「地方制度法」の改正により、台湾では2026年から苗栗県で副県長のポストが一つ増設される。これを受け、再選を目指す鍾東錦・苗栗県長は、2025年12月24日の就任3周年記者会見において、民衆党の政策会執行長で前立法委員(国会議員)の頼香伶氏を副県長に招聘すると発表した。鍾氏は「これほど優秀な人材を苗栗に貸してくれた民衆党に感謝する」と述べ、対する頼氏も「国民が望んでいるのは政党間の対立ではなく協力である」と語った。
国民党籍の鍾氏が民衆党の頼氏を副官に据えることで、苗栗県は2026年の選挙戦を前に「藍白合(国民党と民衆党の協力)」を達成したかに見える。しかし、この人事発令の裏側には、「苗栗の王」と称される鍾氏と、国民党の鄭麗文主席との間での激しい「駆け引き」があるという。表面上の調和の裏で、水面下では各勢力が独自の計算を巡らせている。この人事の背景にはどのような物語があるのだろうか。
民衆党の政策会執行長を務める頼香伶氏(写真)は、苗栗県の副県長に就く見通しだ。(写真/顏麟宇撮影)
鍾東錦氏 と民衆党の蜜月 頼香伶 氏の副県長起用は「既定路線」だった 関係筋によれば、最近国民党への復党を果たしたばかりの鍾東錦氏は、早くも11月上旬には頼氏に副県長就任を打診し、頼氏も快諾していたという。就任は2026年の旧正月明けを予定しており、県庁内ではすでに「頼副県長室」の改装が始まっている。あとは頼氏の正式な着任を待つばかりの状態だ。
そもそも民衆党が苗栗県内に持つ公職ポストはわずか2議席(郷・鎮民代表)にとどまるが、ここは伝統的に国民党が圧倒的な強さを誇る選挙区だ。そのため、地方レベルで国民党は一貫して民衆党を「友軍」として手厚く扱い、党部や県政府の行事にも積極的に招待してきた。再選を狙う鍾氏は、司法の嵐にさらされている民衆党創立者の柯文哲氏をたびたび擁護しており、柯氏の勾留が解除された際には、苗栗県公館郷産の特産品であるタロイモを贈って見舞い、激励したという。
鍾東錦氏(右)が県長選に挑んだ際、当時の民衆党主席・柯文哲氏(左)は、鍾氏の応援に立った数少ない政治家の一人だった。(写真/蔡親傑撮影)
窮地を救った柯文哲氏 への恩義 鍾東錦 氏 が貫く「義理」 柯文哲氏と鍾東錦氏が接点を持つようになったのは、2022年の苗栗県長選がきっかけだった。当時、過去の経歴から「黒社会(暴力団)」「西瓜刀(大包丁)議長」と激しいバッシングを受け、国民党からも除名された鍾氏に対し、唯一歩み寄り、共に公の場に立ったのが柯氏だった。鍾氏はこれに深く感動したという。後に柯氏の政治献金報告に不正疑惑が浮上した際も、鍾氏は「私の知る柯文哲氏は、決して金を貪るような人物ではない」と、強い義理立てを見せて声援を送った。
ただし、民衆党関係者や鍾氏に近い人物によれば、二人の親交は深いものの、決して「深交(腹を割った仲)」とまではいかないという見方もある。一方で、鍾氏と極めて親密なのが、高虹安・前新竹市長だ。鍾氏、高氏、そして楊文科・新竹県長や地元の「藍営」の立法委員、議員らは定期的に会合を開いている。高氏が汚職疑惑で職務停止処分を受けた後も、鍾氏らとの交流は途切れておらず、鍾氏は彼女の公判の行方にも強い関心を寄せ続けている。
桃竹苗エリアの首長らは定期的に会合を重ねてきた。写真左から、張善政・桃園市長、楊文科・新竹県長、高虹安・新竹市長、鍾東錦・苗栗県長。(写真/新竹県政府提供)
苗栗の群雄割拠に終止符 鍾東錦氏 がいかにして「覇権」を握ったのか かつて、長年にわたり国民党が政権を担ってきた苗栗県では、藍系の地方勢力は主に「劉派」と「黄派」の二大派閥に分かれ、激しい競争関係にあった。劉派の代表的な人物には、劉政鴻元県長や現職の陳超明立法委員らが名を連ね、一方の黄派には「前任の王」と称される徐耀昌前県長や徐志栄前立法委員らが控えていた。その他の汎藍系候補の多くは独立独歩の姿勢を貫いており、県議長を務めた鍾東錦氏や現議長の李文斌氏、邱鎮軍立法委員などは、過去には劉・黄いずれの派閥にも明確な軸足を置いてこなかった。
しかし、県長当選後に強力な支持基盤を背景に県政を掌握した鍾東錦氏は、各派閥を次々と収め、事実上の「天下統一」を成し遂げつつある。その象徴的な事例が、現副県長の邱俐俐氏の起用だ。彼女はかつて劉派の重鎮・陳超明氏の事務所執行長を務め、陳氏が絶大な信頼を寄せていた最側近であった。しかし2024年、鍾氏が陳氏から「人材を借りる」形で彼女を自身の右腕に抜擢。今や彼女は副県長として立法院に乗り込み、中央政府による補助金カットの不当性を説明するなど、鍾県政の顔として活躍している。
もう一つの例は、県議会議員や苗栗市長を歴任した現・山線選出立法委員の邱鎮軍氏だ。邱氏は市長時代から鍾氏と同盟関係にあり、国政進出後も共同事務所を設立。現在は鍾氏と頻繁に公の場に姿を現しており、地元では鍾氏の「正統な後継者」と目されている。地元関係者は、「現在の苗栗には、唯一にして最強の派閥しか存在しない。それが『鍾派』だ」と断言する。
鍾東錦氏以前の苗栗では、汎藍系勢力が主に「劉派」「黄派」に割れていた。立法委員の陳超明氏(写真)は劉派を代表する人物の一人とされる。(写真/蔡親傑撮影)
鍾東錦氏が電撃戦 前「苗栗の国王」を奇襲で失脚させる 鍾東錦氏が「国王」としての地位を決定づける最大の転機となったのは、2023年に行われた国民党の党内選挙だった。鍾氏は2022年に苗栗県長に当選し、県政運営の主導権を握っていたものの、当時は党を離れて出馬した経緯があり、施政面では多くの国民党議員の支持を得ていたとはいえ、地方の各種団体や派閥、組織に対する影響力という点では、なお国民党籍の前県長・徐耀昌氏と、その側近グループが大きな存在感を保っていた。地元の有力者の間では、「苗栗県長は鍾東錦氏だが、『苗栗の国王』は依然として徐耀昌氏だ」と語られていたほどだった。
ところが2024年の立法委員選挙をめぐり、情勢は一変する。徐耀昌氏は国民党公認で苗栗県山線選挙区からの出馬を目指し、鍾東錦氏の陣営も当初は対抗馬を立てないと伝えていた。しかし、予備選の登録締切最終日になって、鍾氏の支援を受けた邱鎮軍氏が土壇場で出馬登録を行い、単独立候補を想定していた徐陣営は大きな衝撃を受けた。結果として、予備選の戦略や広報体制などで準備が間に合わない状況に追い込まれた。
前苗栗県長の徐耀昌氏は「先代の苗栗の王」とも呼ばれたが、党内予備選では不意を突かれる形で敗れた。(写真/柯承惠撮影)
徐耀昌氏、立法委員選で敗北 側近勢力は鍾東錦氏のもとへ 電撃的な奇襲を受けたとはいえ、関係者によれば、当時の徐耀昌陣営は、徐氏が苗栗県長を2期務め、立法委員の経験もあることから、市長経験しかない邱鎮軍氏に敗れることはないと楽観視し、余裕をもって対応できると見ていたという。だが実際には、予備選の世論調査が行われる局面で鍾東錦氏の陣営が大規模な動員をかけ、邱鎮軍氏を全面的に支援。最終的に邱氏が予備選を制し、徐陣営にとってはまさに予想外の結果となった。
その後、徐耀昌氏は2023年8月に国民党からの離党を表明。2024年1月にはSNSで、苗栗県は長年にわたり財政赤字に苦しんできたが、最終的に苗栗に手を差し伸べたのは、自身がこれまで対立してきた民進党政権だったと投稿し、「党のために魂を売るのか、それとも藍営から罪人と呼ばれるのか。故郷のためを思い、私は誠実であることを選ぶ」と記した。
予備選での敗北によって、徐耀昌氏は「国王」から一転して「敗北者」となり、国民党への激しい批判を展開した。その結果、地方の汎藍系勢力は次第に鍾東錦氏へと接近し、徐氏の影響力は地元で急速に低下していった。旧勢力の排除と吸収を着実に進めた鍾東錦氏は、ここに至って疑いようのない「苗栗の国王」となった。なお、斉柏林氏の息子・斉廷洹氏に宛てた「謝罪文」によって鍾東錦氏の評価を高めたフェイスブックの編集担当者も、もともとは徐耀昌氏の配下だったと伝えられている。
鍾東錦氏は国民党の立法委員予備選で邱鎮軍氏(写真)を全面支援。徐耀昌氏は敗北を受け、国民党からの離党を決めた。(写真/顏麟宇撮影)
鍾東錦氏は党部主委を狙うも、鄭麗文氏は李文斌氏を指名 2022年、無所属で苗栗県長選に出馬した鍾東錦氏は、その結果として国民党から除名され、県長就任後もしばらくは無党籍のまま活動してきた。党籍が自動的に回復したのは、処分期間が満了した2025年9月のことだった。その後、国民党主席の鄭麗文氏は10月27日と12月6日の2度にわたり鍾氏を訪問。12月7日になってようやく、鍾氏は国民党の公認を受けて連任を目指す意向を表明し、「特定の政党に戻るという単純な話ではなく、台湾政治のバランスを正しい軌道に戻すために必要な判断だ」と語った。党籍回復から公認受諾までに時間を要した背景には、複雑な思惑があった。
実際、鍾東錦氏は2022年の県長選に出馬した当時、国民党苗栗県党部の主委も兼任していた。しかし当時の党主席・朱立倫氏が、苗栗農田水利会前会長の謝福弘氏を公認候補に指名したことで、鍾氏は離党出馬を選択。結果として除名処分を受け、党部主委の座も失った。関係者によれば、鍾氏はこの一件を「国民党に裏切られた」と受け止めており、党復帰に際しては、連任公認だけでなく、県党部主委への復帰も当然の条件だと考えていたという。
しかし、鄭麗文氏や一部の地元関係者は、現職県長の鍾東錦氏が党部主委を兼ねれば、県政府の行政権力と地方選挙の公認権を同時に握ることになり、将来的に党中央が制御しにくい存在になることを強く警戒していた。こうした懸念から、10月27日の会談の終盤で、鄭氏は突如、現職の苗栗県議会議長・李文斌氏を党部主委に充てる考えを示した。この決定は、鍾氏が「党政一体」で権力を掌握する可能性を事実上断つもので、主委復帰を当然視していた鍾陣営にとっては、まさに不意打ちとなり、強い反発と不満を招いた。
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鄭麗文氏(写真)は鍾東錦氏に対し、現職の苗栗県議会議長・李文斌氏を県党部主委に充てる考えを伝えた。鍾氏が県政と党務を一体で握る可能性を封じる形となり、鍾氏側は強く反発したとされる。(写真/顏麟宇撮影)
苗栗の主導権は自分にある 鍾東錦氏、鄭麗文氏に告げず頼香伶氏を起用 李文斌氏は、劉派や黄派といった特定派閥には属さず、長年県議を務めてきた人物で、鍾東錦氏とも関係は良好だった。鍾氏が議長を務めていた当時、副議長を務めていたのも李氏である。ただ、地元関係者は、李氏が県長の座を視野に入れた上昇志向を持っていると指摘する。党部主委に就任すれば勢力拡大が可能となり、将来的には鍾氏と同様、議長から県長へと道を進むことも現実味を帯びてくる。
1期目の鍾東錦氏にとって、後継者を早々に意識する必要はなかったが、かつての側近が将来、自らの立場を脅かす存在になり得ることには強い警戒感を抱いていた。さらに李文斌氏が、徐耀昌前県長の妻・蔡麗卿氏を党部副主委に起用したことで、鍾陣営の警戒は一層強まった。こうした状況の中、鄭麗文氏が李文斌氏の主委就任を発表してから数日後、鍾東錦氏は国民党に一切相談することなく、民衆党の頼香伶氏に副県長就任を打診。頼氏もこれを受け入れた。
関係者によれば、この人事には二つの狙いがあった。第一に、党中央が李文斌氏を通じて自分を牽制しようとしても、県政の主導権はあくまで自分にあるというメッセージを鄭麗文氏に突きつけること。第二に、鄭氏が黄国昌氏らと「藍白合作(国民党と民衆党の協力)」を演出したとしても、地方選挙の連携は中央の思惑通りには進まないことを示し、自らが地方で藍白をまとめ上げる力を持つことを誇示する狙いだった。
国民党の鄭麗文氏は、苗栗県議会議長の李文斌氏(写真)を県党部主委に起用。鍾東錦氏の陣営は、勢力のバランスが変わることに強い警戒感を示している。(資料写真/李文斌氏のフェイスブックより)
国民党と民衆党の連携は中央だけで決まらない 地方は各自の思惑で動く 鍾東錦氏と鄭麗文氏の水面下の駆け引きが続く中、苗栗の地方政治も選挙を前に緊張感を増し、各派閥が活発に動き始めている。一方、民衆党側は、党中央も地方組織も、鍾氏と鄭氏の対立や、苗栗における藍営内部の複雑な力学を十分に把握していないとされ、単純に鍾東錦氏が国民党を代表する存在であり、頼香伶氏の専門性を生かすために協力を求めてきたと受け止めている。
民衆党や黄国昌氏は「藍白合作」を繰り返し訴えているが、新北市では鄭麗文氏が「国民党こそが政権を担える」と主張し、宜蘭県や嘉義市では民衆党が候補を擁立する一方、国民党も譲らない。彰化県では協力を模索したものの、地方調整がつかず断念に追い込まれた。苗栗県も表向きは藍白合作が成立したかに見えるが、内情は各勢力がそれぞれの思惑を抱えている。藍白合作は決して党トップ同士の合意だけで成立するものではなく、地方政治の複雑さは、党中央が描く理想像をはるかに上回っている。