日本のプロ野球界で長年活躍した張本勲が9月9日に亡くなった。享年86歳だった。「安打製造機」の異名を取った張本は、NPB唯一の通算3000安打達成者で、通算安打のNPB記録保持者。またNPB唯一の通算500本塁打・300盗塁達成者。
さらに史上最多の16度のシーズン打率3割、史上最長の9年連続打率3割のNPB記録保持者。長年のプロ野球ファンにとっては、忘れることのできない名選手だ。
後に、数々の輝かしい記録を残した張本が、元在日韓国人二世の野球選手として、日本球界のみならず韓国でも尊敬を集める存在だとを知った。深刻な民族差別が横行した時代、壮絶な貧困の中で育った在日韓国人二世の少年が、日本プロ野球界を代表する選手となって活躍したサクセスストーリーが、韓国の人々に感銘を与えたことは想像に難くない。
1990年代のある年、ソウルの食堂のテレビで野球中継が流れていた。アナウンサーが「장훈씨(張勲さん)」というのでテレビを見やると、解説席に張本が座って韓国語で受け答えしていた。
筆者は韓国語使いではないので、文法や言い回しなどの細かい点についてはよく分からなかったが、やや日本訛りながらも、けっこう流暢に、そして楽しそうに話していたことが印象に残っている。彼の韓国語は在日一世の母上と対話することで鍛えられたと聞き、合点がいった。やはり母の影響は絶大なのだ、と。
張本は晩年、幼少時に広島で被爆した体験をメディアや講演などを通じて語り継ぐことに力を注いだと聞く。張本は1945年8月6日、5歳の時に爆心地から約2kmの広島市内の自宅で被爆した。
6歳上の姉が爆心地近くで全身に大火傷を負い、数日後に亡くなった。母もガラスの破片が刺さる重傷を負った。張本少年も被爆後、焼けただれた人々や、暑さからドブ川に飛び込む人々の姿など、壮絶な情景を目の当たりにしたという。
しかし、家族にとってのあまりに辛い記憶と悲しみから、現役時代の張本が原爆被害について語ることは絶えてなかった。敗戦後の日本では、原爆被害者に対するいわれのない差別もあったという。
そんな張本が重い口を開くようになったのは、2005年ごろ、テレビの街頭インタビューで戦争に無関心な若い世代の姿を見て危機感を抱いたためだという。傷ましい歴史と経験を風化させないためにも、自分の被爆体験を語り始める決意をしたという。
プロ野球で多くの記録を残した名選手が、長年にわたって封印してきた自らの被爆経験を語ることで、多くの人々がその悲惨さを改めて感じるようになった。爾後、張本は「最後の伝え手」として、二度と戦争を起こしてはならないと訴え続けた。 (関連記事: 「台湾有事」の遠因は「二・二八事件」にあり 歴史はいかに政治利用されたか【本田善彦・早田健文】 | 関連記事をもっと読む )
張本は9年前、NHKのインタビューに対し「(夏になると原爆を投下されたときのことを)必ず思い出しますよね。70何年ですけども、戦争は終わりましたけどね、われわれ被爆者には(戦争は)もう終わりはないですからね。ですから、8月になると本当にいやな思いをしますよね。6日と9日、広島と長崎に原爆を落とされましたからね」と語っている。

誰がための原爆慰霊式典
8月6日の広島、そして9日の長崎における原爆投下の惨劇は、戦後日本人の大きなトラウマとなった。映画「オッペンハイマー」が日本国内で様々な議論を呼んだのは当然のことだ。
広島と長崎の惨劇は、日本軍が第二次大戦中にアジア各国や南洋、沖縄などで起こした数々の蛮行を免罪するものではなかろう。しかし、無辜の非戦闘人員を残酷な兵器で大量殺戮した米軍の非人道行為は、何があっても正当化されるものではない。
日本では毎年、8月に入ると8月15日の「終戦記念日」を挟んで、1945年に無条件降伏した戦争を祈念する行事が相次ぐ。8月6日と9日には、広島と長崎で原爆の犠牲となった人々の冥福と平和を祈る儀式を続けてきた。
記憶の風化や社会の右傾化が言われる今日でさえも、この動きは脈々と続いている。
少し前の話になるが、今年も長崎では8月9日、原爆犠牲者を慰霊する恒例の平和祈念式典が行われた。
政治的な思惑を排し、犠牲者を悼み、平和を祈るための式典のはずが、台湾当局の駐日代表・台北駐日経済文化代表処処長の李逸洋が長崎市側の準備した座席の配置が不満で式典出席を見送ったとSNSに投稿したことで、式典の場に期せずして台湾海峡両岸(中台)間の対立が持ち込まれることになったことは記憶に新しい。
李逸洋は長崎市を「親中」で「中国の意向に従っている」と批判した上で、「長崎市の誤った決定が、中国が台湾に仕掛ける法律戦、すなわち『台湾は国ではなく、主権もなく、中国の一部である』という主張の手先となっていることに気付いていない」と長崎市を糾弾した。
台北駐日経済文化代表処のウエブサイト「台日交流」の欄にアップした8月10日付の文書「長崎原爆平和祈念式典に関する声明」は、李逸洋の言い分を詳しく紹介している。
一方、長崎市側は「長崎市主催の式典において台湾は公式な招待・通知の対象ではなく、台湾側からの強い参加希望を受けて席を用意した」と説明、その上で「今回の座席配置は中国との外交関係を理由に台湾を差別したものではなく、外交上の慣例や外務省のリストに基づいた対応」と説明している。
いったい何があったのか、これまでの経緯を紹介しよう。
原爆投下80年で台湾当局代表の参加が実現
台湾当局の関係者が広島市と長崎市の慰霊式典に姿を見せるようになったのは、2025年以降だが、両市が台湾側の参加を受け入れるようになった経緯と脈略はそれぞれ異なる。
広島市は原爆投下から80年の2025年を「核兵器廃絶と世界平和を願う年」とし、従来の「招待」方式を「式典の趣旨を理解し、参加を希望する場合は連絡を」という方式に改めた。
これによって、日本と国交のない台湾当局も代表を派遣できることとなり、李逸洋は今年の8月6日も世界121の「国や地域」の代表の一人として広島の式典に出席している。 (関連記事: 「台湾有事」の遠因は「二・二八事件」にあり 歴史はいかに政治利用されたか【本田善彦・早田健文】 | 関連記事をもっと読む )
一方、長崎市は2025年、それまで「駐日公館を置く国」にのみ通知していたのに加え、国際連合に代表部を置く国や地域にも通知することを決めた。
しかし、日本と国交のない台湾当局は駐日公館がなく、国連においても代表部がないため、当初は台湾当局は通知対象に含まれていなかった。
その後、台湾側が長崎市に式典参加の意向を伝え、長崎市がそれを受け入れたことで、台湾当局関係者による式典参加に道が開かれた。
2025年、長崎市が台湾当局の式典参加要求を受け入れた背景には、やはり原爆投下80年という背景があった。長崎市は、原爆犠牲者を慰霊し、世界の恒久平和を祈るという式典本来の目的に立ち返り、国境や思想の違いを越えて、できるだけ多くの国・地域の代表が参加できる方針を打ち出した。
つまり主催者は、「外交関係があるかどうか」と「平和式典に参加できるかどうか」という二つの問題を切り離したということだ。台湾当局の関係者による平和記念式典への参加を認めることと「台湾を国家として扱う」は別次元の話なのだ。
なお、広島と長崎の両市が台湾当局関係者による式典への出席を認めるようになってから、北京政府(中華人民共和国)は2年連続で関連の式典を欠席している。
欠席の理由は示されていないが、北京政府としては台湾当局の関係者と同席することで、中華人民共和国が「二つの中国」あるいは「一つの中国、一つの台湾」を容認したかのような「誤ったイメージ」を外部に与えることを避けるためだと伝えられる。
北京政府は台湾問題を主権や領土にかかわる「核心的利益の中の核心」と位置付けており、この問題での譲歩や妥協はありえない。

「中国」の定義に見られるトリック
李逸洋は長崎の式典の座席配置について、「長崎市は台湾の国家地位をわざわざ否定し、台湾の主権と尊厳を完全に無視した」「長崎市が中国の意向に屈し、台湾の国家地位を矮小化し、台湾の尊厳を侮辱した」と長崎市の対応を非難している。
また「台湾は主権独立国家であり、中国(中華人民共和国)と互いに隷属しない。中国は一日たりとも台湾を統治したことはなく、台湾の中華民国は中国よりも先に建国されており、台湾が中国の一部であったことは一度もない」と強調する。
しかし、この論述には、「中国」の定義を意図的に曖昧にした複数のトリックが混ぜ込まれている。複雑だが、問題の本質を理解する上で欠かせない概念なので、簡単に整理する。
まず、「台湾」は地名であり、「台湾」を国名に冠した主権独立国家が存在した事実はない(日清戦争後、日本への台湾割譲に抵抗する勢力が「台湾民主国」を名乗ったが、国家承認を受けることなく、数か月で消滅している)。
李逸洋らはわざわざ「中国(中華人民共和国)と互いに隷属しない」と断ったうえで、「中国は一日たりとも台湾を統治したことはない」と説く。確かに、「中華人民共和国」が台湾を一日たりとも支配下に置いた事実はない。 (関連記事: 「台湾有事」の遠因は「二・二八事件」にあり 歴史はいかに政治利用されたか【本田善彦・早田健文】 | 関連記事をもっと読む )
では、李逸洋らが説くように「中国」は「中華人民共和国」に限定されるものか?日本敗戦から今日まで、台湾は「中華民国」政府の統治から一日たりとも離れたことがない。では、台湾を実効統治する「中華民国(Republic of China)」は「中国(China)」ではないとでも言うのか?
李逸洋は「台湾の中華民国は中国よりも先に建国されており、台湾が中国の一部であったことは一度もない」という。
日本の敗戦後、当時の「中国」、すなわち1911年の辛亥革命を経て成立した「中華民国」の執政権を中国国民党と中国共産党が争い、第二次国共内戦の結果、国民党政権を中国大陸から駆逐した共産党が1949年10月1日に北京で「中華人民共和国」の成立を宣言した。
「中華人民共和国」は「中華民国」から派生した政府と言えよう。李登輝政権時代、台湾当局が「一つの中国は、すなわち中華民国だ」と繰り返し主張した所以だ。
李逸洋らは「中国」を明確に定義することなく「台湾は中国の一部であったことは一度もない」と主張するが、これは民進党政権の主観と願望に基づくすり替えの詭弁に過ぎない。
「中華民国」と「中国」の関係は、日中関係の変遷からも理解できる。1952年に日本政府と台北の「中華民国」の間で日華平和条約が締結されたことは、法理的な日中国交回復を意味する。
だからこそ、1972年に日本と北京の「中華人民共和国」の外交関係樹立を「日中国交正常化」と呼ぶ。爾来、日本政府は「中華民国」政府を政治承認しておらず、外交関係は存在しない。
台湾事情に詳しいある日本人学者は「民進党政権は台湾内部に向けて日本との間にあたかも外交関係に類する関係があるような幻想を意図的に拡散させた。日本側が中国との対立を深める中、民進党政権に融和的な空気を漂わせていたことも、台湾側の幻想を増幅させた一因」と指摘する。

投資や寄付は「紐付き」?
李逸洋は、長崎市の対応について「台湾が長年にわたり日本におけるさまざまな中央または地方レベルの行事に参加してきたなかでも前例のない出来事」と糾弾している。長崎市が広島市と同じような扱いで遇さなかったことが不満なようだ。
しかし地方自治の原則に即した場合、長崎市が中央政府の権限に抵触しない範囲で、独自の判断を下すこと自体、問題はなかろう。
民進党政権は、高市政権に強い期待を寄せてきた。長崎市長は「非核三原則」などの問題で高市らと異なるスタンスを示しており、批判の矛先を向けることに躊躇いがなかったのかもしれない。
しかし、外交は中央政府の専権事項だ。高市政権下においても、日本政府の「一つの中国」政策は変わっていない。長崎市が「外務省のリストに基づいた」と説明しているのであば、長崎市のみ指弾するのは筋違いではないか?
李逸洋はまた「TSMC(台積電)熊本工場への投資が九州地方に10年間で23兆円の経済効果をもたらし、長崎市もその恩恵を受けるほか、東日本大震災、能登地震に続いて台湾からの寄付額が世界トップとなり、今回の熊本地震でも各地で積極的に寄付や支援活動が展開されている」と述べる。 (関連記事: 「台湾有事」の遠因は「二・二八事件」にあり 歴史はいかに政治利用されたか【本田善彦・早田健文】 | 関連記事をもっと読む )
さらに台湾の高い株式時価総額や経済成長率を列挙した上で、ハイテク産業のハードウェア製造で重要な位置を占める台湾の存在と価値を世界は無視することはできないと強調している。
さらに、訪日した台湾の旅行者や消費額の多さを挙げて、「台日間の友情の絆」は深く「台湾を威圧する中国に迎合すべきではない」と長崎市に求めている。
このほかに、李逸洋は「いま核兵器開発計画を拡張しているのはまさに中国であり、世界平和の脅威となっており、インド太平洋地域で軍事演習を頻繁に実施し、紛争を引き起こす地域の平和の最大の破壊者となっている」と指摘した。
その上で「長崎平和祈念式典は『核兵器廃絶』と『恒久平和実現』を訴えているが、これらの2つの要望は、まさに中国に言わなければならず、長崎市が中国の意向を受けて、平和を追求し日本にも友好的な台湾を貶めることは、極めて遺憾かつ失望を感じる」と述べている。
上記の李逸洋の声明を受けて、日本国内でも台湾に好意的なネット民を中心に、李逸洋ら台湾当局の言い分を全面的に支持し、返す刀で長崎市の対応を非難する書き込みが数多くみられた。
中には「東日本大地震などに際して巨額の寄付を寄せてくれた台湾に失礼」などをしたうえで、「長崎市の非礼」を台湾に詫びてみせる書き込みも見られた。李逸洋は8月10日にSNS上に「フェイスブック上の反応からみて、8割以上が私の決定を支持している」と書き込んでいる。台湾当局周辺に、支持の声が数多く寄せられたことは間違いない。
現在の日本において、台湾に対する好感度は総じて高い。しかし「日台友好」と声高に叫ぶ人々の中には、中国共産党政権や「中国人」への反感から「中国の脅威に抗う台湾」に過剰に肩入れする者も多く、その関心の本丸が必ずしも台湾本体ではない場合もある。
ネット上のコメントを俯瞰すると、外務省の基準に基づき対応したという長崎市の説明に対し、理解や支持を示すネット民も一定数存在する。
実際に被爆地を熟知する人物から、李逸洋のコメントに対し「何様のつもりか?あまりに非礼だ」、「慰霊が目的でないなら来なければいい。台湾はいったい何がしたいのか?」などと強い違和感と不快感が示された例もある。
なるほど、TSMCの対日投資がもたらす経済効果や、台湾から寄せられる災害支援の寄付、多くの訪日者による旺盛な消費行為など、日本側からみれば「ありがたい」話ではある。中国人民解放軍の急速な強大化に懸念が寄せられているのも事実だ。
しかし、「犠牲者を悼み平和を祈る」という慰霊祭の本来の目的に立ち返った場合、この声明からは「これまでの施し」を恩着せがましく列挙し、相手の謝恩を促すにも似た鬱陶しさのほかに、主催者側の言動、引いては慰霊祭のありようにまで指図がましく説教を垂れることすら辞さない「上から目線」を感じないだろうか? (関連記事: 「台湾有事」の遠因は「二・二八事件」にあり 歴史はいかに政治利用されたか【本田善彦・早田健文】 | 関連記事をもっと読む )
日本側でも、「巨額の寄付」などを理由に「日台友好」を訴える向きもある。しかし、この種の物言いは、「巨額の寄付」などがなければ「日台友好」が成り立たない、「金の切れ目が縁の切れ目」となる可能性も想起させないか。隣人との関係は、本来そんなものではないはずだ。
原爆慰霊式典に中台問題持ち込む台湾当局への違和感
駐日代表によるSNSでの発言は、李逸洋の個人的判断ではなく、台湾当局の意向を反映したものとみるのが自然だろう。
では、台湾当局はなぜこの時期に、このような声明を出したのか?一つに、11月の地方統一選挙に向けて、「抗中保台(中国に抗い台湾を守る)」のイメージを醸成し、民進党政権に少しでも有利な空気を醸成するという思惑を指摘する向きがある。
事実、長崎の慰霊祭をめぐる事態は台湾内部でも大きな扱いで報じられ、賛否両論に分かれた。主に、民進党支持者が李逸洋の言動を支持する一方、野党支持者を中心に日台関係への悪影響を懸念する声が上がった。
同時に、「台湾が中国に虐められている」というイメージを演出し、日本側の同情を引こうとした可能性も指摘されている。
一部の台湾ファンが李逸洋の書き込みに対する支持を公言し、長崎市や北京政府を痛罵したことをみれば、台湾当局の思惑は当ったと言えよう。
仮に「台湾当局の参与が認められた国際会議などで不当に排除された」というのであればこの種の抗議にも一定の道理はあろう。
しかし神聖な原爆犠牲者の慰霊式典で騒ぎを起こすという感覚からみて、一部の台湾住民は原爆被害が日本社会に与えた痛みを理解できず、しかも心の底で日本を軽く見ていることの表れなのではないかと疑わざるを得ない。
筆者は最近、「被害者コスプレ」という言葉を知った。「実際には被害者でない人物が、被害者であるかのように振る舞い利益を手にすること」を意味する韓国語起源の新語だという。
台湾では「民主化」の進捗に伴い、戒厳令解除前の「白色テロ(共産主義者の粛清)」の問題が取り上げられるようになった。
民進党は往時の国民党政権による「アカ狩り」を「国民党による台湾人迫害」と読み替え、自らを「被害者・台湾人の代表」のようにふるまうことで群衆基盤を拡大してきたという経緯がある。
例えば、日本敗戦直後の1947年に発生した大規模な軍民衝突事件「二二八事件」について、民進党は蒋介石・国民党による鎮圧の結果、1万人以上、甚だしくは数万人が犠牲になったと喧伝してきた。
台湾住民の国民党に対する反感を惹起し続けることで、自党の道義的正当性と求心力の強化が容易になる。
事件の犠牲者については、犠牲者遺族や研究者が各種資料を丹念に検証した結果、実際には約800~1100人だったという数値を報告し、民進党政権の数値を見直すよう呼び掛けている。
しかし「被害者コスプレ」が民進党に多大な政治的利益をもたらしてきた現実のもと、民進党にとって事件の犠牲者数は「多ければ多いほど好都合」なのだろうか。歴史的な事実や事件の真相は顧みられないようだ。 (関連記事: 「台湾有事」の遠因は「二・二八事件」にあり 歴史はいかに政治利用されたか【本田善彦・早田健文】 | 関連記事をもっと読む )
なお、「白色テロ」の犠牲者の多くが共産党主導の中国統一を目指した共産党関係者であったという事実に、民進党政権は正面から向き合おうとしていない。
「被害者コスプレ」の受益者
長崎での一件も、従来の「被害者コスプレ」のパターンに即して、「中国に虐められるかわいそうな台湾」のイメージを醸成する演出と考えるとわかりやすいのではないか?
李逸洋は、慰霊祭での席順などは「国家の威厳」などに関わる重要問題だと解く。これは北京政府にとっても、同じだ。
2016年の民進党政権発足以来、北京政府は台湾当局が分離独立路線に転換したと判断し、台湾当局に対する締め付けを大幅に強化した。結果、台湾を取り巻く状況が年々厳しさを増している。
しかしそれはそれとして、長崎の式典は原爆の犠牲者の慰霊と生存者や遺族の慰撫を目的とした厳粛な場だ。
李逸洋の行為は、他家の葬儀や法事に押し掛けた挙句、焼香の順番や花輪の位置が気に入らないと騒ぐにも等しい。それとも李逸洋らは「被害者コスプレ」にかまけるあまり、自らの「行儀の悪さ」さえ気づかなかったのか?
さらに不思議なのは、「長崎市の台湾に対する非礼」を譴責する日本の同調者らが、犠牲となった同胞を慰霊する場に政治問題を持ち込んだ「台湾側の行儀の悪さ」を不問に付す点だ。
真の友人であれば、この種のふるまいが結果として台湾のイメージと信用を損ない、今後は「厄介な存在」として敬遠される可能性もあることを知らせ、諫めるのではないか?
なお台北の対日関係筋に確認したところ、日本側は今回の李逸洋の言動に困惑し、不快感を隠さなかったという。
ここに至って、筆者は1982年に刊行された書籍「甘やかされた朝鮮—金日成主義と日本」(和田洋一・林誠宏共著)を思い出した。
戦後の日本で、左派勢力が朝鮮民主主義人民共和国の「金日成主義」や同国の政治体制に対して過度に寛容で、批判的検証を怠ってきた(甘やかしてきた)ことを社会主義者の立場から検証する内容だった。
当時、「北朝鮮性善説」にも似た空気が左派系言論人を支配するなか、この論述は衝撃的だった。
今日、日本側の台湾観は、「台湾性善説」にも似た台湾に好意的・同情的な情緒に支配されているように見える。
その背後には過去三十年来、日本の相対的な衰退と中華人民共和国の強大化に伴う対中感情の悪化とほぼ軌を同じくして、台湾に対する好感と期待が高まってきた経緯がある。
李登輝や蔡英文、頼清徳ら台湾側関係者は日本を抱き込むため、日本に対する好意的なアピールを系統的に展開してきた。
実際、韓国や北京政府と異なり、植民地支配や戦争責任の問題を追及しない台湾側の姿勢は、日本側の一部に安堵感と親しみをあたえたことであろう。
しかし、それは同時に一部の日本人を「勘違い」させ、甚だしくは「甘やかす」結果も伴ったのではないか?
2020年の新型コロナウイルス感染拡大の初期段階、日本では台湾当局の防疫措置を絶賛する評論があふれた。
防疫措置が破綻した後は、好意的な評論を垂れ流していた者の多くは沈黙するも、措置破綻の背景に対する究明や追求は皆無に等しかった印象だ。
「甘やかされた台湾」が、台湾に好意的な日本相手なら原爆犠牲者を蔑ろにするような行為も看過されるとの潜在意識を持つに至った可能性はないだろうか?
仮に日本と台湾の双方が潜在意識の中で互いに「甘え、甘やかし合う」奇形な関係が常態化した結果、双方の関係に歪が生じているのであれば、それはあまりにも残念ではないか?
最後に、張本勲の話をもう一度しよう。
張本は現役引退後、在日韓国人に対する民族差別や被爆者差別について何度か語っている。
張本は、日本社会における在日韓国人に対する被差別経験については明確な記憶を持っていたが、それを人生全体の説明原理にしていたわけではなかったようだ。
そこで強調されたのは彼の被害者意識に基づく「恨み」ではなかったように感じる。
張本は日韓の対立についても「お互いに引くところは引いた方がいい」と語っていたという。
少なくとも彼の公的な発言には、民族間対立を煽るのではなく、戦争や差別を繰り返さないことの大切さを訴える姿勢が見られる。
日韓両国の多くの人々が張本の言葉に耳を傾けた背後には、「被害者コスプレ」の卑怯さとは次元を異にする、被害者意識を乗り越えた者が持ち得た「強さ」があったのではないか。
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編集:梅木奈実












































