民進党陣営から「民主の聖地」とみなされてきた台湾・宜蘭県。1981年に無所属の陳定南氏が県長に当選し、在任中に民進党へ入党して以降、2018年までの37年間で、国民党の呂国華氏が2005年に1期県長を務めたのを除き、計33年間にわたり民進党が県政を担ってきた。
こうした「民進党優位」の長期的な構図を大きく変えたのが、2018年の県長選で勝利した前羅東鎮長の林姿妙氏だった。林氏はその後再選も果たし、国民党にとって長年の劣勢を覆す存在となった。
しかし、林氏は2期目の任期中、職権を利用して不正な利益を図った罪などに問われ、一審で有罪判決を受けて停職となった。2026年の県長選で宜蘭県政の奪還を狙う民進党は、早い段階から弁護士の林国漳氏を候補に擁立。国民党は民衆党との選挙協力のもと、立法委員(国会議員)の呉宗憲氏を推し、県政維持を目指している。
ただ、国民党と民衆党の候補一本化が実現したにもかかわらず、呉氏は党内や地域組織をめぐる複数の不安材料を抱え、厳しい選挙戦を強いられている。
宜蘭県の地方自治選挙の歴史を振り返ると、陳定南氏が県長に当選する以前の8期は、すべて国民党籍の県長だった。
しかし、陳氏が国民党の強固な地方派閥による包囲網を突破し、同党による長期的な県政支配を終わらせて以降、宜蘭県では民進党による長期政権の時代が続いた。
県政を担うようになった民進党が地域への浸透を進めたことに加え、社会構造の変化も重なり、かつて国民党による資源配分に依存していた地方派閥は急速に衰退した。現在では礁渓郷の林派、呉派など、郷・鎮レベルに地方派閥が残り、地元議員や農会(農協)、寺廟などに一定の影響力を持っている。
陳定南氏(写真)が県長に当選して以降、民進党は長年にわたり宜蘭県政を担ってきた。(『新新聞』資料写真)
林姿妙氏、裁判で表立った支援できず 支持票は呉宗憲氏へ移るのか 現在の宜蘭県では、有権者の投票行動は政党支持と候補者個人のイメージに大きく左右される。
過去の国民党、民進党それぞれの得票基盤の推移について、国民党の地方選挙関係者は、2018年以前の宜蘭県では確かに「民進党が国民党より優勢」だったと指摘する。そのため、県長選でも総統選でも国民党が敗れるケースが多かったという。
林氏は口下手で、行政能力についても批判を受け、公文書を十分に理解できないとして政治的な対立相手からたびたび揶揄されてきた。一方で、親しみやすく柔らかな姿勢と、きめ細かな地域サービスによって党派を超えた有権者の支持を集め、30年以上ぶりに国民党から宜蘭県長として再選を果たした人物となった。
2022年の県長選では、汚職疑惑をめぐって検察当局などによる大規模な捜索を受けながらも、民進党候補の江聡淵氏に2万票以上の差をつけて再選した。
国民党関係者は、この結果からも林氏の地域での支持基盤が国民党の基礎票を上回り、民進党寄りの比較的穏健な有権者からも一定の支持を得ていたことが分かるとみている。
事件が無党派層の支持に影響を与える可能性はあったものの、最終的には勝敗を左右しなかった。
ある国民党の党務幹部は、「宜蘭で林姿妙氏に票を入れた人の多くは、国民党だからではなく、林氏本人を支持して投票した」と語る。
その一方で、林氏本人が候補者でない場合、相当数の林氏支持票が国民党公認候補にそのまま移るとは限らないという問題もある。
呉氏陣営は、林氏の地域サービスや有権者との交流の温かさは、ほかの政治家には簡単にまねできないとみている。
例えば林氏は早朝から地域を回る際、車に温かい肉まんや豆乳を積み、有権者と握手して言葉を交わしながら、自ら朝食を手渡すこともあったという。
こうして家族や友人のような関係の中で生まれた支持票は、林氏本人に投じられる性格が強い。林氏の選挙スタッフがすでに呉氏の支援に加わっていても、呉氏が林氏特有の支持票をそのまま取り込むのは難しいとみられている。
国民党の党務幹部も、林氏が裁判を抱えているため、自ら呉氏に同行して地域を回り、直接票を求めることができない点が、国民党陣営がやや劣勢に立っている主な理由だと指摘する。
宜蘭県長の林姿妙氏(写真)は裁判を抱えており、呉宗憲氏の選挙支援に積極的に動けないことが、選挙情勢に一定の影響を与えている。(資料写真/柯承惠撮影)
林姿妙氏が表立って動かず 民衆党支持層への影響も考慮 宜蘭県では2018年に国民党が県政を奪還し、その後、民衆党が台湾政界の第三勢力として台頭したことで、近年は政党別の得票構造にも大きな変化がみられる。
2024年総統選では、民進党の頼清徳氏と蕭美琴氏のペアが44.7%を獲得して首位となり、国民党の侯友宜氏・趙少康氏ペアの29%、民衆党の柯文哲氏・呉欣盈氏ペアの26.28%を上回った。一方、国民党と民衆党の得票率を合計すると、民進党を10ポイント以上上回る。
国民党の党務幹部は、宜蘭県では国民党と民衆党の選挙協力は順調で、呉氏のイメージも民衆党支持層に受け入れられているとみる。
しかし、両党の支持票を合わせても世論調査で優位には立てず、現在も呉氏の支持率は林国漳氏をわずかに下回っているという。
同幹部は「林姿妙氏の支持票の一部が、呉宗憲氏への支持に移っていないことと直接関係しているはずだ」と分析する。
呉氏自身は、民衆党との協力に問題はなく、同党支持者からの支持ももともと低くないと説明している。
民衆党の黄国昌主席によると、宜蘭県の民衆党支持層のうち、呉氏を支持する割合はすでに8割を超えているという。
それでも国民党と民衆党が協力してなお優勢に立てない理由について、呉氏は、林姿妙氏が表立って選挙支援できないことが自身の苦戦の原因だとは考えていないとする。
むしろ、現在の林氏陣営による水面下での支援方法のほうが、自身の選挙にとって有利だとの認識を示している。
宜蘭県の国民党選挙関係者によると、党の地域組織では林氏の裁判を「政治的迫害」と捉える声が多い一方、一審で有罪判決を受けて停職中であることは、若年層や無党派層、さらに民衆党支持層にも一定のマイナスイメージを与えているという。
歴代総統選における宜蘭県の政党別得票状況。
呉宗憲氏は「林姿妙カード」をどう使う 近すぎず、遠すぎず 国民党の地方選挙関係者は、検察官出身の呉氏が「司法の正義」を前面に掲げている点を指摘する。林氏が表舞台に出て呉氏の応援に立ち、共に地域を回れば、林氏の強固な支持層を取り込むうえではプラスになる。
一方で、民進党から「不正な利益を図った罪などに問われた人物と行動を共にしながら、司法の正義を語れるのか」と批判される可能性もある。
その結果、無党派層や民衆党支持者が呉氏への投票をためらう可能性があり、林氏の直接支援によって増える票と、若年層や無党派層で失う票を差し引けば、必ずしも呉氏にとって全面的なプラスになるとは限らないという。
同関係者は、呉氏にとって最も適した距離感について、「林姿妙氏と近すぎてはいけないが、遠すぎてもいけない」と説明する。
一方では林氏の陣営が水面下で積極的に呉氏を支援し、林氏支持票を徐々に呉氏へと集める。他方で、呉氏と林氏が一定の距離を保つことで、無党派層や民衆党支持層からの支持も維持するという考えだ。
ただ、別の国民党選挙幹部は、呉氏の最大の弱点として、宜蘭との地域的な結びつきが十分に深くなく、「落下傘候補」との見方を払拭しにくい点を挙げる。
地域色が強く、地元での評価も高い林氏から直接支援を得られれば、呉氏の地域組織を強化し、林氏支持票を取り込むうえで即効性が期待できるという。
裁判を抱える林氏と連携することで、若年層や無党派層の一部を失う可能性と比較しても、党内では林氏が適切なタイミングで支援に乗り出すことは、呉氏にとって「デメリットよりメリットのほうが大きい」とみている。
国民党中央も、林氏による支援を実現する方向で動いているという。
宜蘭県の各郷・鎮・市長の所属政党分布。
宜蘭の「張家」が動かなければ 呉宗憲陣営の大きな懸念に 呉氏陣営にとって、より大きな懸念は国民党内部の結束だ。党内予備選で呉氏と争った宜蘭県議会議長の張勝徳氏は、表向きには呉氏支持を明言し、関連する選挙イベントにも参加している。
しかし、予備選での競争を通じて生じた確執は簡単には解消できず、国民党の地方組織では「張氏は口では支持すると言っているが、実際には動いていない」との話が根強く出ている。
呉氏陣営も、国民党支持者から「張勝徳氏の呉氏支持はそれほど強くない」「張氏の一族は民進党陣営とも微妙な関係にある」との声を多く聞いていることを認めている。こうした状況を受け、一部の熱心な国民党支持者は張氏への不満を強めている。
関係者によると、眷村(軍人・軍属らの居住区)の黄復興系党員からは、張勝徳氏の陣営に対し、「党公認の県長候補を本気で支持しないのであれば、県議選で自分たちの票を期待するな」と直接圧力をかける動きも出ているという。
張氏が県議選で当選し、議長再選を目指すには、まず自身の選挙区を固める必要があるため、呉氏の支援に十分な時間を割けないのは当然であり、意図的に動かないことや足を引っ張ることとは別問題だという。
また、張勝徳氏は県議会議長ではあるものの、選挙区を越えて票を動かせるほどの影響力はなく、幅広い地域人脈を持ち、宜蘭の政治事情に詳しいのは父親の張建栄氏だと指摘する。
張建栄氏は前宜蘭県議会議長で、国民党宜蘭県党部主委を8年間務めた。張家は国民党の票田である宜蘭市を地盤とし、強い地域組織を持つ。
国民党の選挙幹部によると、党中央も、張建栄氏が呉氏を本格的に支援するかどうかが宜蘭県長選の勝敗にとって極めて重要だと認識している。
そのため、国民党の鄭麗文主席や李乾龍秘書長らが先ごろ宜蘭を訪れ、張建栄氏と面会し、張家による呉氏への支援を直接求めた。
しかし、国民党の地方選挙関係者は、党中央が張建栄氏の支援の重要性を強調していること自体が、国民党の地域組織や呉氏陣営が強く懸念する弱点を浮き彫りにしているとも指摘する。
宜蘭県議会の張勝徳議長(写真)が呉宗憲氏をどこまで本格的に支援するかに、支持者の関心が集まっている。(資料写真/柯承惠撮影)
国民党「張家」と民進党・陳金徳氏、党派を超えた深い関係 宜蘭の地方事情に詳しい関係者によると、張建栄氏は国民党の地方重鎮で、選挙では民進党と激しく争ってきた。一方、張家が宜蘭で長年展開してきた事業は、特定の政党だけに寄ることが難しく、民進党、国民党のどちらが政権を担っても、良好な政財界関係を維持する必要があるという。
そのため、張建栄氏は、民進党陣営で現在「宜蘭王」とも呼ばれる陳金徳・行政院政務委員と、政党は異なるものの親しい関係にある。陳氏は林国漳氏の選挙戦を支える最も重要な人物の一人でもある。さらに、地方では林姿妙氏が県長を務めていた時期、県政の実権を娘の林羿伶氏が握っていたとされ、張家と林家の関係は良好ではなかったとの話も出ている。
林姿妙氏の陣営がすでに呉氏の支援に全面的に加わっていることから、張家が陳金徳氏との関係を悪化させず、同時に林氏と同じ陣営に立つことを避けるため、呉氏の選挙戦に中立的、あるいは消極的な姿勢を取る可能性があるという。
この関係者は、宜蘭の国民党関係者の多くが、張家が年末の県長選で「どちらにも明確につかない」態度を取る可能性を懸念していると指摘する。
過去には、その懸念を裏付けるとみられている例もある。
2005年、国民党公認の呂国華氏は宜蘭県長に当選した。呂氏の主要な地盤も宜蘭市だったが、呂陣営と張家の間ではたびたび摩擦があったとされる。
2009年に呂氏が再選を目指した際、張建栄氏は「動かず、消極的に支援する」姿勢を取ったとされる。
当時、国民党主席を兼ねていた馬英九総統が13回にわたり宜蘭入りして選挙支援を行ったものの、呂氏は最終的に民進党公認の林聡賢氏に敗れた。
呉氏陣営の関係者は、当時の呂氏には行政資源があり、地域での支持基盤も決して弱くなかったと指摘する。それに対し、現在の呉氏は宜蘭での地域組織が弱く、置かれた状況は呂氏よりも厳しいという。
張家が2009年と同じように、表面上は一緒に「当選」を叫びながら、地域組織では動かない姿勢を取れば、呉氏が林国漳氏との選挙戦を楽観視することは難しいとみている。
一方、ある国民党幹部は、張建栄氏と陳金徳氏の私的な関係が深かったとしても、張勝徳氏が議長を続けるには国民党県議の支持が必要だと指摘する。
張家が様子を見ることはあっても、民進党側へ転じたり、水面下で民進党を支援したりする可能性は低いとの見方だ。
最終的には、呉氏自身が「勝てる候補」として勢いを示せるかが重要であり、支持の伸びが鈍い状態が続けば、張家の地域組織が様子見からさらに消極姿勢へと傾き、国民党の厳しい選挙情勢を一段と悪化させる可能性があるという。
張勝徳氏の父、張建栄氏は、民進党陣営で「宜蘭王」とも呼ばれる陳金徳氏(写真)と親しい関係にある。(資料写真/柯承惠撮影)
林姿妙氏停職後の宜蘭県政府 代理県長は民進党候補のイベントにも出席 呉氏陣営が不満を抱いているもう一つの問題は、宜蘭県が国民党政権でありながら、地方与党としての行政上の優位をほとんど感じられないことだという。
林姿妙氏の停職後は、法律に基づき林茂盛副県長が県長職を代行している。林茂盛氏は無所属で、国民党との関係は深くない。公共工程委員会や新北市政府で勤務した経歴を持つ、行政実務畑の人物だ。
林茂盛氏の下、宜蘭県政府は各部局に行政中立を厳守するよう求め、政治的な問題に巻き込まれることを極力避けている。
かつて県政府内で影響力を持っていた林姿妙氏の娘、林羿伶氏が残っていれば、一定程度は呉氏の支援につながった可能性もあるが、林羿伶氏も林姿妙氏の事件に関係して表舞台から退いている。そのため、呉氏陣営は県政府との調整に非常に苦労しているという。
呉氏は、先ごろ立法委員として台湾高速鉄道に関する公聴会を開いた際、県議会議長や県議らが出席したにもかかわらず、国民党が県政を担う宜蘭県政府からは課長級の職員1人しか派遣されなかったと不満を示した。
しかも、その職員には上層部から「意見を述べた後は退席するように」と指示が出ており、その理由は行政中立だったという。
一方で呉氏は、林茂盛氏が県政を円滑に進めるためか、民進党側とは比較的良好な関係を保っていると指摘する。
林国漳氏が冬山郷で高齢者向け食堂の開設イベントを開いた際、林茂盛氏は当初蘇澳鎮で予定されていた日程を急きょ取りやめ、林国漳氏のイベントに出席したこともあったという。
呉氏は「少なくとも宜蘭県が民進党政権ではないことだけはありがたい。そうでなければ、県政府全体が冬山郷や蘇澳鎮のように、郷長や鎮長が民進党候補と一緒に地域を回って票を求める状態になっていただろう」と自嘲気味に語った。
県長職を代行する林茂盛氏は、民進党の宜蘭県長候補、林国漳氏(写真)の陣営と良好な関係を保っている。(資料写真/顏麟宇撮影)
表向きは国民党政権 県政府は「中立よりやや民進党寄り」? 国民党の地方関係者は、現在の宜蘭県について、「名目上は国民党が県政を担っているが、実際の県政府の立場は中立よりやや民進党寄りになっている」と話す。
同関係者によると、宜蘭の国民党候補は、ほかの自治体で自党が政権を担っている場合に候補者が得られるような環境を享受できていない。
その一方、消防局が捜索を受けるなど県政府で問題が起きれば、すでに実権を持たない林姿妙氏の問題として扱われ、さらに林氏が国民党籍であることを理由に、「宜蘭県は国民党政権なのだから、県政上の問題について国民党が責任を負うべきだ」と批判されるという。
呉氏陣営は、こうした形でたびたび巻き添えを受けることに不満を抱いている。県議会議長派や林茂盛氏を中心とする県政府側は呉氏との関係が深くない一方、民進党陣営の「宜蘭王」とされる陳金徳氏とは別の関係を持つ。
国民党中央も、呉氏が選挙戦で直面しているこうした事情を把握している。ある国民党の選挙幹部によると、党中央が、宜蘭市長や地域選出の立法委員、副県長を歴任した林建栄氏に、県党部主委と呉宗憲氏の選挙対策本部長を兼任させたのは、党務と選挙実務を一本化し、組織力を最大限に生かす狙いがある。
林建栄氏は政治経験が長く、人脈も広い。県政府の多くの局長や職員にとって、かつての上司でもある。
国民党側は、林建栄氏が前面に立つことで、呉氏が行政機構との関係で感じている不公平な扱いを改善できると期待しており、党にとって有効な人事だと評価している。