2025年10月4日に行われた自民党総裁選挙で、64歳の前経済安全保障担当大臣・高市早苗氏が、決選投票の末に有力視されていた穏健派の小泉進次郎氏を破り、第28代自民党総裁に選出された。自民党が国会で多数を占めていることから、高市氏は10月15日の国会で行われる首相指名選挙において、日本憲政史上初の女性首相に就任することが確実視されている。
ドイツのニュース週刊誌『シュピーゲル(Der Spiegel)』が「東京の鉄の女」と称した高市氏は、保守的で強硬な国家主義的スタンスによって国内外で注目を集めている。その台頭は、日本政治がさらに右傾化へと向かう転換点となる可能性があり、すでに複雑な東アジアの地政学的バランスに新たな波紋を投げかけている。
ヘビーメタルのドラマーから政治家へ──異色の「赤いバラ」
韓国紙『朝鮮日報』によると、高市氏は1961年に奈良県で生まれ、父親は一般的な会社員、母親は警察官という家庭に育った。共働きが珍しかった当時、母は娘に「棘のある赤いバラのような女性に育ってほしい」と願ったという。すなわち、美しさと同時に、不正に立ち向かう強さを持つ存在であることを意味していた。
若き日の高市氏は、現在の厳格な政治家像からは想像できない自由奔放な一面を持っていた。ヘビーメタルバンドのドラマーとして活動し、ハードロックを愛し、川崎重工の大型バイク「Z400GP」で日本一周の旅を経験したという。
神戸大学を卒業後、松下政経塾第5期生として入塾。当初は経営学を志していたが、24歳のときに米国で国会議員の補佐官として勤務した経験が転機となり、政治への情熱が芽生えた。帰国後はテレビ局のキャスターとして活動し、全国的な知名度を獲得したが、政界入り後は順風満帆ではなかった。1992年の自民党予備選に落選し、無所属で出馬した際も結果は振るわなかった。
しかし、1993年に無所属で初当選を果たし、後に大きな影響を受けることとなる安倍晋三氏と同じく、政治家としての第一歩を踏み出した。その後、自由党・新進党を経て1996年に自民党へ入党。安倍晋三氏が率いた派閥「清和政策研究会」(通称・安倍派)に所属し、以後、党内で明確な保守派の立場を築き上げていった。
安倍晋三の忠実な弟子──「日本ファースト」を掲げる外交タカ派・高市早苗、その右派路線と国際的注目
高市氏の政治キャリアは、故・安倍晋三元首相との強い結びつきの中で築かれてきた。2006年に安倍氏が初めて内閣を組織した際、高市氏は内閣府特命担当大臣として初入閣を果たした。以降、第二次安倍政権下では総務大臣や自民党政務調査会長などの要職を歴任し、「安倍路線」の最も忠実な実行者の一人として知られている。 (関連記事: 高市早苗が開く「新しい日本」 日経平均4万8000円台へ急騰、金融市場が「高市効果」に反応 | 関連記事をもっと読む )
『ウォール・ストリート・ジャーナル(The Wall Street Journal)』は、高市氏が師と仰ぐ安倍晋三氏と同様に、日米同盟の強力な支持者であると指摘している。一方で、彼女が掲げる「日本ファースト(Japan First)」の外交方針や、日米間の関税交渉における「不平等な取引」への批判姿勢は、次期米大統領選での返り咲きが取り沙汰されるドナルド・トランプ氏との「親和性」を感じさせると分析されている。





















































