台湾・台中出身の婷婷さんは2008年に来日し、栃木県での暮らしを始めた。それから17年。地元で美容サロンを立ち上げ、台湾ならではの技術と温かな接客を武器に、地域に根差した活動を続けている。今回『風傳媒』の取材に応じた婷婷さんは、移住のきっかけや異文化の壁、そして現在に至るまでの起業の歩みを語ってくれた。

台北や東京のような大都市ではなく、あえて地方を選び、住民とのつながりを育てながら、台湾と日本をつなぐ「橋渡し役」を担ってきた彼女の軌跡は、地方暮らしの魅力と、文化を越えた共感の可能性を感じさせる。「30歳になる前に一度は海外で挑戦したい」——そう決意し、28歳で台湾の証券会社を退職。ワーキングホリデーで来日し、日本語学校で学んで日本語能力試験N1を取得し、台湾で再就職する計画だったという。
だが、人生は出会いで方向が変わる。語学学校の卒業を目前に通っていた居酒屋で現在の夫に出会い、交際ののち結婚。拠点は栃木に決まった。「本当は東京の大学院を目指していたんですが試験に落ちてしまって。学生ビザの期限も迫る中、彼に“別れるか結婚するか”と聞いたら、“じゃあ結婚しよう”って(笑)」と当時を振り返る。
栃木での暮らしについては「台中に似ていて車移動が中心で自由。温泉が多く、物価も手頃で、のびのび暮らせる」と話す。若い頃は東京の華やかさに憧れたが、今は「都会の喧騒より、ゆったりした環境が自分に合っている」と実感している。
これまでに企業の事務、翻訳、観光関連など多様な仕事を経験し、日本のエステサロンで2年間修業したのち、1年半前に自身のサロンを開業。フェイシャル、ボディ、痩身、ネイルに加え、台湾式の刮痧や体刷(ボディブラッシング)も提供する。「日本の方にも台湾の手技を体験してほしい」と、技術だけでなく文化の発信にも力を入れている。
集客は主に予約サイト「ホットペッパービューティー」や口コミ、地域イベント出展、地元ジムとの提携など。看板のない自宅型サロンゆえ都市部と違い地道な工夫が欠かせないが、「お客さまが笑顔で帰っていく瞬間が一番うれしい」とやりがいを語る。
また3年前には、友人のあややさんとYouTubeチャンネル「混日本TV」を立ち上げ、台湾の視聴者向けに栃木の観光情報を発信。現在は仕事が多忙で更新は止まっているものの、「最初は遊び感覚だったけれど、台湾と日本をつなぐ架け橋になれたらと続けてきた」と思いを明かす。
異文化で暮らす戸惑いも少なくなかった。「日本の人間関係は距離感があって、最初は戸惑いました。台湾のようにすぐ仲良くなるのは難しく、適切な距離を学びました」と話す。時間感覚や計画性の違いなど、文化のギャップも実感したという。
最後に、日本の地方暮らしに関心のある台湾の若者へメッセージを求めると、「静かで暮らしやすい栃木は本当におすすめ。生活水準が高く、人も親切。都会の喧騒を離れたい人にはぴったりの場所です」と笑顔でエールを送った。
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