長崎市で8月9日、原爆投下から81年となる平和祈念式典が開かれた。本来は戦争の犠牲者を悼み、核兵器の悲劇を振り返り、平和を願う式典だったが、台湾代表の座席配置をめぐり、台湾の駐日代表を務める李逸洋氏が数日にわたってFacebook(フェイスブック)で抗議を表明。日本と台湾のメディアに向けても声明を発表し、長崎市の対応について「中国寄りの姿勢だ」と批判した。
これに対し、長崎市の鈴木史朗市長は8月10日、台湾はもともと市の正式な招待対象には含まれておらず、台湾側から出席希望が伝えられたことを受け、2025年と同様に各国大使らの後方に設けた「海外来賓席」での参加を認めたと説明した。
波紋が広がる中、台湾の林佳龍外交部長(外相)は8月19日、立法院の外交・国防委員会に出席し、国民党の立法委員からこの問題について質問を受けた。林氏の答弁は、李氏が公に訴えてきた内容とは温度差があり、李氏に向けて公にメッセージを送る意図もあったようにみえる。
林氏は「台湾の立場はもともと特殊だ。時にはその場に応じた対応が必要であり、前向きな進展を促すべきで、自分たちの立場を主張するだけであってはならない」と述べた。
外交部長が意味深長な形で駐日代表に「言及」したのはなぜなのか。台湾メディア『風傳媒(ストームメディア)』の取材によると、台湾政府上層部は李氏の対応を問題視しているという。さらに、日本政界の関係者からもルートを通じて台湾側に戸惑いが伝えられたとされる。
李逸洋氏、長崎市に相次ぎ抗議 台湾政府上層部は困惑
第二次世界大戦の太平洋戦線は、米軍が広島と長崎に相次いで原子爆弾を投下した直後に終結した。以来、両市では投下日にあたる8月6日と9日に、それぞれ平和祈念式典が開かれている。
関係者によると、2026年の原爆投下81周年の式典に向けては、長崎市の副市長と、九州地域を管轄する台湾側の窓口である台北駐大阪経済文化弁事処福岡分処との間で調整が進められていた。複数の議員も仲介役を担い、2025年に初めて台湾代表が式典に参加した流れを引き継ぐ意向だったという。
ところが式典当日、李氏は声明を発表するとともにFacebookにも投稿し、自身と台湾の駐日副代表である蔡明耀、周學佑両氏の3人がそろって出席しなかった理由について説明した。
李氏は、長崎市が台湾の国家としての地位を意図的に否定し、台湾の主権と尊厳を完全に無視して、台湾代表の座席を各国使節団のエリア外に配置したと主張。このため台湾側は出席者の「格を下げ」、代わりに陳銘俊・福岡分処長が出席したとした。
李氏はその後も8月10日と12日に相次いで投稿し、長崎市の対応について公然と批判と抗議を続けた。また、「FacebookのコメントやSNSの反応を見る限り、8割以上が自分の判断を支持している」と主張した。
しかし、事情に詳しいある当局者は『風傳媒(ストームメディア)』の取材に対し、外交部はもともと、長崎市が広島市のように台湾代表を他国の使節と同等に扱わないことを把握しており、李氏を東京から長崎へ向かわせる予定はなかったと明かした。近隣の福岡分処長である陳氏が出席することも、早い段階で決まっていたという。
この当局者によると、調整の結果、外交部は李氏が8月6日の広島の式典にのみ出席し、8月9日の長崎の式典には陳氏だけが出席するという役割分担を最終的に決定していた。
中国と歴史的関係が深い長崎 台湾との関係は徐々に改善
九州は北海道、本州、四国と並ぶ日本の主要4島の一つだ。九州に位置する長崎は地理的に中国と海を隔てて向き合い、江戸時代の鎖国期には対外交易の重要な窓口として、中国との交流を長く重ねてきた。長崎名物のちゃんぽんや皿うどんにも、中国文化の影響が色濃く残っている。
台湾の対日事情に詳しいベテラン当局者は、長崎は歴史的に中国との関係が密接で、中国も長崎に総領事館を置いていると指摘した。そのうえで、長崎と台湾の関係も徐々に改善しているものの、「彼らの関係は長い歴史があり、往来も多い」と語った。
関係者によると、広島市は2025年の原爆投下80周年の平和祈念式典で初めて自ら台湾側に参加を知らせ、歓迎の意向を示した。通知も東京の台北駐日経済文化代表処に直接送付されたという。
一方、長崎市の平和祈念式典では、台湾側も2025年に初めて大使級の代表が出席したが、当時は台湾側から参加を申し出た形だった。
2025年8月9日、李氏は長崎の平和祈念式典に出席した後、台湾が軽んじられていることへの不満を示した一方、長崎側の不十分な対応には事情があるとの理解も示し、その背後には中国による圧力があると述べていた。
外交事情に精通した関係者が『風傳媒(ストームメディア)』に明かしたところによると、台湾の福岡分処は2026年、長崎市の副市長から連絡を受けた。九州を担当する福岡分処側は長崎市に誠意があると受け止めていたが、東京にいる李氏は異なる見方をしていたという。
関係者は、李氏と陳氏では立場や視点が異なるため、見解の違いが生じるのは無理もないとしたうえで、状況が台北に報告された後、外交部は複数回のやり取りを経て役割分担を最終決定したと説明した。陳氏と李氏の双方とも政府上層部の指示を把握していたはずだという。
それにもかかわらず、李氏が突然Facebookで長崎市への批判を始めたため、外交部は不意を突かれた格好になったという。
李逸洋氏の投稿が政府上層部を驚かせる 日本政界からも戸惑い
外交部は、長崎市が中国から圧力を受けていることや、台湾側への対応に不十分な点があったことに遺憾の意を示した。一方で、2026年の原爆投下81周年平和祈念式典では、台湾代表の座席が各国使節団のエリアに隣接し、仕切りで区切られていなかったこと、各国使節と同じコサージュを着用していたこと、会場内で日本の要人や各国使節と自然に交流していたことなどを挙げ、「関連の対応は昨年より改善している」と説明した。
『風傳媒(ストームメディア)』の取材によると、外交部幹部は8月9日に李氏の投稿を見て驚き、直ちに李氏との調整に動いた。政権中枢もこの件を把握すると、李氏の対応を問題視し、外交部に懸念を伝えたという。
さらに李氏が数日にわたり3本のFacebook投稿を行った後、普段は遠回しな表現を好む日本政界からも、ルートを通じて台北の台湾政府に戸惑いが伝えられたという。事前に双方の交渉と調整が済んでいたにもかかわらず、なぜ李氏がこれほど強い反応を示したのか理解できない、という趣旨だったとされる。
関係者によると、林佳龍氏が8月19日に立法院で行った答弁の一部は、実際に李氏を念頭に置いたものだったという。
李氏は、長崎市が台湾を軽んじている以上、九州を担当する福岡分処長でさえ式典に出席すべきではないとの考えを示していたとされる。
これに対し林氏は答弁で、「参加すること自体がやはり重要だ。多くの行事に出席しなければ、我々には発言権がなくなってしまう」「我々は不満を表明するが、不満を抱えながらも、適切な形で参加し続けることはできる」と述べた。
林氏はまた、台日間のやり取りには、東京でも実際には「グレーゾーン」にあるものが多いと指摘した。
状況を理解していないのか、それとも原則を貫いたのか 李逸洋氏、日本への抗議が波紋
記者出身の李逸洋氏は、台湾で考試院副院長(公務員試験などを所管)、内政部長(内相)、総統府資政(顧問)を歴任した。
頼清徳氏は2024年5月20日に総統に就任し、同年8月16日付の総統令で、李氏を特命全権大使に相当する駐日代表に任命した。頼政権発足後、台湾にとって重要な友好国に派遣した最初の大使級人事の一つだった。
台湾の対日事情に詳しいベテラン当局者は、台湾の駐日代表は日本において総統を代表する存在であり、李氏が日本の公の場で行う発言や振る舞いは、ある程度まで頼氏自身の姿勢を体現することになると指摘した。
李氏は東京への赴任当初、若い頃に学んだ日本語を20~30年使っていなかったため、日本への留学経験があり、現在は台湾日本関係協会会長を務める前任の謝長廷氏のように、流暢な日本語で対話することはできなかった。
もっとも、その後は持ち前の記憶力を生かして日本語の原稿を暗記するほか、台北駐日経済文化代表処顧問の張瑞麟氏にたびたび教えを請うようになった。最近では行事の後にFacebookへ投稿し、あいさつの要点をまとめるとともに、自身が「原稿を見ずに日本語であいさつした」ことを強調することも多い。
2026年5月24日、李氏は公邸で逢沢一郎・元外務副大臣ら衆参両院議員5人を招いた晩さん会の写真をFacebookに投稿した際、「代表処は長年にわたり交流を怠ってきた」と書き込んだ。
これに対し、メディア関係者の周玉蔻氏は「前任の謝長廷氏を公然と批判しているのか」と疑問を呈した。謝氏に近い元立法委員の謝欣霓氏もコメント欄で、「外交も分かっていないし、日本語も上手ではない……本当に良い外交官になりたいのなら、議院内閣制における各選挙区が一人ひとりの国会議員にとってどれほど重要か理解すべきだ」と批判した。
国家安全保障では一つの言動が全体に波及 蔡英文氏が「投稿を管理しろ」と忠告したことも
2025年3月15日、駐日代表を退任してから半年余りだった謝長廷氏は、回顧録『駐日八年 台日友好記事簿』の出版記念会で、駐日代表を8年間務めた中で最も難しかったことは何かと問われた。
謝氏は、台日間には歴史的な「懸案」が数多くある一方、台湾が日本に頼みたいことも多く、多くの国際機関の会議についても台湾は日本から情報を得る必要があると説明した。そのため、抗議すべき時には抗議するものの、声明を発表したり記者会見を開いたりしたことは一度もないと振り返った。
そうした方法を取れば台湾国内で拍手喝采を浴びる可能性はあるものの、外交的には失敗だとして、「外交官が自分の名声を築くため、名誉のために声明を出すというのも、一種の私心だ」と語った。
職業外交官出身で総統府元秘書長の李大維氏も、著書『和光同塵』の中で、蔡英文前総統が在任中、一部の閣僚のSNSに唐突な投稿が現れるのを目にした際、「自分の投稿をちゃんと管理しなさい」と忠告することがあったと明かしている。
李大維氏によると、こうした「単独行動」型の閣僚は概して官僚機構の出身ではなく、自らの政治理念や信念に基づいて行動する場合が多い。一部の分野では時流をリードする存在とみなされることもあるが、各方面の受け止め方やその後の影響を十分に考慮し、言葉を慎重に選ぶことが求められる国家安全保障の分野では、特に細心の注意を払う必要があるという。
ある関係者は『風傳媒(ストームメディア)』の取材に対し、李氏のFacebook投稿について、時に「かなり奇妙だ」とこぼしながらも、その都度、投稿後に注意するわけにもいかないと、やるせない様子で語った。
2024年8月、総統府が謝長廷氏の駐日代表解任と李逸洋氏の駐日代表任命を発表した際、林佳龍氏は謝氏の8年間にわたる駐日代表としての実績を振り返り、李氏が着任後、謝氏の築いた基盤の上に台日関係をさらに一段高めることへの期待を示していた。
ただ、現状を見る限り、李氏はまだ謝氏の外交手腕を十分に受け継いでいるとは言い難い。今後、林氏の期待に応えられるかどうか。その第一歩は、Facebookに投稿する前に、それがどのような影響をもたらし得るのかを慎重に考えることなのかもしれない。