今年初め、台北市大安区でハンタウイルス感染症による死者が出た。双連市場(双連朝市)付近で数十匹のネズミが群れる動画がSNSで拡散されると、事態は一気に政治問題へと発展した。矛先は蔣万安(しょう・ばんあん)市長の都市管理能力へと向けられている。
しかし、これは台北だけの話ではない。研究者たちは、気温上昇、急速な都市化、人口密度の増加が重なり、いま世界中の大都市でネズミが爆発的に増殖する条件が整いつつあると警告する。
温暖化が「冬の淘汰」を消した 世界11都市でネズミが急増
2025年に学術誌『Science Advances』に掲載された研究は、世界16都市を調査し、そのうちニューヨーク、ワシントンD.C.、アムステルダム、トロントなど11都市でネズミの個体数が増加していることを突き止めた。増加の直接的な要因は気温上昇だ。かつて個体数を自然に抑制していた厳冬が失われ、ネズミはより頻繁に繁殖し、一年を通じて生き延びやすくなっている。
同様の傾向はヨーロッパや北米全域でも確認されている。ロンドンでは依然として大量のネズミ苦情が寄せられており、老朽化したインフラと財政難に悩む多くの都市が有効な対策を打ち出せずにいる。
台北でも状況は変わらない。2026年5月5日、国立台湾大学公衆衛生学部の詹長権(チャン・チャンチュアン)教授はFacebookに投稿し、台北のネズミ急増は国際研究が示す3つの要因、すなわち気候の温暖化、都市の過密化、食品廃棄物の増加によるものだと指摘した。この投稿は風傳媒をはじめ各メディアで広く引用された。
衛生問題ではない、構造問題だ 3つの根本要因
「街をきれいにするだけでは解決しない」と専門家たちは口をそろえる。問題の根は、もっと深いところにある。
暖冬がネズミの繁殖サイクルを変える
「都市が温暖になるほど、ネズミの個体数は速く増える」。『Science Advances』研究の主任研究員、ジョナサン・リチャードソン氏はそう述べる。わずかな気温上昇でも繁殖期は延び、年間を通じた生存率が跳ね上がる。亜熱帯気候の台湾では、この効果がさらに増幅される。
過密都市が「隠れ家」を無限に生み出す
現代の都市は、地下下水道、工事の隙間、建物の空洞など、ネズミにとっての絶好の隠れ場所に満ちている。緑地が失われるにつれ、ネズミは人間の生活圏へと追い込まれていく。人口密度の高い台北では、この構造的な脆弱性が際立つ。
夜市文化の「副産物」が大規模コロニーを育てる
選挙を前に蔣万安市長へ批判集中 「駆除」から「都市改造」へ
ハンタウイルス感染症による死者と拡散した市場動画は、市政府への批判を一気に高めた。野党は選挙をにらみ、このネズミ禍を都市管理の失敗として位置づけようとしている。
詹教授はFacebookで根本的な転換を訴えた。短期的な清掃でネズミを追いかけるのではなく、廃棄物管理・インフラ・公衆衛生システムを再設計し、ネズミが寄り付きにくい都市構造そのものを作り直すべきだ、というのである。
ニューヨーク・東京・ニューオーリンズ 成功した都市の共通点
ニューヨーク
密閉ゴミ容器の義務化を導入。2024年12月には市内全体でネズミ目撃情報が23%減少、試験区域のハミルトンハイツでは55%減を記録した(ニューヨーク市衛生局、2024年)。
東京
清潔さを守る公共意識の高さと、地域住民による迅速な通報体制の組み合わせが、極度の過密状態にもかかわらずネズミ数を低水準に保っている。
ニューオーリンズ
長期モニタリング、部門横断的な連携、市民教育を組み合わせた取り組みが、調査対象都市のなかで最大規模の個体数減少をもたらした。
「不快感」では済まない ハンタウイルス感染症の致死率は最大40%
リスクは不快感にとどまらない。WHO(世界保健機関)によれば、ハンタウイルス感染症の致死率は病型と地域によって大きく異なる。アジア・欧州で流行する「腎症候性出血熱(HFRS)」は致死率1%未満〜15%だが、アメリカ大陸で流行する最重症型「ハンタウイルス肺症候群(HPS)」は致死率20〜40%に達する。感染にネズミとの直接接触は不要で、糞や尿から舞い上がるウイルス粒子を吸い込むだけで感染する。
『Science Advances』の論文によれば、ネズミは世界中で50種類以上の人獣共通感染症の病原体・寄生虫を媒介しており、関連疾患にはレプトスピラ症、発疹熱、腺ペストが含まれる。
毒と罠では勝てない 年間約5億ドルを費やしても個体数は増え続ける
従来の手法は効果を失いつつあり、場合によっては逆効果すら生んでいる。『Science Advances』の試算では、世界の「ネズミとの戦い」に都市・政府が費やすコストは年間推定5億ドル(約780億円)。それでも大半の都市で個体数は増加し続けている。
ニューヨークが2014〜2019年に殺鼠剤の使用量を大幅に増やしたにもかかわらず、目撃情報は増え続けた。原因は単純で、毒や罠は「症状」に対処するが、「原因」には触れない。個体数を減らしても環境を変えなければ、食料と縄張りをめぐる競争が減った残りのネズミが、すぐに数を回復させてしまう。
加えて、殺鼠剤は生態系への深刻なダメージも引き起こす。抗凝固性の毒は摂取したネズミの肝臓に蓄積し、それを捕食するタカ・フクロウ・コヨーテへと毒素が「二次中毒」として連鎖していく。カリフォルニア州は「ポイズンフリー野生生物法(AB 2552)」を制定し、都市部での抗凝固剤使用を厳しく規制している。
専門家が今提唱するのは「総合的有害生物管理(IPM)」だ。化学的手段を最終手段と位置づけ、廃棄物管理の改善、建物の侵入口の封鎖、食料源の排除、長期モニタリングを軸に据える。リアルタイムでネズミの活動データを伝送するBluetooth対応のスマートトラップや、致死的方法を使わない避妊用ベイト(餌)など、新技術の活用も進む。『Journal of Pest Science』の2024年査読論文は、持続的な成果をもたらすのは「一度きりの駆除作戦」ではなく、生息環境の改善と継続的な市民参加を組み合わせた地域全体のキャンペーンだと結論づけている。
台北の「ネズミ禍」は、温暖化する地球の縮図だ
台北が直面している状況は、決して特殊ではない。温暖化が進み、都市がさらに密集するにつれ、同様の事態は世界中で激化していく。問いはもはや「ネズミを根絶できるか」ではなく、「個体数をコントロールできる速さで都市が変われるか」である。
台北にとって今後数年は、公衆衛生システムだけでなく、政治的説明責任と都市政策の近代化能力が問われる時間になる。市場を走るネズミの群れと、最近のハンタウイルス感染症による死亡例は、すでに始まっている大きな変化の最初の明確なシグナルかもしれない。