日本での滞在歴10年を振り返り、台湾出身のSeki氏はその歳月を「人生において最もコストパフォーマンスの高い投資だった」と総括する。
かつて台湾では親の庇護のもと、過度に守られ「転ぶこと」を知らずに育った彼女だが、異郷での生活を経て、今ではたくましく自立した「二刀流(パラレルワーカー)」の職業人へと変貌を遂げた。

「リセット」して単身東京へ
Seki氏の日本への夢は大学1年生の時に芽生えた。当時、中文学科に在籍していたが、日本語と東京のファッションへの強い憧れが湧き上がった。人生に後悔を残さないため、彼女は驚くべき決断を下す。わずか1年で休学し、人生を「リセット」して単身東京へ渡ったのだ。
勢いのままネットで「東京、ファッション、学校」と検索し、名門・文化服装学院の系列大学である「文化学園大学」へ入学。この留学生活が彼女の日本でのキャリアの原点となった。

台湾と日本の「仕事観」のギャップに苦悩
同大学院を修了後、念願のファッション業界に就職したが、そこは挫折の始まりだった。社内唯一の外国人として、激しいカルチャーショックと適応困難に直面したのだ。
Seki氏はこう回想する。「台湾人の仕事のスタイルは個人主義的で効率と結果を重視し、一連の業務を一人で完遂する傾向があります。しかし、日本の職場はチームワークと標準作業手順書(SOP)を極端に重視し、個人の能力が高くても周囲と歩調を合わせなければなりません」。

こうした職場文化のギャップに加え、生来の「HSP(ハイ・センシティブ・パーソン)」という気質も相まって、1年目は自信を喪失し、能力不足を痛感した。重圧に耐えかね、彼女は日本ではリスクが高いとされる「次を決めないままの退職」を選択した。
失業中の猛勉強、そして「複業」の道へ
失業後は方向を見失い、暗闇の中を彷徨うような日々だった。日本に留まるため、ウェブデザイン、IT、トラベルライターなど、少しでも興味があれば手当たり次第に約100通もの履歴書を送った。その就職活動の中で、多くのトラベルライターの求人で「SEO(検索エンジン最適化)」のスキルが求められていることに気づいたのが転機となった。

Seki氏は失業中の1ヶ月間で驚異的な行動力を発揮し、独学でSEO検定を取得。退職から約4ヶ月後、その専門知識と撮りためた写真・執筆実績を武器に、ついにトラベルメディアへの切符を掴み、「半人前のトラベルライター」としてのキャリアをスタートさせた。
しかし、当初の業務委託ベースの仕事だけでは収入が不安定だった。ビザ更新に必要な毎月の安定収入を確保するため、彼女は友人の紹介で貿易商社の正社員として入社し、医薬品や日用品、消耗品の輸出入を担当することになった。
当初は商材そのものに関心はなかったが、実務を通じて「通関、物流、輸出入法規制」といった専門知識に情熱を見出し、脳内で貿易の全体構造を組み立てる楽しさに目覚めた。現在、Seki氏は理想的なワークライフバランスを手に入れている。日中は厳格な貿易実務をこなし、その他の時間は日本各地を探求するトラベルライターとして活動する理想的な「スラッシュキャリア」を実現している。
異国の空の下で得た「強さ」
「台湾にいた頃は、親の庇護のもとで、一度も転んだことのない子供でした」とSeki氏は語る。社会に出たばかりの頃は非常に脆かったが、日本での10年間は人生の転機となった。日本社会の厳しさと職場の荒波は、彼女の殻を破り、「転んで怪我をし、自ら癒やして立ち上がる」強さを教えた。親元を離れ異国で暮らすことで、今までとは違う「空」を見上げ、心身ともに大きな成長を遂げたのだ。
同じく日本就職を志す後輩に対し、Seki氏は「考えすぎず、まずはやってみること」と最もリアルなエールを送る。空想のようなファッションの夢から、地道で堅実な貿易職へ。Seki氏の10年は、繊細な気質を持っていても、挑戦する勇気さえあれば異郷で自分の居場所を切り拓けることを証明している。 (関連記事: 【恵比寿映像祭2026】第3回「コミッション・プロジェクト」ファイナリストに石原海、岩根愛ら4氏選出 来年の新作公開へ | 関連記事をもっと読む )
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編集:佐野華美

















































