彼女は台湾師範大学女子サッカーチームの一員であり、かつては国家代表としてプレーした経歴を持つ。外から見れば勇敢で輝かしい存在だが、いま彼女は真名と顔を公にして、長年教育現場に潜んできた人体実験の実態を明かす内部告発者でもある。採血を強いられ、記者会見で真相を語るまでの道のりを経て、簡奇陞さんは「最もはっきりと語る被害者」として注目を集めている。
簡奇陞さんとは何者か 採血事件を告発した理由とその背景
『風傳媒』は、なぜ彼女が立ち上がったのか、その経験と現在の立場を詳しく追った。簡氏は幼い頃から教師と国家代表選手になる夢を抱き、小学4年でサッカーを始め、台師大進学を目標に努力を重ねた。実力で競技系女子サッカーに入り、国家代表となり、社会実践賞を受賞。海外留学や多彩な活動を経験し、順調な歩みを見せていた。
しかし昨年、事件が明るみに出た際、彼女はすぐに声を上げようとしたものの、家族は「将来に影響する」と反対した。だが最近、採血動画を公開したことで家族も事態の深刻さを知ることになった。動画には、涙を流しながら採血され、肘の内側が腫れ上がり、採血者が何度も失敗する様子が映っていた。台師大に進学するための努力の裏側に、毎日3本もの血を抜かれる生活があった。
実験に利用されていたと気づいた瞬間 常態化した採血と論文で知った衝撃
『知新聞』によれば、採血が始まったのは高校3年から大学1年に上がる夏休み。彼女は当初「運動科学検査」だと思い込み、寒暑休みごとに14日間、毎日1~2管の採血をされながらランニングと指先採血を繰り返した。英国留学を休学した際、現地で経験を話すと「それはおかしい」と直言され、疑念を抱くようになった。論文を調べるうち、自分が無意識に実験参加者として扱われていた事実を知ったという。
被害をどう社会に訴えたのか 記者会見で覆いを取り去った決断
2024年末、簡奇陞さんは他の被害学生たちとともに、初めて公の場で議員に訴え、2025年7月中旬には記者会見を開いて内幕を明らかにした。会見ではサングラスとマスクを外し、毅然とした態度でこう語った。「隠さなければならないのは私ではない。」
事件が一度は大きな注目を集めないままでいたが、その後、彼女は青紫に腫れた腕や、何度も針を刺され涙を流しながら採血されている映像を公開し、ネット全体に衝撃を与えた。教育部と国科会は、周台英コーチによる倫理違反と強制採血、さらに陳忠慶計画の研究倫理違反を認定したものの、台湾師範大学はコーチ職の停止にとどめ、教職資格は保留したままという対応にとどまり、社会で大きな議論を呼んでいる。
また、簡さんはこう語った。「私は復讐や憎しみのために立ち上がったのではなく、次の犠牲者を出さないために立ち上がったのです。」
簡奇陞さんの内幕告発行動タイムライン整理
- 高校3年生から大学1年生に上がる夏休み:初めての採血、「運動検査」名目で14日間の実験を行う
- 2022年:イギリスでワーキングホリデーをしながら、「人体実験」への参加を疑い始める
- 2024年末:同級生と共に議員に訴え、記者会見で告発
- 2025年以降:映像や写真を公開し、問題解決へ注目を集めることを期待
- 2025年7月15日~16日:教育部と国科会で違法が認定された