かつて台湾のハイテク企業で光学エンジニアとして働いていた丁勤紜(てい・きんゆん)さんは、安定したキャリアを手放し、日本でスポーツ撮影の夢を追っている。彼女は《風傳媒》の取材に応じ、自らの歩みと心境を語った。「決して平坦な道ではないが、レンズを通じて自分の物語を残したい」と強調する。
家族の期待から離れ、写真の道へ
丁さんは大学で物理を学び、大学院へ進学。「家族の期待に応えたかったし、同級生も研究を続けていたので自分も進んだ」と振り返る。卒業後は光学エンジニアとして1年3か月勤務したが、「多くを学んだが、本当にやりたいことではなかった」と感じたという。
実は大学時代から野球撮影に熱中し、台湾のメディアに写真を提供していた。「やはり撮影は自分にとって特別な存在だった」と語る彼女は、就職からわずか7か月後、日本語学校への留学を決意した。
WBCでの出会い 松井裕樹に魅了されて
野球への情熱の原点を尋ねると、丁さんは2013年のワールド・ベースボール・クラシックを挙げる。「松井裕樹投手の登板を見て、日本野球に惹かれた。それ以来彼を応援し、日本プロ野球そのものにも魅力を感じるようになった」と目を輝かせる。この体験が後に彼女を日本へ導いた。

球場で積み重ねた経験
来日後は台湾メディアと協力しながら、大阪を拠点に京セラドームを中心に取材を続けた。オリックスのカメラマンと知り合い、将来について語り合ったことも。「外国人で、日本語もまだ不自由で不安だった。でも挑戦すれば不可能ではないと感じた」と振り返る。
特に印象に残るのは、台湾で撮影した選手と日本で再会した瞬間。「彼らの努力を間近に見て、同じ舞台で撮影できたことが特別だった」と語る。さらに、日本プロ野球の撮影申請に初めて通った経験も忘れられないという。
エンジニアからの転身 「自分の幸せを選びたい」
安定した職業を離れた理由について、「もちろん安定はしているが、撮影を仕事にした方が大きな喜びを得られる。エンジニアでは得られない感覚だった」と丁さんは語る。ただし「必ずしも辞める必要はなく、両立する道もある」とも強調。「エンジニアとして働きながら撮影を続ける人もいる。その場合はそれでいい」と話す。
熱意を保ちながら前へ
「情熱を持ち続けるのは簡単ではない」と丁さんは認める。それでも「今、自分が続けていることには意味がある」と語り、迷いながらも歩みを止めない姿勢を示した。
今後の目標は「年末か来年春までに日本で納得できる仕事を見つけたい。そして日本語力をさらに高め、日本人との壁を小さくしたい」と意気込む。わずか1年の学習経験では困難も多いが、「少しずつ差を縮めていきたい」と前を見据えている。
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