきは、邵氏が中将・参事に昇進した後、顧氏がその後任として海軍造船発展センター(海発センター)主任の座を引き継いだ点だ。この二人は、リレーのようにバトンをつなぎ、裏方として「海鯤」の建造に尽力してきた、まさに台湾版「沈黙の艦隊」である。
顧氏 の軍歴の大半は潜水艦と共にあり、台湾海軍において潜水艦作戦の「いろは」を知り尽くした数少ない現役将官である。「海鯤」は海軍の新たな歴史の象徴だが、実際に潜航できたとはいえ、それが実戦で使えるか、戦力になり得るかはこれからの検証にかかっている。 「潜海の悍将」こと顧志中氏は、深海のような重圧に耐えながら、依然として重い責任を背負い、前進を続けている。