台湾がAI開発に注力し、「AI新十大建設」を推進して関連人材の育成を強化する中、長期的な投資が必要で即効性が見込めない「基礎科学」には誰が目を向けるべきか。ノーベル物理学賞受賞者で東京大学宇宙線研究所卓越教授の梶田隆章氏は、『風傳媒』の独占インタビューに応じ、「基礎科学は人類の知の地平を広げるものだ。当面は直接的な応用がなくても、その重要性を広く理解してほしい」と語った。
梶田氏は日本の埼玉県にある農家に生まれ、地元の高校と大学を卒業した。農家育ちの同氏は、楽観的かつ聡明で、勤勉さと高い集中力、そして慎重さを併せ持ち、56歳でノーベル物理学賞を受賞するという伝説を打ち立てた。
ニュートリノの質量を証明、素粒子物理学の標準模型を覆す 梶田氏は「台湾ブリッジ・プロジェクト(Taiwan Bridges Project)」の招きで訪台し、4月23日に中央研究院(中研院)で「基礎科学における国際協力:実務経験の共有」と題する講演を行った。同プロジェクトは、中研院や台湾大学などの複数の学術研究機関と国際平和財団(International Peace Foundation)が共同で推進するもので、台湾と世界のトップレベルの学者との深い交流を促進することを目的としている。
宇宙で2番目に多く存在する素粒子であるニュートリノ(neutrino)は、最も捉えどころがなく、素粒子物理学の標準模型では質量を持たないと仮定されていた。しかし、梶田氏の研究チームは「ニュートリノ振動(neutrino oscillations)」という現象を初めて実証し、ニュートリノに質量があることを証明した。この発見は標準模型の仮定を覆すものであり、同氏は2015年にアーサー・マクドナルド(Arthur McDonald)氏とともにノーベル物理学賞を受賞した。
ノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章氏が『風傳媒』の独占インタビューに応じた。(写真/蔡親傑撮影)
2人のノーベル賞受賞者を輩出した「カミオカンデ」 岐阜県飛騨市にある神岡鉱山の跡地、地下1000メートルに位置する施設は、日本の「カミオカンデ(Kamiokande)」および「スーパーカミオカンデ(Super-Kamiokande)」の所在地である。ここで収集されたニュートリノのデータは、2002年に小柴昌俊(こしば まさとし)氏、2015年に梶田氏という、2人のノーベル物理学賞受賞者を生み出した。
さらに、ニュートリノと宇宙の物質の起源との関係を深く探求するため、より大規模で精密な検出器が求められている。現在、日本政府は次世代の「ハイパーカミオカンデ(Hyper-Kamiokande)」の建設を進めており、推定建設費は650億円以上、2028年の稼働を予定している。完成すれば、世界最大のニュートリノ検出器となる。
師弟3代にわたるノーベル物理学賞受賞の快挙 梶田氏の指導教官である小柴氏は2002年に、そして小柴氏の指導教官である朝永振一郎(ともなが しんいちろう)氏は1965年にそれぞれノーベル物理学賞を受賞している。梶田氏の受賞により、日本では初となる「師弟3代でのノーベル物理学賞受賞」という記録が打ち立てられた。
現在67歳の梶田氏は、精力的な様子で中研院を訪れ、講演後に『風傳媒』の独占インタビューに応じた。自身の学問的背景や、人生で最も影響を受けた人物、ニュートリノ研究における画期的な発見、そして基礎科学分野での国際協力などについて、深く掘り下げて語った。
物理学者を志した契機、「カミオカンデ実験」での決断 いつ物理学者になろうと決意したのか。梶田氏は、大学院生だった1981年にカミオカンデ実験に参加した当時を振り返る。当初は10人ほどの小さなチームによる実験であり、多くの作業を自ら手掛ける必要があった。博士課程の1年目には、神岡の地下深くの現場に入り、検出器の建設作業を担当したという。
梶田氏は、「その作業が非常に楽しく、カミオカンデが収集するデータは物理学に大きく貢献すると信じていた。この実験に強い興奮と高い期待を抱き、その時に物理学者になることを決心した」と明かした。
日本の旗艦プロジェクトである同実験は、2人のノーベル賞受賞者を輩出した成功例である。どのように始まり、いかにして政府の支援を取り付けたのか。中研院の研究員からの質問に対し、梶田氏は次のように答えた。当初、多くの学者は陽子崩壊の観測を重要視していた。日本の科学界はこの実験に強い関心を示し、東京大学をはじめとする多くの研究機関が積極的に参加して民間からの支援も求めたが、初期段階では日本政府の承認を得られていなかった。
梶田氏によると、廃鉱となった神岡の地下深部で実験を行うためには、政府の承認と資金援助が不可欠であり、申請書を提出したものの、当初の予算は極めて少額だったという。それでも科学界はこのプロジェクトの重要性を訴え続け、政府を説得して早期の実験開始にこぎつけた。
ノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章氏は、大学院生だった1981年にカミオカンデ実験に参加した。(写真/蔡親傑撮影)
「ニュートリノ振動」の初実証で世界に衝撃 梶田氏は1981年にカミオカンデ実験に加わり、1998年にニュートリノに関する画期的な発見を発表した。同年の国際会議での発表は世界的なセンセーションを巻き起こした。この研究は、宇宙線が地球の大気と衝突して生成されるニュートリノを収集し、大気圏から日本のスーパーカミオカンデに到達する過程で、ニュートリノの種類が変化する現象を発見したものである。これにより「ニュートリノ振動」が初めて実証され、ニュートリノが質量を持つことが証明された。素粒子物理学の標準模型が前提としていた「ニュートリノは質量を持たない」という仮説が覆された瞬間であった。
(関連記事:
【単独インタビュー】パン店の息子からノーベル賞へ コビルカ氏が語る「父の哲学」と新薬開発の原点
|
関連記事をもっと読む
)
長年にわたり、ニュートリノの性質は素粒子物理学における謎であった。超新星爆発でも生成されるが、地球上で検出されるニュートリノの多くは太陽内部の核融合反応に由来する。梶田氏によると、ニュートリノは電子に似ているが電荷を持たない宇宙の素粒子である。太陽や地球を容易に通り抜け、恒星の中心で起こる基本的なプロセスの情報をもたらす。さらに、電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノの3種類が存在するが、以前はすべて質量を持たないと考えられていた。
カミオカンデのデータが予測と不一致、真理の究明へ 梶田氏によるニュートリノ研究の画期的な突破口は、人類の宇宙に対する認識を大きく変えた。同氏は「カミオカンデ実験のメンバーになれたことは非常に幸運だった。元々の目的は陽子崩壊の探索であり、そのためには背景となるニュートリノを理解する必要があった。陽子崩壊のシグナルとニュートリノのバックグラウンドを分離すべくデータ解析の精度を向上させた結果、観測されたニュートリノのデータがシミュレーションと一致しないことに気づいた」と語る。
科学者は実験の過程で頻繁に失敗に直面するが、その原因を追求し、背後にある真理を見つけ出せば、それは往々にして重大な発見につながる。「当時は原因が分からなかったが、これは重要な問題だと考え、さらに深く掘り下げて答えを見つける決心を固めた」と同氏は述べた。
1986年に東京大学で理学博士号を取得した梶田氏は、幸運にも指導教官である小柴氏の研究助手となった。この時期にデータの不一致という問題を発見し、さらなる探求を決意したことが、彼にとって重要な転換点となった。
ノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章氏によるニュートリノ研究の画期的な突破口は、人類の宇宙に対する認識を大きく変えた。(写真/蔡親傑撮影)
極めて慎重な性格、1年がかりの検証でも「誤りなし」 カミオカンデで得られたデータがシミュレーションと一致しなかった際、梶田氏は1年を費やして「どこに間違いがあるのか」を徹底的に点検した。「予測と異なるデータを見て、自分たちのデータに誤りがあるのではないかと考え、何度も見直した。しかし、1年かけて懸命に調べても、いかなる誤りも見つけることはできなかった」と振り返る。
慎重な性格である梶田氏は、研究プロセスやデータ解析において極めて厳格だ。「1年かけてもエラーが見つからず、おそらく自分たちの間違いではないと思ったが、それでもデータに問題がないと100%確信することはできなかった。当時はほぼ間違いなく自分たちのデータに問題はないと分かっていたものの、人間は常にミスを犯すものであり、それを見つけるのは容易ではないため、非常に慎重になっていた」と笑いながら語った。
梶田氏「極微小な質量こそ、宇宙の基本法則を解き明かす鍵」 宇宙に存在するニュートリノは光速で移動し、あらゆる物質を通り抜けるため、捉えたり検出したりするのが難しく、未だ多くの謎が残されている。ニュートリノが質量を持つことにはどのような意味があるのか。梶田氏は「我々はニュートリノが質量を持つことを発見したが、他の素粒子に比べてその質量は極めて小さく、さらに理解を深める必要がある。現在の素粒子物理学の標準模型ではこの問題に答えることができない。ニュートリノの極微小な質量こそが、宇宙の基本法則を解き明かす鍵になると考えている」と説明した。
(関連記事:
【単独インタビュー】パン店の息子からノーベル賞へ コビルカ氏が語る「父の哲学」と新薬開発の原点
|
関連記事をもっと読む
)
1981年にカミオカンデ実験に参加して以来、スーパーカミオカンデを経て、梶田氏は2010年に研究の焦点を重力波へと移した。重力波の観測は、重力の本質に対する理解を深め、ブラックホールや中性子星の合体、超新星爆発といった宇宙の極端な現象を探求するのに役立つ。ニュートリノ研究のような基礎科学は数十年を要し、必ずしも結果が出るとは限らないが、いかにして最後までやり遂げたのか。梶田氏は「最初はただ、なぜ取得したデータが予測と合わないのかを知りたかっただけだ」と笑顔を見せた。
カミオカンデやスーパーカミオカンデを経験したノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章氏は、2010年に研究の焦点を重力波へと移した。(写真/蔡親傑撮影)
梶田氏「基礎科学は極めて重要であり、人類の知の地平を広げる」 一般社会はニュートリノが質量を持つことの重要性をどう理解すべきか。梶田氏は「ニュートリノ振動を発見し、質量があることを突き止められたのは非常に幸運だった。これらの研究の目的は、人類の知の地平を広げることにある。一般の方々にも、基礎科学が人類の視野を広げる上でいかに重要であるかを理解してほしい」と強調した。一方、ニュートリノ研究の将来の応用可能性について問われると、首を振って「分からない」と答えた。
これまでの道のりで最も影響を受けた人物については、「指導教官である小柴氏からの影響が最も大きい。彼の思想や科学を探求する手法、態度を含め、これほど素晴らしい導き手に出会えたことは幸運であり、多くの恩恵を受けた」と語った。
研究人生において、恩師・小柴昌俊氏からの絶大な影響 梶田氏は1983年7月からカミオカンデでの実験を開始した。当初の目的は陽子崩壊の検出だったが、陽子の寿命が予想以上に長く、崩壊データは得られなかった。そこで小柴氏は、観測対象を太陽ニュートリノへと転換することを提案した。研究チームは3年がかりで検出器の感度向上に取り組んだ。当時の日本には高度な検出技術が不足していたが、米ペンシルベニア大学からの重要な技術提供もあり、日米合同チームの協力のもと、1987年1月に検出器のアップグレードが完了した。
奇しくもその直後となる1987年2月、銀河系外の大マゼラン雲(Magellanic Cloud)で超新星爆発という壮大な天文現象が発生した。梶田氏によると、カミオカンデは即座に機能し、10回のニュートリノ事象を検出した。この超新星爆発は肉眼でも観測でき、実に400年ぶりの出来事だった。「カミオカンデがこれほど貴重なデータを数多く検出できたのは、非常に幸運だった」と同氏は振り返る。
小柴氏の教え「ニュートリノが地球に到達した時、準備ができている者だけがそれを捉えられる」 小柴氏が捉えた超新星爆発によるニュートリノのデータは、人類が初めて宇宙からのニュートリノを検出した事例となり、天体物理学における画期的な貢献として評価され、2002年のノーベル物理学賞受賞につながった。梶田氏によると、小柴氏はかつて「多くの人は私を幸運だと言う。しかし、あの時宇宙からニュートリノが地球に到達した際、それを捉えることができたのは、準備ができていた者だけだ」と語っていたという。
ノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章氏は、指導教官である小柴昌俊氏が自身の研究キャリアに最も大きな影響を与えたと強調した。(写真/蔡親傑撮影)
世界最大の課題は気候変動、「全員で問題解決に取り組むべき」 世界が直面する最大の課題は何か。梶田氏は「最大の課題の一つは気候変動であり、現在最も重要なのは二酸化炭素の排出量を削減することだ。しかし、依然として気候変動を信じようとしない人々が多くいる。気候温暖化を証明するための、より多く、より強力な科学的証拠が必要だ。すべての人を説得することはできなくとも、より確固たる証拠を見つけ出し、未来に対する予測精度を高める努力を続けなければならない。この問題の解決に向けて、すべての人々が参加するよう奨励する必要がある」と指摘した。
カミオカンデの規模は拡大を続けており、世界中から最高峰の頭脳が集結することが求められている。現在進行中の「ハイパーカミオカンデ」プロジェクトでは、高さ72メートル、直径68メートルの巨大な検出器が建設されており、これが世界最大のニュートリノ検出器となる予定だ。
2028年稼働のハイパーカミオカンデ、梶田氏「優秀な頭脳が必要だ」 梶田氏は、このプロジェクトが国際協力を通じて行われており、23の国と地域から650人の専門家が参加することになると説明した。「我々には世界各国の最も優秀な頭脳が必要だ。宇宙の大きな謎を解明するために、最高の人材に共同で取り組んでほしい」と強調した。
若い科学者へのアドバイスとして、同氏は「私の経験から言えば、基礎科学は非常にエキサイティングなものだ。科学に興味を持つ若者が、果敢に科学の道を選び、科学者を目指してくれることを願っている」と語った。
カミオカンデでのニュートリノ探求から重力波望遠鏡「KAGRA」プロジェクトに至るまで、梶田氏は「研究に携わる中で、胸が躍るような瞬間が数多くあった。基礎科学は本当に素晴らしい。さらに、一部の科学的研究成果や発見は、人類の未来にとって極めて重要な意味を持つ」と述懐した。
謙虚で誠実、かつ厳格に物事に取り組む梶田氏は、「人類の知の地平を広げる」という好奇心を胸に、45年以上にわたって基礎科学の研究に邁進してきた。ニュートリノから重力波の探求に至るまで、たとえ現在のところ直接的な応用が見えなくとも、彼にとって「人類の知の地平を広げる機会を得ること」自体が、最大の貢献なのである。