頼清徳総統が国立政治大学(政大)で「安倍研究センター」の除幕式に出席したことは、台日関係が一段と緊密になったことを示すのか。それとも、頼氏自身と安倍晋三氏の遺族との私的関係の近さを物語るにすぎないのか。頼氏は「きょう台湾が静穏な平和を享受できるのは、安倍晋三氏の高い先見性のおかげだ」と述べた。現職総統の口から出たこの言葉には苦笑を禁じ得ない。彼は九三軍人節=対日戦勝80周年を忘れたのか。八・二三砲戦で蒋介石・蒋経国の両氏(「二蒋」)が台湾・澎湖・金門・馬祖(台澎金馬)の安全を固めた事実を忘れたのか。さらには10月25日の台湾光復80周年も忘れたのか。これらの歴史的事実と英雄、そして中華民国のために身を粉にして尽くした国軍と先人こそが、きょうの台湾における中華民国を築いた功労者である。それにもかかわらず、頼氏は安倍氏の「先見性」を称揚するばかりである。これは歴史の錯綜であるだけでなく、他国の祖先を自らの祖霊であるかのように祀るに等しい行為である。
頼氏は「二国論」から「台湾地位未定論」、さらには「光復節は存在しない」へと主張を拡張し、いまや安倍氏に唯々諾々と従う姿勢を示している。これは日本を宗主国と認め、自らを「皇民」とみなすに等しいのである。この結果、中華民国の抗戦勝利と台湾回帰の記念・祝意は、ことごとく「終戦史観」へとすり替えられた。頼氏は台南市長時代に八田與一を格別に称揚した一方で、2018年に台南で設置された台湾唯一の慰安婦記念像は、ひそかに移された。台湾の慰安婦被害者は相次いで逝去し、2023年5月には最後の一人も亡くなったが、彼女らは最後まで日本政府の公式な謝罪と賠償を得られなかった。こうした待遇の落差は著しく、頼氏の歴史観への疑念を深めるものであり、現職の総統という地位とまったく相いれない。彼は果たして中華民国を護っているのか。
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まず、誤置と混乱を招く歴史観は、頼清徳氏が国家をいずこへ導こうとしているのかという疑問を抱かせるのである。もし本気で「台湾独立建国」を推し進めるのであれば、中華民国総統の職を辞すべきである。さもなくば、国民は日々、錯綜した歴史叙述と分断を招く価値観に向き合わされることになり、国家の福祉に資さない。民進党政権の10年は、教科書編成を台湾四百年史へと誘導し、中国を外国史に位置づけ、意図的に「両国は互いに隷属せず」という構図をつくってきた。将来の「台湾国」樹立に都合よく「状況」に入るためである。ところが、本年の対日抗戦勝利80周年に関して、頼氏のチームは「終戦史観」をもって自らを位置づけ、中華民国が抗日戦争の戦勝国であるという史実を逆転させた。頼氏は中華民国総統として、9月3日の忠烈祠における秋の追悼で国軍英霊を前にしても、「殉職将士の追悼」にとどめ、抗戦で壮烈に命を落とした将兵を堂々と追悼しようとしない。戦敗国の位置取りを自ら選ぶがゆえに、英霊の前で不格好な姿となるのである。加えて、北京の九三軍事パレードに対抗して抗戦勝利80周年を国際社会に高らかに宣明し、厳かに記念することもできず、中華民国が抗日を主導したという史実の発信権を脇へと追いやるのを座視した。頼氏は日々総統府にありながら、国家社会全体とは異なる歴史観を語っており、どうして国を号令し結束させ得るのか。
次に、安倍晋三氏が提唱したインド太平洋戦略、とりわけ「台湾有事は日本有事」との命題についてである。現在、日本は新首相選出に忙殺されており、高市早苗氏を除けば、小泉氏ら他の4人はほとんど言及していない。すなわち、日本の今後の進路は、台湾海峡で事が起きた際、静観に傾く可能性が高いことを示唆する。鍵を握る米国は、トランプ氏の孤立主義と重商主義の下、利益のみを語り国際的道義を顧みず、同氏は複数の国際機関からも離脱した。「インド太平洋戦略」はすでに看板倒れの空語である。ましてやトランプ氏は「民主主義の同盟」といった空疎な連携を意に介さない。頼氏の陣営はいまだにバイデン政権期に生きているかのようで、トランプ氏の新たな戦略と布陣を理解せず、米国との歩調が著しくずれているのである。
さらに厄介なのは、トランプ氏が関税戦争において、台湾側に対し「ひざまずく交渉」や一方的な上納を繰り返し求め、対等な互恵の精神が見られない点である。トランプ氏は自らと習近平氏による米中交渉のみを重視し、台湾をいつでも「切り捨て可能な駒」とみなしているふしがある。頼清徳氏は台米交渉の出だしで国家の手札を事実上すべて差し出し、公平妥当な関税合意を得られると踏んだが、実際にトランプ氏が意を用いたのは中国との合意であり、台米交渉は冒頭から最後尾へと先送りされた。頼氏が掲げた「暫定関税」は台湾産業を徐々に「窒息」させつつあり、「20%+N」がいつまで続くのかも見通せない。最終的な合意内容にも統御を欠いたことは否めず、そうした中で頼氏の陣営はなお国の安全保障を米日へ委ねようとしている。不実際な戦略思考であり、台湾を戦争の渦へと加速させかねない一方、国民に対し米日への疑念を表明することすら許容しない。国際情勢の機微をわきまえぬ態度と言わざるを得ないのである。
また、北京での九三軍事パレードでは、中国人民解放軍が国力・戦闘能力・装備を誇示し、核戦力の陸海空一体運用(核トライアド)を示して米軍や国際社会に衝撃を与えたとされる。そうした状況下で頼氏はなお安倍晋三氏の戦略構想で中国に対抗し得るとみなしているが、頼氏の安全保障チームは、国立政治大学での「安倍晋三研究センター」除幕式において、安倍氏が英米豪の安全保障枠組みAUKUSやファイブ・アイズを「推進した」と強調し、清華大学の方天賜副教授から「笑止千万」との批判を受けた。総統府はその後、公式サイトのニュース稿をひそかに修正し、当該記述を削除した。頼氏の安保観は国際潮流と時代の変化に追随しておらず、安倍流の枠組みで対中抑止が可能だと誤信しているように見えるのである。
頼政権は「反中・保台」一辺倒であり、大規模なリコールが失敗に終わりこのカードが既に失効したと悟った後も、なお執着している。中国をいまだ1970年代の中国とみなし、九三軍事パレードで人民解放軍が示した実力と装備を直視しない。米国防総省ですら無視できないとして全面的に監視・精査している対象である。中国の新型空母「福建」が試験航行を経て初の遠洋航行に入り、先ごろ台湾海峡を通過して注目を集めた。22日には中国中央電視台(CCTV)が、同空母でJ-15T、J-35、KJ-600の3種の艦載機がカタパルト発進と着艦訓練を行う映像を初めて公開した。これについて台湾側の専門家は、今回の発着艦試験が、米日双方の情報の取りこぼしという不都合な実情を露呈させたと指摘した。米日両国の情報収集プラットフォームは先取りの警報を発することができず、「福建」からの発着映像が不意に公表されるのを目の当たりにした。情報面の失態は弁解の余地がなく、これこそが最も深刻な警鐘である。言い換えれば、米日でさえ中国軍の現況と発展をめぐり重大な見落としが生じている。頼清徳氏とその安保チームはきょうの中国の進展を理解せず、中国との交流の可能性を自ら断ち切っている。かくも狭隘な視界のまま「知己知彼」の作業を怠り、国立政治大学の「安倍晋三研究センター」除幕の場で見識の浅さを露呈したのは、嘆息を禁じ得ない。米日にも及ばぬ現状で、何をもって「反中・保台」を語るのかというほかない。
最後に、九三(抗日戦勝記念)を見送り、みずから「台湾光復節は存在しない」と称したことで、頼氏と与党は、中華民国が八年に及ぶ抗戦の末に得た最終勝利と台湾回復、帝国主義の枠外で真の民主国家となったという主権と発言権を、自発的に放棄したに等しい。頼氏は「終戦史観」で国内外を糊塗しようとしているが、双十節が近づく中、総統として世界と歴史にいかなる言葉を発するのか。もし中華民国の主権を擁護する声を上げられないのであれば、中華民国総統と呼ばれる資格はいかにして担保されるのか。自ら対抗対象とする「中国」に対して全面的な交流禁止を採り、聞かず・顧みず・知らずの姿勢に終始する以上、その安保観でどうやって「反中・保台」を実現するのか。国家運営はスローガンだけでは成り立たず、民心の安定はイデオロギーだけでは得られない。専門性と開かれた度量を欠き、歴史の教訓を見ようとも学ぼうともしないままでは、票の獲得だけを企図して実務改革を怠る政権と安保チームは、早晩、歴史の泡沫となるであろう。