台湾東部・花蓮県の 馬太鞍渓に形成された せき止め湖 が9月23日に越流し、洪水が光復郷を直撃した。この災害で少なくとも15人が死亡、31人が行方不明となった。多くの犠牲者は自宅で「垂直避難」を行っていた住民であり、防災指針をめぐる大きな議論を呼んでいる。現場の警察・消防は「内政部と林業及自然保育署の指示に基づいて行動した」と説明しており、発災前に内政部長・劉世芳氏が出席した会議でのやり取りが公開され、中央の指針が地方の判断に影響したのではないかとの疑念が高まっている。本記事では「垂直避難」の定義、その争点と制度的背景を詳しく解説する。
劉世芳氏の録音が公開、中央の判断に疑問符 発災2日前、内政部と林業及自然保育署が会議を開き、その録音が報道された。 《中天新聞》 によれば、劉氏は討議の中で「一部の住民は原地に留まるだけで避難できるのではないか」「せいぜい自宅前が少し水に浸かる程度で、あとで片づければ済む」と発言していた。さらにせき止め湖越流のシミュレーションに基づき、市街地を赤・黄・緑のレベルに分けて段階的避難を検討できるかを問いかけた。これに対して林保署の担当者は「洪水に大量の砂石が含まれる場合、清水とは衝撃力も水量も全く異なるため、垂直避難が適切かどうかは慎重に判断すべき」と応じていた。このやり取りが公開されると、直ちに中央の決定と地方の実行の乖離が問題視された。
内政部の釈明と避難指示の経緯 一方で内政部は9月25日、「越流前に部長が 花蓮県 長、副県長、秘書長へ計4回連絡し、民政システムを通じ14回、消防署FAXで10回、 セルブロードキャスト で12回通報した」と釈明。中央災害応変センターは21日に設置された当日に会議を開催し、高リスク地域1,837世帯・8,524人に対し「収容」「親戚宅避難」「垂直避難」の3方式を決定した。そのうち5,239人が垂直避難を選択したという。
消防署も「手順はすでに地方の保全計画に組み込まれており、地方が実際に執行した」と説明。23日午前6時にはSMS、テレビ・ラジオでの緊急放送、警消車両による広報を繰り返し行ったとした。
垂直避難とは何か? 「垂直避難」とは、洪水や津波などの水害が発生した際、水平的な避難が間に合わない場合に、住民が直ちに高層階や高地へ移動し、水没を避ける行動を指す。消防署の規定では、水害時の避難方法として「親戚宅への避難」「指定避難所への避難」「垂直避難」の3つが定められている。特に垂直避難は、二階建て以上の建物に住む住民に適しており、短時間でその場に安全空間を確保できる利点がある。
国家災害防救科技センターは、水流には強力な衝撃力と浮力があるため、外へ避難すること自体がかえってリスクを増す場合があると警告している。そのため、避難が間に合わない場合や環境的に不可能な状況では、建物内で上階へ移動する「垂直避難」が命を守る重要な選択肢となる。
水災の危険度を判断するための4つの重要なポイント。水害の危険性① 浸水深度:水流には衝撃力と浮力があり、浸水が25センチを超えると、子ども、高齢者、身体の不自由な方、そして自動車にとっても危険となる。土地に不慣れな場合は、絶対に水に入って横断してはいけない。② 水流速度:浸水時は通常、静止しておらず、水が流れている状況では危険性が高まる。③ 水位の上昇速度:水位の上昇が速ければ速いほど、人が反応できる時間は短くなり、危険性は大幅に増加する。④ 浸水面積:浸水面積が広がれば広がるほど、避難行動の危険性が増し、救援の難易度も高まる。(出典:国家災害防救科技センター 防災易起來)
馬太鞍渓せき止め湖の越流と光復郷の現実 今回の花蓮・馬太鞍渓せき止め湖は、短時間で数千万トン規模の泥水を放出し、強烈な衝撃を伴った。内政部と林業及自然保育署は災害前の会議で「建物が堅固であれば垂直避難は有効、退水時間は長くない」と検討していた。しかし、実際には光復郷全体が水没する事態に直面した。
事前想定と実際の災害との乖離 9月22日:せき止め湖水位が1120メートルに達し、赤色警戒を発令。 9月22日夜:各集落を推定浸水区域に指定、対象人口は約8000人。 9月23日14時50分:せき止め湖が正式に越流し、洪水が光復郷を直撃。 現場の警察や消防によると、多くの住民は「垂直避難」の指針に従い自宅の2階に避難していたが、洪水の高さとその衝撃、さらには流れに含まれる土砂やゴミの影響で、依然として命を落とす結果となった。このことは、災害規模が予測を超えた場合、垂直避難が果たして有効であったのかという疑問を呼び起こしている。
馬太鞍溪堰塞湖が崩壊し、山洪が光復鄉の市街地に流れ込み、住民は25日から順次道路の清掃作業を行っている。(写真/顏麟宇撮影)
垂直避難は新しい概念なのか? 中央と地方の見解 花蓮県政府社会処の陳加富処長は取材に対し、「今回のせき止め湖危機に際し、内政部が新しい避難手段として『垂直避難』を打ち出した」と述べた。すなわち、自宅が二階建て以上であれば、その場で上階に避難するという考え方である。しかし彼は「公所や警察・消防が繰り返し周知しても、自宅は安全だと考えて避難しない人がいた。強制的に連れ出したり処罰することはできない」とも語った。
これに対して内政部は9月25日に声明を発表し、「垂直避難は新しいものではなく、既存の防災原則である。すでに台風、津波、水害対策の避難計画に組み込まれている」と強調した。さらに国際的にも、ユネスコ(UNESCO)の関連規範などで垂直避難は標準的な選択肢とされていると説明した。
言い換えれば、今回の論点は「垂直避難」という用語の新旧ではなく、光復郷の洪水災害という極端な事態において、いかに解釈し実行されたか にあるといえる。
水平避難と垂直避難、どちらを選ぶべきか? 理論的には、災害前に十分な予警があり、道路が通行可能で、かつ避難所の収容能力が足りている場合、最も安全な方法は早めに水平避難を行い、住民を指定の避難所や親族の家へ移動させることである。しかし、災害の発生があまりにも突然であったり、避難規模が地方自治体の能力を超えた場合、「逃げられない」という現実に直面する可能性がある。そのような状況において、垂直避難は最後の防衛線となる。今回の花蓮せき止め湖の溢流はまさにその例であり、人口約7,000〜8,000人が全員避難するには十分な収容施設が存在せず、さらに洪水が急激かつ猛烈に襲ったため、一部の住民は二階や三階に移動して水が引くのを待つしかなかった。
国際的な経験から見る垂直避難 国際的な防災経験において、垂直避難は決して新しい概念ではない。日本では2011年の東日本大震災後、津波が襲来した際にはすぐに上階へ避難すること、車での避難を試みて渋滞に巻き込まれる危険を避けることが特に強調された。また、ユネスコをはじめとする国際的な文書でも、垂直避難はすでに標準的な選択肢の一つとして位置づけられており、台風、津波、水害といった多様な災害シナリオに適用されている。台湾でも、過去に消防署の広報資料で繰り返しこの原則が強調されており、津波避難の際には少なくとも三階以上の高さを確保するよう推奨されてきた。
これらの経験は、垂直避難が国際的な防災体制の中で広く認知されている解決策であることを示している。しかし真の課題は、その方法自体ではなく、災害が迫った瞬間に適切な適用時機を正しく判断し、迅速に行動へと移すことである。