2012年にノーベル化学賞を受賞した米スタンフォード大学のブライアン・コビルカ教授は、パン店を営む家庭に生まれ、若い頃は医師を志していた。研修医として集中治療室(ICU)で勤務する中で、患者の命を救う医薬品の力を実感し、次第に基礎研究の道へと進んだ。
コビルカ氏は、人体の主要な情報伝達システムの一つであるGタンパク質共役受容体(GPCRs)の働きの仕組みを解明し、新薬開発に重要な基盤をもたらした。57歳だった2012年、ロバート・レフコウィッツ氏とともにノーベル化学賞を受賞した。
台湾メディア『風傳媒』の単独インタビューに応じたコビルカ氏は、人生で最も大きな影響を受けた人物として父親を挙げた。父のマネジメント哲学について、「一人ひとりの長所と限界を理解し、その人が能力を発揮し、楽しく働けるようにする。思いやりを持ち、簡単には人を解雇しない」と語る。コビルカ氏はこの考え方を自身の研究室運営にも取り入れ、大きな恩恵を受けてきたという。
コビルカ氏は「台湾ブリッジプロジェクト」の招きで台湾を訪問し、4月21日に国立清華大学で「薬物開発新時代」をテーマに特別講演を行った。同計画は、中央研究院、台湾大学、清華大学など台湾の学術研究機関が国際平和財団 (International Peace Foundation )と共同で進めるもので、台湾と世界の第一線で活躍する研究者との交流を深めることを目的としている。
コビルカ氏の研究、「世紀の謎」を解き明かし新薬開発の基盤に コーヒーの香りは、多くの人の日常に欠かせないものだ。人がその香りを感じ取るのは、主に細胞に備わるセンサーの働きによる。19世紀末、科学者らはアドレナリンが心拍数を上げ、血圧を高め、瞳孔を広げることを発見した。当時、細胞には何らかの化学物質を感知する「受容体」があると考えられていたが、その受容体がどのように働くのかは長く謎のままだった。
コビルカ氏とレフコウィッツ氏の研究は、この謎を解き明かすものだった。両氏は、ホルモンや神経伝達物質に対する身体の反応を担うGタンパク質共役受容体(GPCRs)の働きの仕組みを解明した。GPCRsは、細胞が外部からのシグナルを感知するうえで中心的な役割を果たしている。
この発見は、新薬開発にとって極めて重要な基盤となった。現在、医薬品の約半数はGPCRsの仕組みを通じて作用しているとされる。コビルカ氏とレフコウィッツ氏は、この功績により2012年のノーベル化学賞を共同受賞した。
ノーベル化学賞受賞者のブライアン・コビルカ氏。(蔡親傑撮影)
若き日の志望は医師 ICUでの経験が研究への関心に コビルカ氏は、米ミネソタ州の人口約7000人の小さな町、リトルフォールズで生まれた。同地は、史上初めて単独無着陸で大西洋横断飛行に成功した米飛行家チャールズ・リンドバーグが幼少期を過ごした町でもある。
なぜ生化学の分野に進んだのか。コビルカ氏は、幼い頃から科学に強い関心があり、大学では生物学と化学を専攻したと振り返る。当時の将来の目標は医師になることだった。
ミネソタ大学を卒業後、イェール大学医学部に進学した。研修医時代には、患者の救命に多くの薬剤使用が関わるICU医療に強い関心を抱いた。当時は将来、循環器内科医になることを志していたという。
医師から科学者へ レフコウィッツ研究室が転機に 医師から科学者へと転じるきっかけは何だったのか。
コビルカ氏はイェール大学医学部在学中、公衆衛生サービス団の奨学金を受けていた。この奨学金には、研修医訓練を終えた後、医療資源が不足する地域で3年間勤務するという条件があった。
その3年間のプログラムは、1年半を臨床医として、残る1年半を研究室で研究に従事するという内容だった。コビルカ氏は、デューク大学のレフコウィッツ研究室で研究を行う道を選んだ。
同研究室で参加したのは、最初のGタンパク質共役受容体(GPCR)のクローニングという刺激的なプロジェクトだった。研究チームはGPCRのクローニングに成功し、この経験がコビルカ氏の強い関心を呼び起こした。
「GPCRがどのように働くのか、その三次元構造がどのようなものなのか、もっと知りたいと思った」と同氏は振り返る。1986年頃、レフコウィッツ研究室で博士研究員として研究を続けていた時期に、このテーマを追究し続ける決意を固めたという。
当時、2人の子どもはまだ幼かった。研修医として常にオンコールに対応する生活は難しく、研究室での仕事を優先すれば、より多くの時間を自宅で子どもたちと過ごすことができた。
最初のGPCRクローニング計画を終えた時、コビルカ氏は探究すべき課題が数多く残されていることに気づいた。臨床医として当直を続けることは困難だと判断し、循環器内科医としての臨床訓練を続ける道を断念した。
ICUでの経験も研究テーマに大きな影響を与えた。研修医として働いていた時、アドレナリンの注射一本が患者の生死を左右する場面を目の当たりにした。これがアドレナリン受容体への強い関心につながり、その力の源を分子構造のレベルで解き明かしたいと考えるようになった。
ノーベル化学賞受賞者のブライアン・コビルカ氏は若き日にデューク大学のレフコウィッツ研究室に加わり、GPCRのクローニング計画に参加した。(蔡親傑撮影)
妻の医学部進学を支え、救急外来で家計を補う コビルカ氏は、家族を大切にする人物でもある。妻のトン・サン・ティアン氏への気遣いも深かった。
その後、スタンフォード大学医学部で教職を得たコビルカ氏は、家族とともにカリフォルニア州へ移り、一連の研究を始めた。当時、妻はスタンフォード大学医学部に進学していた。
医師から科学者への転向は、突然の決断ではなかった。1998年頃、臨床医としての経験を維持するために診療を続けるのか、それとも診療をやめるのか、選択を迫られた。最終的に、コビルカ氏は診療をやめることを決めた。
「それは突然の決定ではなく、徐々に変わっていった結果だった」と語る。
父親の経営哲学を応用、従業員を大切に これまでの人生で最も影響を受けた人物は誰か。コビルカ氏は、父親の存在を挙げる。
父はパン店を経営していた。コビルカ氏は、その父の経営哲学を自身の研究室運営にも応用しているという。
父の店は非常に忙しく、日曜日を除いてほぼ24時間稼働していた。日曜日でさえ12時間営業だった。コビルカ氏は父のマネジメントについて、「従業員を大切にし、思いやりを持っていた。たとえ特に優秀とは言えない従業員であっても、常に機会を与え、簡単には解雇しなかった」と振り返る。
父のパン店では、多くの従業員が働いていた。毎日、新鮮なパンや菓子、ケーキ、クッキーをスーパー、レストラン、学校へ届けていた。コビルカ氏の記憶の中で、父は有能な経営者だった。毎日作られるパンや菓子の品質を最高の状態に保ち、従業員一人ひとりの長所と限界を理解していた。
父は従業員全員の仕事内容を把握していた。誰かが急に休めば、父自身が現場に入らなければならなかった。
コビルカ氏は、この考え方を研究室にも取り入れている。「博士研究員や学生の長所と短所を理解し、それぞれが能力を発揮し、楽しく働けるようにしている」と話す。
研究室内の全員の仕事内容を把握し、誰かが休んだり辞めたりした場合には、すぐに対応できるようにしている。研究者に対しても、できる限り機会を与え、簡単には解雇しないよう努めている。
「マネジメントでは、異なる専門性を持つ人たちと協力することが必要だ」とコビルカ氏は語る。
ノーベル化学賞受賞者のブライアン・コビルカ氏は、父親が自身の人生に最も大きな影響を与えたと語った。(蔡親傑撮影)
失敗から学び、前へ進む 17年越しの突破口 研究室で行う実験は、しばしば失敗に直面する。コビルカ氏がスタンフォード大学で進めた研究も、1990年から2007年にかけてようやく突破口が開けた。なぜそれほど長い時間がかかったのか。
清華大学の学生からの質問に対し、コビルカ氏はこう答えた。
「失敗を経験するということは、挑戦したということだ。しかし失敗したなら、なぜ失敗したのかを見極め、そこから学び、前に進まなければならない。この17年間、私は何度も失敗したが、同時にタンパク質についてより多くのことを学んだ」
十分な量のタンパク質を確保し、生理学的実験を始める中で、受容体の働きや、なぜ結晶化が難しいのかを学んだという。受容体が非常に動的な性質を持つことも明らかになった。
そこで研究チームは、その柔軟性を抑える薬剤を探し、さらにタンパク質工学の手法を設計して柔軟性を低下させた。こうした積み重ねが、後の成功につながった。
「分子について学ぶこと、そしてこのタンパク質の振る舞いについて少しずつ新しい発見を重ねることは、とても刺激的だった」とコビルカ氏は語る。
同氏は「失敗から多くを学んだ。失敗するたびに、それは学びの機会だった。諦めようと思ったことは一度もない」と断言した。
ノーベル賞研究者たちの長時間労働と、それぞれの働き方 科学研究は、挑戦と競争に満ちている。英国ケンブリッジにある医学研究会議(MRC)分子生物学研究所は、多くのノーベル賞受賞者を輩出してきた研究拠点として知られる。研究者が長時間研究室にこもることも珍しくない。
その象徴的な人物の一人が、ノーベル化学賞を2度受賞したフレデリック・サンガー氏だ。サンガー氏は、受賞後も長時間研究室で働き続けた。
ノーベル化学賞受賞者のグレゴリー・ウィンター氏は、サンガー氏にまつわる逸話を残している。ある日、ウィンター氏は深夜近くにサンガー氏が研究室を出るのを見かけた。2人は研究室の機器を共有していたため、ウィンター氏は翌朝、少し早めに研究室へ行こうと考えた。
翌朝6時に研究室に入ると、サンガー氏はちょうど研究室を出るところだった。そして笑いながら、「少し遅いんじゃないか」と声をかけたという。
ノーベル化学賞受賞者のブライアン・コビルカ氏は、失敗から多くを学び、失敗の一つひとつが学びの機会だったと語った。(蔡親傑撮影)
研究を愛しながらも、家庭を優先 科学者には、それぞれ異なる働き方がある。コビルカ氏は科学研究を心から愛する一方で、良き父親でもあろうとした。
子どもがまだ小さかった頃、研究室で過ごす時間は10時間を超えないようにし、できるだけ自宅で子どもたちと過ごす時間を確保した。特に、妻がスタンフォード大学医学部のフルタイム学生だった時期には、主にコビルカ氏が子育てを担っていた。
研究室の仕事は決して楽ではなく、競争も激しい。仕事と家庭をどのように両立してきたのか。
コビルカ氏は、研究室の仕事が24時間体制を必要とする場合には、博士研究員と交代で対応したと説明する。1人が12時間ずつ担当する形だ。それでも、同氏は常に家庭を優先してきたという。
世界最大の課題は気候変動 科学への支援不足に懸念 世界が直面する最大の課題は何か。コビルカ氏は即座に「気候変動だ」と答えた。
「現在の問題は、国によって政治的な立場が異なることだ。米国は現政権のもとで、望ましい対応ができていない。気候変動への対応には、もっと多くの努力が必要だ」
コビルカ氏は、米国では現在、気候変動や持続可能性に関する研究への十分な支援が行われていないと指摘する。その上で、「新しい政権が誕生するまで、他国がその空白を埋めるために努力してほしい」と語った。
トランプ政権が科学に敵対的な姿勢を取っていることは、米国の科学研究力に影響を与えているのか。
この問いに対し、コビルカ氏は「トランプ政権は米国の科学研究に大きな損害をもたらした」と述べた。最も大きな影響を受けたのは若い科学者だという。
ノーベル化学賞受賞者のブライアン・コビルカ氏は、気候変動こそが世界が直面する最大の課題だとの見方を示した。(蔡親傑撮影)
若い科学者へ「難しい問いを見つけ、答えを探してほしい」 厳しい環境の中で、科学を志す若い世代にどのような助言を送るのか。
コビルカ氏は「難しい質問だ」と前置きした上で、「若い人が本当に科学研究に関心を持っているなら、ぜひ研究に取り組んでほしい。挑戦的な問いを見つけ、その答えを探す努力をしてほしい」と語った。
スタンフォード大学の自身の研究室で博士研究員として働きたい若者には、どのような条件を求めるのか。コビルカ氏は、毎日2〜3通ほど応募のメールを受け取るという。
同氏が望むのは、応募者が自身の現在の研究に関心を持っていること、そして研究室に来た場合に何を研究したいのかを明確に示すことだ。さらに重要なのは、未解決の問題を見つけ、その答えを自ら探そうとする姿勢だという。
14歳で自転車旅へ 今も続くサイクリングへの情熱 多忙な教育・研究活動の合間に、コビルカ氏はサイクリングを楽しんでいる。自転車への愛着は、若い頃の長距離旅行に由来する。
14歳の時、友人とともに自転車でイエローストーン国立公園まで2週間の旅に出た。往復約1400マイル、1日平均100マイルを走ったという。夜は学校や教会、民家に泊まり、時には刑務所で眠ったこともあった。
2005年には、息子とともにフランスでツール・ド・フランス関連のサイクリングイベントに参加した。コビルカ氏は、それを「素晴らしい経験だった」と振り返る。
若い頃は医師を志していたコビルカ氏は、最終的に臨床医ではなく基礎科学の道を選んだ。Gタンパク質共役受容体(GPCRs)の働きの仕組みを解き明かし、新薬開発の基礎を築いたその研究は、結果としてより多くの患者を救う可能性を広げた。
困難な基礎研究に身を投じた選択は、平凡な日常の中から非凡な道を切り拓くものだった。