「ミサイル部隊を動員して花蓮空港、空軍志航基地を攻撃…」。中国が9月3日、天安門前で最新兵器を相次ぎ披露し、台湾軍の情報部門が連日分析に追われる中、台大の国安・戦略研究社は9月9日、兵棋演習のシュミレーションを実施した。会場には李喜明・前参謀総長ら専門家も来場。タイトな準備ゆえ場内がやや混乱し、振ったサイコロが李氏の足元まで転がる一幕もあったが、台湾側を担当した学生チームと対照的に、解放軍側の運用を担った台湾師範大学・東亜学系の院生、温約瑟氏は、判断が終始落ち着いていて切れ味も鋭い。その存在感は一段と際立っていた。
この兵棋演習の約1か月前、温氏は『 請支援搜索!你也可以用公開資訊破解共軍行動! (捜索支援を請う!公開情報で解放軍の行動を解読できる!)』 を8月5日に刊行。台湾軍が相当部数を購入し、部内の研究教材として活用しているという。軍情局でも読まれているとの話もある。興味深いのは彼の経歴だ。肩書は「独立軍事研究者」だが、学部は音楽学科出身。高校も音楽クラスで、専攻は作曲、副科はピアノ――人生の四分の一以上を音楽に費やしてきた若者が、なぜ解放軍各部隊の座標をここまで正確に割り出せるのか。李喜明氏が「ぜひ会いたい」と語る温約瑟とは、どんな人物なのか。
台湾大学・国安社の兵棋シミュレーションで、的確な判断が際立った温氏(右から二人目)。(写真/張曜麟撮影)
音大出身、進路を転じてPLA研究へ 温氏の自宅に入ると、まず目に入るのは茶色のアップライトピアノ。向かいの窓から差し込む光が、ガラス棚に並ぶ戦闘機モデルを照らす。同氏はソファに腰かけ、本の狙いや先日のシミュレーション、いま取り組むテーマ、今後の構想を落ち着いた口調で語る。入口脇のピアノについて「もう長く弾いていない。きっと“盛大に音が外れてる”はず」と苦笑い。その言葉どおり、転機は4年前。東呉大学・音楽学系を卒業後、台湾師範大・東亜学系の大学院に進み、中国人民解放軍の研究に舵を切った。
一年あまりで、彼の地図には解放軍の基地・施設が800か所。閲覧数は52万回を超え、テレビにも出演、主流メディアの注目を集める。地図の“買い取り”を打診する者まで現れた。あれから4年と3か月。現在の「中国人民解放軍 基地・施設マップ」は画面いっぱいにピンが並び、登録地点は7,000か所超。陸軍基地、潜水艦基地、空軍飛行場からICBMサイロまで網羅し、累計閲覧は約250万回に達している。
温氏が整理した解放軍マップは、4年で軍事関連の地点を7,000か所以上マークした。(写真/張曜麟撮影)
軍事映像を照合し続ける夜 窓外の最終列車が過ぎてから眠る 温約瑟の新書『請支援搜索!你也可以用公開資訊破解共軍行動! (捜索支援を請う!公開情報で解放軍の行動を解読できる!)』は8月5日の刊行からわずか一月あまりで、台北・新北の主要書店3店を当たっても入手困難という人気ぶりだ。とはいえ本人は肩の力を抜いて語る。出版社・大塊文化の郝明義董事長からは「3年前から出稿の打診を受けていた」が、実際に書き始めたのは2024年に入ってからだという。およそ6万字の本文そのものよりも、解放軍の駐屯地や各軍種・兵種の編制を突き合わせる裏取り作業のほうが、はるかに骨が折れたと明かす。
2021年6月に「やってみよう」と決めて以来、温氏の夜はほぼ毎日同じリズムだ。夕食後にノートPCの前に座り、中国中央電視台の軍事チャンネル(CCTV-7)が同日午前8時、午後1時、午後8時に放送した軍事映像の再配信をチェック。「これはどこか」「どの部隊か」「演訓規模はどれほどか」という3つの問いを立て、5〜6時間かけて地図データを作る。3歩で食器棚と本棚を過ぎ、外窓に面した机へ。窓の向こうには台北MRTの高架線が走る。気づけば最終列車が通り過ぎ、軌道保守のレール削正車が夜勤に入ってからノートPCを閉じ、ようやく床に就くこともしばしばだ。
新著『請支援搜尋!(検索支援を!)』は刊行からわずか1か月余りで入手困難に。(写真/鍾秉哲撮影)
陽の向きも煙突も屋根もヒント ロケット軍の「青いシート」を見破る 温氏は自らの公開情報分析(OSINT)を「数独を解く感覚」にたとえ、新著では入門者向けに“手取り足取り”を心構えから手法まで開示している。衛星画像で外観が酷似する中国の刑務所と軍営をどう見分けるか、CCTVの映像に映る軍用車のナンバーから所属部隊をどう読み解くか、防空陣地にはどんな地形・構造の特徴が出るか、さらには太陽の影から撮影時刻を逆算するコツまで——惜しみなく書いた。ただ、読者に「一緒にやってみよう」と呼びかけはするものの、実地の照合作業は想像以上に複雑で、ときに本人ですら行き詰まるという。
取材当日、温氏はマウスのホイールを指で素早く滑らせ、地図を拡大・縮小しながら印象的な地点をいくつも紹介する。CCTVのカットやネット上の動画を検索エンジンで追い、地図に落とす過程も手際よく再現。数分のうちに、煙突が紅白かどうか、屋根がフラットか切妻か、外壁に赤や黄の塗装があるか、岸壁のガントリークレーンの左右が赤と青か——といった参照物を一つずつ冷静に確認し、衛星地図上にまた一つ、解放軍の港と当該演訓の座標を正確に打ってみせた。
衛星画像などの公開情報を手がかりに、探偵さながらの手法で解放軍施設の位置を突き止める温氏。(写真/張曜麟撮影)
聖書を読み、音楽を学び、解放軍を研究――矛盾するようで噛み合う歩み 音楽の道に7年身を置いた温氏が、なぜ解放軍研究へと舵を切り、公開情報を用いた地図作成で成果を出すまでになったのか。きっかけは中学に入った日のことだ。中共建国60年の軍事パレードを表紙にした『全球防衛雑誌』第303号を抱え、同級生2人にうれしそうに話しかけた――そこから軍事への関心、なかでも解放軍への執着は一貫して揺らがなかった。高校は音楽班、大学も音楽学系だったが、軍事・国際ニュースを追い、解放軍研究への興味が切れたことはない。
部屋の本棚は、その探究心の濃さを物語る。下段には信仰をうかがわせるキリスト教関連書籍、上段の左側に音楽書、右側には『台湾国防武力解密』から中国国防大学の1994年版テキスト複製まで軍事書が積み上がる。人生の各フェーズも栄養になったという。聖書から身についた「イメージを読み解く勘」、楽譜の音符を解析して培った細部への感度――一見矛盾する経歴が、結果壮大な成果を成し遂げた。
温氏の自宅に並ぶ解放軍研究の書籍。(写真/張曜麟撮影)
誰もやらない道を行く――「謎の部隊」をオープンに解き明かす 従来、解放軍研究は文献中心が主流で、位置情報や映像情報から迫る例は少なかった。温氏は「誰もやっていないことを拾うのが好き」と淡々。だからこそ、台湾に新しい研究アプローチを拓けたという。米軍は比較的情報が透明で、画像分析の利得が小さい。一方、解放軍は記事で訓練参加部隊が伏せられることが多いが、映像からは手がかりが拾える。「だからこそ画像分析は有効なんです」と言う。
2024年4月には、解放軍が戦略支援部隊の名称を廃し、軍事航天部隊・サイバー空間部隊・情報支援部隊へ再編、さらに聯勤保障部隊を加え“4兵種体制”を明示したが、詳細情報は乏しかった。温氏の新著は、その「情報支援部隊」の実像に初めて本格的に迫り、編制を百科事典並みに公開した世界初の試みとなった。
従来の解放軍研究は文献中心が多かったが、温氏は地理・映像情報を駆使して分析する。写真は観閲式での「鷹撃(YJ)-17」極超音速対艦ミサイル。(写真/AP)
地図と映像で基礎体力を鍛える 台大のシミュレーションで冴えを見せる 温氏は地図作成に多くの時間を注ぐが、知見は座標や演習規模にとどまらない。解放軍の発展段階、現有戦力、今後のトレンドも淀みなく語る。評価としては、米軍にまだ届かないものの、巨額の投資で装備更新は急ピッチ。とりわけロケット軍のミサイル、海軍艦艇、空軍戦闘機は量・質とも伸びた。台湾周辺での演習は「新常態」を着々と上書きし、中線越えの常態化や、金門の禁制水域での中国海警の動きは“ゆでガエル”式に既成事実化が進むという。
その熟達ぶりは、9月9日の台大・国安戦略研究社のシミュレーションでも際立った。温氏は解放軍側を担当し、冒頭からロケット軍のミサイル旅で花蓮空港と台東・志航基地を連続攻撃して台湾側の制空を剥ぐ設計。構想は一貫して空港打撃を軸に、陸海は上陸へ向けて前進。中部に陽動をかけて敵を分断し、最終的には南から上陸して中部で遮断、台湾側の兵力の南下を封じる――「現実もおそらく、そう動くはずです」と温氏は静かに言い切った。
温氏は「解放軍は米軍にまだ及ばないが、巨額投資で装備更新が急速に進んでいる」とみる。写真は9月3日・北京の観閲式に登場した「攻撃-11(GJ-11)」無人機。(写真/AP)
一躍して軍関係者も注目 家では「公務員になってほしい」の本音 「彗星のごとく」現れた温氏の発信に、軍関係者が個人の立場で強い関心を示し、国軍の一部隊員が彼の「解放軍マップ」を実務に使い始めたとの声もある。温氏自身は「国防部の役に立っていると言い切るつもりはない」としつつも、「それも目的の一つ」と明かす。公開データベースとして整えているのは、各方面が中国国営メディアや個人撮影の映像から手がかりを拾い集める“骨の折れる手順”を省けるようにするためだ。
軍情報機関の側も、温氏の地図は参考価値が高く「手間が大きく省ける」と評価しているという。軍にも同種の図はあるが、公開情報を横断して一枚に統合する温氏の作り込みには及ばない。機密部隊は開源情報に出ないため、軍側の統合図には当然ながら非公開レイヤーが含まれるが、開示できる部分の網羅性は温氏のほうが“完成度が高い”というわけだ。もっとも、外での高い評価とは対照的に、家庭の空気は違う。両親は慎重派でリスクを心配し、「まじめに音楽の先生になるか、公務員試験を受けてほしい」と願っていると温氏は打ち明ける。
国軍でも温氏が作成した図資の活用が始まっている一方、家族は教師や公務員の道を望んでいる。(写真/張曜麟撮影)
日本のシンクタンクが10月に招待 次のステップは、まだ白紙 1998年生まれ、年末に27歳になる温氏は、この4年余り、毎晩数時間かけて映像を照合し、地図を更新し、翌日に解説をSNSに投稿する生活を続けてきた。最初の座標を割り出すのに一晩を費やしたあの夜から、今では数秒で部隊を見分けられることもある。画面を見続けた代償も小さくない。メガネは700度から800度に上がり、ルテインも飲み始めた。「25歳を過ぎて体力は落ちました。昔みたいな高強度の照合作業は正直きつい」とこぼす。
この先については、台湾師範大学東亜学系の大学院に在籍中で、修士論文もこれから。本格的に研究を続けるためシンクタンクに進むのか、情報機関に入るのか、別の道を探すのか――結論はまだ出していない。ただ一つ決まっているのは、日本のシンクタンクから招かれ、10月に東京で自身の図資づくりの経験を共有することだ。ピアノの鍵盤からノートPCのキーボードへ。温氏が切り拓いたこの“OSINTのゲーム”は、当面止まる気配がない。