米スタンフォード大学のフーバー研究所は7月27日、日本が正式な憲法改正を行わないまま、1945年以来最も抜本的な防衛戦略の転換を遂げたとする評論を掲載した。
評論は、この転換が安倍晋三政権で始まり、岸田文雄政権で制度化され、現在は高市早苗政権によって本格的に実行されていると指摘する。日本に変化を促した最大の要因は、中国だとしている。
『安倍の最後の勝利――日本の防衛革命と戦後平和主義の終焉』と題された評論の著者は、余茂春(マイルズ・マオチュン・ユー)氏だ。
余氏は冒頭で、戦後約80年にわたり、日本は自らが「何になることを拒んできたか」によって安全保障政策を形作ってきたと指摘する。
戦争を行わず、海外に軍事力を投射せず、攻撃的兵器も保有しないという姿勢を貫いてきたが、余氏は「そのような日本はもはや存在しない」と断言している。
中国が日本の防衛政策の前提を覆した
余氏は、安倍氏が多くの民主主義国の指導者よりも早く、中国がもたらす挑戦は北朝鮮やロシアとは根本的に異なると見抜いていたと分析する。
経済、産業、科学技術、軍事のすべての面で力を備え、東アジアの戦略的均衡を変えることができる存在は、中国だけだという。
このため、日本の防衛政策の中核的な目標は、単に本土を防衛することから、中国による侵攻を未然に防ぐことへと徐々に移行している。
言い換えれば、日本は中国が武力行使に踏み切る前に、軍事行動は成功しないと中国指導部に認識させようとしている。
受動的な防衛に代わって「抑止」が日本の防衛計画の中核となっており、これこそが安倍氏の残した最大の政治的遺産だと余氏はみている。
日本の政府文書も、この見方を部分的に裏付けている。
2022年に策定された『国家安全保障戦略』と『国家防衛戦略』は、中国の対外的な姿勢や軍事動向を、日本の平和と安全にとって「これまでにない最大の戦略的な挑戦」と位置づけた。
両文書はまた、複雑化するミサイルの脅威に対し、既存のミサイル防衛網だけで十分に対応することは困難になりつつあるとして、日本が「反撃能力」を保有する必要性を示している。
防衛費「GDP比1%」の壁を越え、継戦能力を強化
余氏は、日本が長年、防衛費を国内総生産(GDP)比で約1%に抑えてきたことに言及している。
戦後日本の抑制姿勢を象徴してきたこの政治的な上限は、事実上なくなったという。
日本は現在、戦後最大規模の防衛力強化を進めている。その目的は、戦闘機や艦艇を追加で調達するだけではない。
防衛産業の生産基盤の再構築、弾薬備蓄の増強、サプライチェーンの強靱化も含まれている。
日本政府は、当初予算と補正予算を合わせ、防衛関連経費をGDP比約2%とする目標を前倒しで達成したとしている。
海上保安庁、サイバーセキュリティー、公共インフラ、研究開発など、安全保障に関連する支出も含まれる。このため、日本の狭義の防衛費がすでにGDP比2%に達したと単純に解釈することはできない。
近年の防衛費の増額分は、射程1000キロを超えるスタンドオフミサイル、弾薬の備蓄、指揮通信システム、自衛隊施設の強靱化などに相当程度充てられている。
今後も防衛予算が増えれば、無人機をはじめとする無人装備品も重点的な投資対象になるとみられる。
防衛省が8月4日に公表した2026年版『防衛白書』は、中国を日本にとって「これまでにない最大の戦略的な挑戦」と改めて位置づけた。
また、防衛生産・技術基盤を防衛力そのものと不可分なものと捉え、スタートアップ企業の参画拡大や、人工知能(AI)、量子技術、デュアルユース技術の積極的な活用を打ち出している。
余氏はさらに、日本の装備品調達の考え方が、少数で高価な精密プラットフォームから、大量生産が可能な無人機、無人艦艇、自律型無人潜水機、AI偵察システム、電子戦装備、レールガンなどの次世代兵器へと移りつつあるとみている。
日本の公式資料でも、無人アセットやAI、弾薬備蓄、継戦能力の重要性が高まっていることは示されているが、レールガンは依然として研究開発段階にあり、すでに大規模な量産方針が確立しているとはいえない。
余氏は、将来、中国との武力衝突が発生すれば、日本は世界最大規模の工業生産力を持つ相手と向き合うことになると指摘する。
そのため、日本は兵器の性能だけでなく、生産量、生産速度、装備品が損耗した際の補充能力も考慮しなければならないという。
日本の長射程兵器は中国本土に届くのか 先制攻撃は認められず
評論の中で最も議論を呼ぶのが、日本の長射程打撃能力に関する記述だ。
余氏は、日本が長射程巡航ミサイル、極超音速兵器、精密打撃システム、反撃能力の整備を進めていると指摘する。
これにより、中国本土にある指揮統制拠点、ミサイル基地、軍港、飛行場、兵站拠点が、有事の際に日本による反撃の対象となり得ると論じている。
余氏は、中国が日本を攻撃した場合、あるいは台湾に対する軍事行動によって日本が存立危機事態に直面した場合、日本は中国国内の軍事施設を攻撃し、軍事的なコストを課す能力を持つようになるとみている。
これは、日本が最初の攻撃を受け、米軍が攻撃を担うという、戦後長く続いた日米の役割分担を変えるものだという。
ただし、日本政府による「反撃能力」の法的な位置づけは、余氏の記述よりも慎重だ。
『国家防衛戦略』は、反撃能力について、憲法と国際法の範囲内で、武力行使の「新三要件」を満たす場合に限り、必要最小限度の自衛措置として行使できるとしている。
武力攻撃が発生していない段階で自ら先に攻撃する先制攻撃は、依然として認められていない。
日本政府は、その事態が日本の存立を脅かしているか、脅威を排除するためにほかに適当な手段がないか、武力行使が必要最小限度にとどまるかを判断する必要がある。
つまり、日本が長射程の攻撃兵器を保有しないとしてきた政治的な禁忌を乗り越えたことは事実だ。
一方で、評論が描く中国本土の奥深くへの大規模な打撃は、著者が兵器の能力と軍事的な論理に基づいて描いた想定であり、日本政府が公表した攻撃目標や作戦計画ではない。
「米国が戦い、日本が支援する」日米同盟からの転換か
余氏は、日米同盟についても、「米国が作戦を担い、日本が支援する」という形から、自衛隊と米軍が共同で地域の安全保障を担う体制へと移行しつつあるとみている。
安倍政権は2015年、安全保障関連法を成立させ、厳格な条件の下で限定的な集団的自衛権の行使を認めた。
その後、日本は情報共有、指揮統制システム、ミサイル防衛、反撃能力をめぐり、米軍との連携を継続的に強化している。
余氏は、日本はもはや米国に保護されるだけの同盟国ではなく、インド太平洋地域における共同作戦に直接関与できる戦略的パートナーになったと評価する。
ただし、日本の公式な戦略文書では、日米同盟の基本的な役割分担が消滅したわけではないことも示されている。
日本は自国防衛について、より主体的な責任を負う一方、米国は引き続き拡大抑止と、より広範な地域での軍事能力を提供する。
両国はミサイル防衛、情報共有、指揮の調整、反撃能力の運用をめぐる協力を深めているが、日米がすでに完全に対等な軍事的役割分担に移行したと単純化することはできない。
ポンペオ氏の中国政策顧問を務めた余茂春氏
余氏は現在、フーバー研究所の客員研究員、米ハドソン研究所の上級研究員兼中国センター長を務めている。
また、米海軍兵学校で東アジア史、軍事史、海軍史を教えている。
トランプ第1次政権では、当時のマイク・ポンペオ国務長官の政策立案チームで主要な中国政策顧問を務め、中国、日本、韓国、台湾などをめぐる米政府内の政策議論に関与した。
余氏はカリフォルニア大学バークレー校で歴史学の博士号を取得している。
これまでの政策経歴や公的な発言を踏まえると、米国の安全保障政策界で立場の明確な対中強硬派に位置づけられる。
このため、今回の評論は、日本が防衛費を増やし、反撃能力を保有し、日米同盟を強化しているという政策上の事実に基づく一方、明確な戦略的立場を持つ論考でもある。
日本政府の公式見解ではなく、日中の軍事力を網羅的に評価したものでもない。
フーバー研究所もウェブサイト上で、評論で示された見解は著者個人のものであり、必ずしも同研究所やスタンフォード大学の立場を示すものではないと明記している。
「平和主義の終焉」は政治的な評価
余氏は最後に、安倍氏が日本の戦争についての考え方を変えたと論じている。
これに対し安倍氏は、武力による現状変更を試みる権威主義的な大国を前に、平和を守るには、侵略者に戦争は成功しないと認識させる必要があると考えたという。
一方、2022年の『国家安全保障戦略』は、新たな戦略が実施面で戦後日本の安全保障政策を大きく転換させることを認めながらも、日本は引き続き平和国家として歩むとしている。
専守防衛を維持し、他国に脅威を与える軍事大国とはならず、非核三原則を堅持する方針も明記している。
2026年版『防衛白書』も、こうした基本方針を改めて示している。
このため、日本が正式に平和主義を終わらせたとみるよりも、日本は平和主義の実践方法を再定義しつつあると表現するほうが正確だろう。
軍事的な抑制を中心に平和を維持する姿勢から、長射程兵器、防衛産業の生産基盤、無人システム、同盟国との共同作戦を通じて抑止力を構築する方向へ、重心を段階的に移している。
余氏は、この転換を安倍氏の「最後の勝利」と表現した。
余氏の論旨では、日本は平和そのものを放棄したわけではない。
本質的な変化は、中国の台頭によって、受動的な平和主義が戦略的に成り立たなくなったという点にある。
参考資料
1.Miles Maochun Yu, “Abe’s Final Victory: Japan’s Defense Revolution and the End of Postwar Pacifism”, Hoover Institution, 2026年7月27日。
2.日本政府, “National Security Strategy of Japan”, 2022年12月。
3.防衛省, “National Defense Strategy”, 2022年12月。
4.防衛省, “Defense of Japan 2026”。
5.防衛省, “Defense of Japan 2026 Digest”。
6.外務省, “Japan’s Legislation for Peace and Security”。