タイとカンボジアの国境地帯で24日、両国軍による激しい武力衝突が発生した。タイ空軍はF-16戦闘機を投入してカンボジア軍の拠点を空爆。これにより、タイ人2人が死亡、複数の負傷者が出ており、現地の病院では患者の緊急避難が行われた。国境沿いの村々からはおよそ8万人の住民が退避している。
今回の衝突は、20世紀初頭のフランス統治時代から続く古代寺院「タ・モアン・トム(Ta Moan Thom)」の領有権を巡る対立が背景にある。両国の緊張は近年で最も高まっており、外交関係にも深刻な影響を及ぼしている。
タイ側の主張:無人機の侵入から武力衝突へ タイ陸軍によると、24日未明、カンボジア軍が西北部ウドーミアンチェイ州(Oddar Meanchey)にあるタ・モアン・トム遺跡付近で監視用ドローンを展開。その後、カンボジア兵が越境し、実弾を使用した攻撃を開始したという。
タイ軍は即座に応戦し、BM-21多連装ロケット砲や重砲を用いた大規模な交戦へと発展。さらに、東北部第2軍管区がF-16戦闘機を派遣し、カンボジア軍の支援部隊2カ所を空爆したと発表した。
2025年7月24日、タイとカンボジアの衝突を受け、タイ東北部スリン県で避難生活を送る住民たち。(AP通信) タイ陸軍の報道官リチャー・スックスワノン(Richa Suksuwanont)大佐は、「攻撃はあくまで軍事目標に限定されており、民間人への被害は発生していない」と強調した。なお、カンボジア側からは現時点で空爆に対する公式な反応は出ていない。
F-16戦闘機の使用は、近年の国境衝突では異例であり、今回の事態の深刻さを象徴している。
民間人にも被害、病院は緊急避難 政府が8万人を退避させる 国境に近いスリン県カープチューン郡では、カンボジア側の砲撃によって民間人2人が死亡、多数が負傷したと報告されている。郡長スッティロット・チャルーンタナサック氏(Sutthirot Charoenthanasak)がロイターに語ったところによれば、周辺の病院では患者が安全な場所へ移され、公共衛生省もこれを確認した。
タイ政府は、国境沿いにある86の村から約4万人の住民を退避させ、さらに周辺地域も含め避難者の数は8万人に上ると見られている。
カンボジア側の主張:「タイ軍の侵入が発端」 地雷事件が衝突の引き金に カンボジア国防省は今回の衝突について、タイ側の説明と真っ向から対立する見解を示している。国防省報道官のマリー・ソチェアタ( Maly Socheata )中将は、「我が軍の行動は自衛に限られており、タイ軍による一方的な領空侵犯と領土侵害に対する正当な反撃だ」と強調。タイ側の「カンボジア軍が先に攻撃した」との主張を否定し、両国間の事実認識の大きな隔たりが浮き彫りとなっている。
今回の交戦は、複数の地雷爆発事件が引き金となった可能性がある。23日、タイ兵1名が国境パトロール中に地雷を踏み、右脚を失う重傷を負ったほか、5名が負傷した。さらに1週間前の16日にも、3名のタイ兵が同様の地雷によって負傷しており、緊張が高まっていた。
タイ当局は、これらの地雷がカンボジア側によって新たに埋設されたものと非難しているが、カンボジア側はこれを否定。かつての内戦期に設置された旧型地雷であり、「タイ兵が合意されたパトロールルートを逸脱したことによって起きた事故だ」と反論している。
タイ王国陸軍が発表したこの写真は、2025年7月20日、タイ兵士が国境地域で地雷除去作業を行う様子を示している。(AP通信)
外交関係が急速に悪化 大使召還・国交格下げへ 相次ぐ事件により、両国の外交関係は急速に冷え込んでいる。タイ政府はカンボジア駐在大使を召還すると同時に、カンボジア大使の国外退去を命令し、外交関係の格下げを発表。これに対抗する形で、カンボジアもタイ駐在の外交官を全員帰国させ、タイ大使に対して退去命令を出した。
カンボジア英字紙『プノンペン・ポスト(Phnom Penh Post) 』によると、カンボジアはタイとの外交関係を「最低水準」にまで引き下げ、現在は2等書記官レベルの接触しか維持していない。これは近年で両国関係が最も悪化した状態を意味する。
また、国境の緊張は市民生活にも大きな影響を与えている。カンボジア側は、タイからの燃料、天然ガス、果物、野菜などの輸入を一時的に停止。タイ側も一部の国境検問所を閉鎖し、観光客や地元住民の往来が制限された。ポイペト国際検問所のゲートも閉じられ、両国関係の緊張を象徴する場面となっている。
両国指導者の反応 政治的リスクと緊急呼びかけ タイでは、 ペートンターン・シナワット (Paetongtarn Shinawatra) 首相が厳しい国内批判に直面している。今月初めに、カンボジアのフン・セン前首相との通話内容が流出し、軍の対応を批判しているような発言が問題視された。これにより、首相は一時的に職務停止となり、罷免の可能性も取り沙汰されている。
タイ外務省はカンボジア在住のタイ人に対し、「緊急時以外は速やかに国外退避するよう」警告を発しており、現地の情勢の緊迫ぶりが伺える。
一方、カンボジアではフン・セン前首相がSNSで声明を発表し、「タイ軍がウドーミアンチェイ州およびプリアヴィヒア州に砲撃を行った。我々には防衛以外の選択肢はない」と述べた。また、民衆に対しては「米や生活必需品の買い占めを控え、冷静な行動を取るよう」呼びかけた。
「我々は平和的解決を望んでいるが、武装侵略に対しては断固とした対応を取らざるを得ない」と語り、冷静さと強い姿勢を同時に示した。
「100年の国境問題」背景に 文化遺産と主権が衝突の火種に タイとカンボジアの国境は全長817キロに及び、その多くは未だ明確に画定されていない。対立の根源は、20世紀初頭にフランスがカンボジアを植民地統治していた時代に作成された地図にさかのぼる。この地図の曖昧さが、複数の古代遺跡の領有権争いを引き起こしてきた。
その象徴的存在が「タ・モアン・トム寺院(Ta Moan Thom)」である。同寺院はカンボジア北西部オッダー・ミーンチェイ州に位置し、タイ側では「タ・ムエン・トム」と呼ばれている。この寺院をめぐり、両国は長年にわたって文化遺産としての価値と主権主張をぶつけてきた。
過去100年にわたり、タイ・カンボジア間では数度の武力衝突が発生しており、最も深刻だったのは2011年、複数の国境地帯での戦闘により数十人の死者を出した。直近でも、2025年5月にタイ・カンボジア・ラオスの国境が交差する「エメラルド・トライアングル」(タイ、カンボジア、ラオスの三国国境)と呼ばれる地域で交戦が発生し、カンボジア兵1名が死亡していた。この事件が今回の緊張の背景となっている。
東南アジア全体への波及懸念 ASEANの介入も視野に 今回の衝突は、両国のナショナリズムを一段と刺激し、東南アジア全体の安定に悪影響を及ぼす懸念が高まっている。タイとカンボジアはこれまで、国境を越えた犯罪の取り締まりや経済連携といった分野で協力関係を築いてきたが、国境問題が政治的な争点として繰り返し利用される状況が続いている。
国際社会からは、両国に対し自制を求める声が上がっており、ASEAN(東南アジア諸国連合)が調停役として乗り出す可能性も指摘されている。