高市早苗首相が近年、「台湾有事は日本有事だ」と改めて強調したことで、緊張状態にあった日中関係はさらに一段と高まった。同時に、「なぜ日台関係はこれほど友好的なのか」という問いが改めて注目を集めている。時間軸を2011年の東日本大震災(以下、3.11)まで遡ってみると、この言葉の背後にある感情的土壌が見えてくる。政治評論家の黄暐瀚氏はThreadsで、日台関係は初めから親密だったわけではなく、3.11、四川大地震(汶川)、台湾・9.21地震など度重なる災害を通じて、寄付、救助活動、民間交流の積み重ねによって形成されてきた「互信」だと振り返る。
「台湾有事は日本有事」発言の背景にある、3.11がもたらした情感の転換点
北京が繰り返し他国に対し「以台制華」に反対すると警告する中で、高市首相は公の場で「台湾有事は日本有事だ」と発言した。これに中国が強烈に反発する一方、日本社会では3.11当時の台湾からの支援を思い起こす声が広がった。黄氏によれば、過去の日台関係は「現在ほど良好ではなかった」といい、転換点はやはり2011年の3.11だった。
震災と津波で東北地方が甚大な被害を受けた中、台湾社会は迅速に募金活動を開始し、最終的に200億円を寄付。これは世界最多の支援額で、日本社会を驚かせた。当時、日本では「国際社会でしばしば存在感が小さいとされる台湾が、なぜこのような支援を行ったのか」と戸惑う声も上がった。また、台湾が支援したにもかかわらず、日本政府は外交上の「第三国」への配慮から、台湾に対して公に感謝を表明できなかった点も多くの日本人に複雑な印象を残した。
公式対応の「冷たさ」を補ったのは民間 3.11追悼で深まった悔恨と再評価
震災翌年の2012年、3.11一周年追悼式で台湾代表は献花の機会を与えられなかった。200億円の支援にもかかわらず、式典における扱いは相応ではなかったとの批判が日本国内で噴出し、「北京への過度な配慮が、台湾への正当な敬意を損ねたのではないか」との反省がメディアで広く議論された。
これを埋め合わせるように日本の一般市民が次々と動き出した。追悼関連展示会で台湾向けに中国語の感謝メッセージを書く人、台湾観光客を特別に歓迎する旅行業者、飲食店が店頭に「台湾の友人に感謝」と手書きのメッセージを掲げる光景が広がった。黄氏は、転機は政権交代後の2013年だと指摘する。民主党政権(野田佳彦首相)から安倍晋三政権に移行したその年、台湾代表の沈斯淳氏が初めて公式に追悼式へ招かれ、会場で明確な敬意を受けた。一方、中国は式典への参加を見送った。この対比は、後に日台関係を語る際の象徴的エピソードとなっている。
1999年・2008年・2011年 日台互助の「時間軸」をつなぐ
災害支援の歴史を時間軸で並べると、今日の日台友好の「基盤」がより明確になる。 (関連記事: 高市早苗氏の「台湾有事」発言 岡田克也氏が語る「予想外の真相」 | 関連記事をもっと読む )
● 1999年(台湾 9.21大地震)
















































