9月19日、米国の半導体大手Nvidia(エヌビディア)は、Intel(インテル)へ50億ドル(約7,750億円)の投資を行うと発表した。かつては「投資しない」と言い切っていたNvidiaが、半年足らずで方針を転換した形だ。背後には、トランプ大統領が掲げる「世界の半導体サプライチェーンを再編する」という強い意志があるとみられ、TSMCを含む台湾勢は、いまや米国の戦略の中心に組み込まれている。
米国商務長官ハワード・ルートニック氏は、TSMCのアリゾナ工場が「CHIPS法」に基づき65億ドル(約1兆75億円)の補助金を得ることについて、「全く理にかなわない」と公に批判。「企業へのギフトのようだ」と述べ、Intelが米国政府に出資を受け入れているのを例に、TSMCも同様に資本参加を認めるべきだと暗に求めた。
しかし台湾政府は長年、TSMCへの税制優遇を米国を大きく上回る規模で続けてきた。TSMCが世界的ファウンドリ企業へ成長したのは、この制度的後押しがあったからだ。では、米国が“わずか”65億ドルの税控除でTSMC株を求めてきた場合、台湾はそれを受け入れるべきなのか。
台湾の半導体産業は、税制だけで育ったわけではない。1973年、行政院長だった蔣経国氏は工業技術研究院(ITRI)を設立し、孫運璿氏らと共に米国のIC技術導入を進めた。1976年には邱羅火氏を含む19名の若手技術者を米RCAに送り込み、製造プロセスからIC設計まで徹底的に学ばせた。
その後、李国鼎氏が張忠謀氏を台湾に招き、TSMC創設につながった。いまのTSMCの地位は、こうした半世紀にわたる官民の積み重ねの結果である。
当時米国は、日本の台頭を抑えるため1985年の「プラザ合意」で急激な円高を誘導し、翌1986年には日本のDRAMを「ダンピング」と認定し、「日米半導体協定」を結ばせた。この結果、日本には100%の懲罰関税が課され、台湾と韓国が半導体産業を伸ばす余地が生まれた。台湾はその好機を逃さず、半導体産業の育成に向けて巨額の税制支援を投じてきた。
2023年11月、TSMC創業者の張忠謀氏は第1回李国鼎賞を受賞した際、「李国鼎氏(写真)がいなければ、TSMCも存在しなかった」と語った。(写真/新新聞)
高科技投資控除、8年間で6,000億台湾ドル突破 半導体・光電材料・部品製造が3分の1を占める 2015年、立法院予算センターは「科学工業園区の設置コストと転換」に関する研究報告をまとめた。
馬英九政権の税制改革により、租税優遇は「促進産業発展特別条例(促産条例)」の設備投資控除から、「産業イノベーション条例(産創条例)」の研究開発控除へ移された。
背景には、台湾のハイテク産業がすでに国際競争力を持ち、投資控除が「税基の流出」を招き、事実上の輸出補助となっていた問題がある。
報告によれば、台湾のハイテク企業は科学園区に工場を設けることで、新規投資設立5年間の免税、増資拡大4年間の免税および設備投資控除 などの大規模な優遇措置を受けていた。
これらの措置は2001年に一度廃止されたが、その後は促産条例へ戻され、2005〜2013年の「科学園区」関連の税式支出は合計402.11億台湾ドル(約1,969億円)に達した。さらに2005年以前の優遇まで含めれば、規模はさらに大きい。
促産条例の投資控除が正式に廃止されたのは2009年12月だが、財務部の試算では、2005〜2013年に同条例第6条・第9条を通じて高科技企業が得た控除額は合計6181.49億台湾ドル(約3兆2,289億円)。 このうち半導体、光電材料、部品製造業が2,050.78億台湾ドル(約1兆53億円)を占め、総額の3分の1に達した。
台湾のハイテク企業は科学園区に工場を構え、「科学園区設置管理条例」に基づく新規投資5年間の免税や増資拡大4年間の免税、設備投資控除など、各種の税優遇を享受してきた。写真は2022年12月、TSMC南科・ウエハー18工場で行われた3ナノ量産と拡張完工の記念式典。(写真/柯承惠撮影)
TSMC+聯発科技の税優遇額は「工研院の予算を上回る規模」 前述の報告は、「最低税負担制度」導入後の10年間──すなわち2005年以降、高科技産業がどれだけ租税優遇を受けてきたかを試算しているが、特定企業(たとえばTSMC)ごとの詳細は示していない。ただ、2009年に「促産条例」廃止が社会的議論となった際、TSMCが最大の注目対象だったことは間違いない。
凌陽科技(Sunplus)副総経理・陳熾成氏が2014年に発表した修士論文「IC産業の成功事例による特別条例の効果分析」によれば、TSMCは2008~2012年の5年間で純利益7,041億台湾ドル(約3兆4,700億円)を計上した。本来の法人税率であれば1,259億台湾ドル(約6,168億円)を納税するはずが、実際の納税額は513億台湾ドル(約2,513億円)にとどまり、5年間で746億台湾ドル(約3,655億円)の税負担が軽減された。実効税率はわずか7.3%である。
陳氏は論文で、同期間にTSMCと聯発科技(MediaTek)の2社だけで、政府が控除した株主事業所得税は合計915億台湾ドル(約4,484億円)に達し、年間平均183億台湾ドル(約896億円)の税優遇は「工業技術研究院(ITRI)の年間予算を上回る規模」だと指摘している。
その後、「促産条例」廃止に伴い、「産創条例」第10条によるR&D投資控除へと政策は切り替わった。しかし、優遇規模は大きく縮小した。財務部によると、2012~2021年に承認されたR&D控除額は1,255.54億台湾ドル(約6,152億円)で、企業が実際に減税されたのは年間平均127.02億台湾ドル(約622億円)にすぎない。
さらに、2019年に追加された「スマートマシン・5G投資控除」による減税額は試算で75億台湾ドル(約368億円)と見積もられている。こうした政策転換により、TSMCは「税制優遇の独占的受益者」という地位を失い、代わって台湾全企業の中で最大の納税企業となった。2024年度の法人税収(純額)は6,265億台湾ドル(約3兆706億円)だが、そのうちTSMC1社の納税額は1,000億台湾ドル(約4,900億円)超に達する。
民進党政権は神山に再び賭ける TSMCは米国との結びつきを強化 しかし、米中貿易戦争と地政学的緊張が続くなか、民進党政権は再び投資控除による優遇策を打ち出し、とりわけTSMCへの支援を厚くしてきた。桃園・新竹・苗栗に広がる「台湾シリコンバレー」から南部のS字型回廊に至るまで、台湾各地の科学園区拡張はTSMCの工場増設と歩調を合わせて進んでいる。TSMCは「護国神山」としての象徴性を一段と強め、米台の政治的な結びつきを固めるための要としても位置づけられている。
2020年9月、トランプ大統領の再選キャンペーンが続く中、米国務省で経済成長・エネルギー・環境を担当するキース・クラッチ次官が代表団を率いて訪台した。蔡英文前総統は自邸で晩餐会を開き、その席にTSMC創業者の張忠謀氏(Morris Chang)を招いた。この会合が、翌年に決まるTSMCのアリゾナ進出の重要な転機になったとされる。クラッチ氏が、その橋渡し役を務めた形だ。
その後、台湾側がどの政権を選択しようとも、米国側の基本路線は大きく変わらなかった。バイデン大統領(当時)も「チップと科学法案(CHIPS Act)」を継承し、半導体製造奨励プログラムとして39億ドル(約6,045億円)の投資補助を用意するとともに、「商業R&Dおよび人材育成プログラム」を通じて13億ドル(約2,015億円)の半導体技術者育成補助金を計上した。さらに、先端プロセス向け設備投資には25%の投資税額控除を適用し、米国内への製造回帰を後押ししている。
2020年、蔡英文前総統(左)は自邸で夕食会を開き、来台した当時の米国務次官キース・クラッチ氏と、TSMC創業者の張忠謀氏(右)とともに会談した。(写真/蔡親傑撮影)
台湾版CHIPS法で先端製造は守れるのか トランプ復帰で圧力はいっそう増す 今年、トランプ氏が再びホワイトハウスに戻り、7月には半導体優遇策を盛り込んだ「一つの大きくて美しい法案 (One Big Beautiful Bill Act、OBBBA)」が成立した。2026年までに建設が始まる半導体工場を対象に投資税額控除を35%へ引き上げる一方で、半導体製品に最大100%の関税を課す可能性にも言及している。こうした強い圧力がかかるなか、TSMCの魏哲家会長は今年3月4日にトランプ氏を訪問し、米国で総額1,000億ドル(約15兆5,000億円)の工場拡張を約束したとされる。さらに米側が示したパッケージには、TSMCによるIntelへの出資案や、65億ドル(約1兆75億円)の補助金をTSMC株式として受け取らせる案など、台湾側にとって踏み込みの強い条件も含まれている。
経済部は台湾版CHIPS法により、台湾の研究開発支出が年間およそ1,400億台湾ドル増えると試算している。写真はイメージ。(写真/顏麟宇撮影)
研究開発投資控除は25%に拡大 前向き研究開発の成長率は1.67倍へ 台湾版CHIPS法に関する税控支出報告によれば、台湾の半導体先端製造向け設備の多くは日米オランダから輸入されており、2016〜2021年の平均輸入額は3,992.99億台湾ドル(約1兆9,565億円)に達する。同期間の台湾全体の固定資本形成を見ると、製造業による機械設備購入額の平均は9,777.51億台湾ドル(約4兆7,910億円)。TSMCの資本支出は台湾民間投資の約13%を占め、経済部によれば、半導体先端製造関連設備は台湾の半導体装置輸入全体の約4割を占めている。
先端設備投資に5%の税控除が適用されることで、経済部は「誘発される追加投資額は約1,173億台湾ドル(約5,747億円)」に達すると試算している。
さらに、台湾版CHIPS法で「前向き革新研究開発(advanced innovative R&D)」の投資控除が15%から25%に引き上げられたことにより、研究開発投資全体の成長率は年平均14%から23%へと大幅に伸び、約1.67倍のペースになると見込まれている。2016〜2021年の台湾企業の年間平均研究開発支出は2,042.71億台湾ドル(約1兆円)。このうち前向き研究開発の比率を40%とすると、基準額は817.08億台湾ドル(約4,000億円)であり、税控除の拡大で毎年新たに約187.93億台湾ドル(約921億円)の研究開発支出が誘発される計算だ。成熟プロセスの改良研究を含めれば、台湾の年間研究開発支出は1,399.93億台湾ドル(約6,859億円)増えると経済部は見ている。
経済部は台湾版CHIPS法により、台湾の研究開発支出が年間およそ1,400億台湾ドル増えると試算している。写真はイメージ。(写真/顏麟宇撮影)
ASMLにも波及する台湾の補助金 税控除の適用を強く主張 台湾版CHIPS法案も、かつての促産条例と同様に、奨励や補助の相当部分が半導体装置サプライチェーンに広がっている。その最も典型的な例がオランダのASMLだ。台北高等行政法院の判決によれば、ASMLは2007年に台湾で「グローバル卓越イノベーションセンター」を設立し、台湾メーカーが45ナノ、32ナノ世代へ迅速に移行できるよう、総額17.23億台湾ドルを投じて支援した。当時、経済部は人材訓練費として4.3億台湾ドルの補助を認めたものの、この税額控除は国税局により却下された。ASMLは、台湾企業の技術者をオランダ、米国、日本の各拠点に派遣し、リソグラフィ技術の専門訓練を実施していた。
ASMLは裁判で、促産条例の趣旨は台湾の半導体人材がサプライチェーンで不足する重要技術を学び、能力を高める点にあり、自社の研修は浸漬露光や深紫外線(DUV)といった高度技術を習得する唯一の機会を提供していると主張した。これらは一般の研修機関では学べない内容であり、台湾の産業基盤に不可欠な技術として強調された。
台湾版CHIPS法による補助は、半導体製造装置サプライチェーンにも波及せざるを得ない。写真は台湾に設置されたASMLのグローバル卓越イノベーションセンターのイメージ。(写真/AP通信)
台湾の補助額は65億ドル超 それでも「米TSMC」圧力は消えない 促産条例、産創条例、そして台湾版CHIPS法に至るまで、台湾政府がTSMCを含む半導体産業に注いできた補助は累計65億ドル(約1兆75億円)をはるかに超える。その効果はASMLなど装置サプライヤーにも波及しているが、台湾政府は米国のように「補助金を株式化する」手法を採ってこなかった。
台湾の国発基金はTSMC株の6.38%(市場価値2.09兆台湾ドル=約10兆2,410億円)を保有しているが、これは創業初期の出資であり、税優遇の対価ではない。仮に米国が提示した65億ドルの補助金をTSMC株式に換算しても、保有比率は0.5%程度にしかならず、TSMCは株式化要求を明確に拒否している。
突き詰めれば、トランプ政権が描く構図は「日米半導体協定」の再現に近い。台湾や韓国の先端プロセス技術を米国に引き戻す長期的シナリオであり、元駐日代表の謝長廷氏は「米国がいまTSMC株を持たないのは、単に“その時”を待っているだけかもしれない」と語る。台湾に対する「米TSMC(American TSMC)」の圧力は、長期的にはまだ消えていないという見方だ。