高市首相による「台湾有事」発言が国際的な波紋を広げる中、中国が『サンフランシスコ平和条約』の効力を否定したことで、かえって日本と台湾の世論は1895年締結の『下関条約』が法的に再浮上しうるのかという点に注目する事態となっている。これにより、台湾の主権帰属問題が国際社会で改めて真剣に議論される展開となっている。
下関条約論争・整理① 発端は「日本が台湾の安全と地位未定を再確認」
最近、日本と中国の関係は台湾問題をめぐって緊張が続いている。高市早苗首相は繰り返し「台湾有事は日本有事」と明言し、中国の強い反発を招いた。
高市首相は最近の国会党首討論でも日本政府の従来の立場を重ねて表明し、1951年に調印された『サンフランシスコ平和条約』を引き合いに出し、日本は同条約により台湾に関するすべての権利を放棄したため、日本政府は台湾の法的地位を認定する立場にないと説明した。台湾情勢がいかに日本の存立危機に当たるかについては、実際の事態の進展を見て判断すると述べた。
下関条約論争・整理② 中国が『サンフランシスコ講和条約』を否定、法理の逆流現象
これに対し、中国外務省は日本の主張を強く批判し、中国当局は『サンフランシスコ平和条約』を認めたことがなく、同条約は「違法で無効」であると改めて主張した。中国側は、この条約が1942年の『連合国共同宣言』にある「敵国との単独講和を禁ずる」規定に違反し、国連憲章および国際法の基本原則にも背くと論じている。したがって、中国が締約国でない以上、台湾の主権帰属に関する条項も含め、中国の領土及び主権に関するいかなる処分も無効であるとしている。
しかし、この主張は思わぬ逆説的議論を生んだ。もし『サンフランシスコ平和条約』が無効であるならば、日本が同条約に基づいて台湾を放棄した行為自体も存在しないことになる。時間を遡れば、台湾の法的地位は1895年の『下関条約』における「日本への割譲」に留まるのではないか、という論理が一部の論者やネット世論で展開されるようになったのである。
この論理は皮肉を込めて「下関条約が『強制更新』された」という奇想天外な解釈として語られた。元東京都足立区議の松丸誠氏は、中国の態度は「墓穴を掘る行為と同じだ」と批判し、平和条約が無効であるなら台湾は依然として日本領土であって、中国領ではないことになると公言した。
下関条約論争・整理③ 条約の歴史的位置づけ――日清戦争から戦後体制へ
この法的論争を理解するには、二つの条約の歴史的意義を整理する必要がある。
『下関条約』(正式名:日清講和条約)は1895年4月17日に締結され、日清戦争を終結させた。清朝は敗戦の結果、台湾およびその附属諸島(澎湖諸島を含む)を大日本帝国に永久に割譲し、台湾は約50年間にわたり日本統治下に置かれることとなった。
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第二次世界大戦後の1951年9月8日、『サンフランシスコ平和条約』が調印され、日本の敗戦処理と戦後の国際法秩序を定めた。同条約第2条によって、日本は台湾および澎湖に対するすべての権利、権原、請求権を放棄した。しかし、条約文には台湾の帰属先については明記されておらず、ここにいわゆる「台湾地位未定論」の法的根拠が存在する。





















































