台湾は一年を無駄にした。賴清德総統は責任を認めないだろうが、認めざるを得ない。民進党の国会総召である柯建銘氏が公然と宣言したからだ。「この一年余り、私は一つのことだけをやってきた。国家を生死存亡の危機から救い出すため、大規模リコール運動を信仰のように貫いてきた…」。賴清德は柯建銘氏の執念を放置し、最後の瞬間、中常会を主宰して動員令を発した。その前に「百工百業挺罷免」が一夜にして連携投稿を行い、中央キッチンの影が再現した。総統は「老柯の操り人形」から一歩ずつこの茶番劇の発動機となった。
「百工百業」は賴清德後援会の代表号である
ちょうど2年前の今ごろ、最初の「各業界による頼清徳支持後援会」が発足した。「各業界(百工百業)」は頼清徳氏の動員ネットワークの基盤であり、そのまま自然な形でリコール運動にも転用された。この1年あまりで「青い鳥(青鳥)」の姿を借り、驚くべきスピードで広がっていった。ネット上での動員力は現実の動きよりもはるかに大きく、大規模な集会を開かずとも、同時多発的に投稿や話題の拡散が可能だった。これはもともと蔡英文氏の得意技だったが、今では頼清徳氏にとって最も有効な武器となっている。
一方、現実世界で進めていた「国家団結10講」は途中で頓挫したが、それでもネット上での「大規模リコール運動」の攻勢にはまったく影響がなかった。SNS上では、罷免に熱狂する支持者の盛り上がりは、街頭で相手を罵倒したり、罷免対象の人物に唾を吐きかけるような群衆の激情に匹敵するほどだった。
「百業百業が声を上げる競争」のなかで、特に注目を集めたのは2つの動きだった。ひとつは「流通の父」と称される徐重仁氏がフェイスブックに投稿した支持表明、もうひとつは和碩(ペガトロン)董事長の童子賢氏が地元・花蓮に戻り、自ら街頭に立ってリコール運動を支援したことだ。財界の重鎮2人の表明がリコール運動にどれほどの実効性をもたらしたかはまだ不明だが、その波紋はすでに小さくない。
徐氏は「野党が数の力を背景に、手続き的正義や社会的合意を顧みず、政権の政策遂行を妨げ、社会全体の安定を揺るがしている」とし、一部の野党勢力について「中国と曖昧、あるいは親密な関係を保ち、台湾の主権や民主制度への尊重が薄い」と指摘した。その表現は婉曲ではあるものの、民進党が野党を「親中」と非難する主張を補強する内容となっている。だが皮肉にも、この2人の「主張の核心」は、いずれも論点を見誤っている。
民主とは「与党への服従」政治ではない
第一に、民主政治とは「野党が与党の言いなりになる政治」ではない。この1年で政府の政策が停滞した原因は野党ではなく、むしろ与党にある。というのも、与党は心血を注いで「大規模リコール運動を信仰のように行うこと」に没頭し、真剣に政務に取り組むことよりも、街頭で騒ぎ立てることを優先してきたからだ。
台湾人は記憶力が良いとは言えず、たとえばわずか半月ほど前、中型台風「ダナス」が嘉南地方に大きな被害をもたらしたが、電力やインターネットの復旧はいまだ不安定で、17日経っても断続的なままだ。復旧の見通しすら立たないというのは、これまでに例がない。総統が現地を視察しても、何一つ事態は改善されなかった。
民主国家において、少数与党は決して珍しくない。政治的にはさまざまな対応策や制度の工夫があるが、「国会の議席数をひっくり返すために、全面的なリコール運動を仕掛ける」などという手法は、民主主義とは呼べない。それは単なる暴挙である。
第二に、「大規模リコール」の最も嫌なところは矛先が内側に向く点だ。与党は野党を一律に「中国共産党の手先」と決めつけ、支持者は街頭で魔女狩りのごとくリコールに反対する人びとを片っ端から「敵に加担する者」と糾弾する。リコール運動の宣伝用ティッシュにまで「中共殲滅、匪賊討伐」といった文言が印刷され、国家(与党と政府)が国民を敵視した結果、国民同士が互いの顔色をうかがい合う有様だ。これでは台湾の団結など望むべくもない。
徐重仁氏が野党立法委員を「曖昧に親中だ」と非難する一方で、2013年の両岸サービス貿易協定締結時には、台湾企業による「連合艦隊」を組織して中国本土での店舗展開を主張していたことを、彼は忘れたのだろうか。さらに、頼清徳総統自身も2017年、市長在任中の議会質疑で「私は親中であり、反中ではない。親中こそが愛台だ」と公言している。「頼氏の親中は愛国、他者の親中は売国」という理屈は到底説得力を持たない。公営企業の大規模入札案件にまで「緑の友好勢力」とレッテルを貼り、「親中」を民進党の特権とするのは、もはや筋が通らない話だ。
ブラックマネーの臭いがする『傅の罷免派』の宣伝カーに、誰でも気軽に乗っていいものなのか?
童子賢氏の選択は比較的慎重だった。自ら花蓮を訪れ、議会議長・張峻氏とともに街頭に立ち、国民党の立法院総召集人・傅崐萁氏のリコールを支持した。その理由として、傅氏一族が花蓮で23年間にわたり「権勢を振るってきた」ことを挙げ、「そろそろ交代の時だ」と述べた。また、昨年の花蓮地震で集まった約7,000万台湾元の義援金が、県政府を経由したことで県長・徐臻蔚氏の「個人的な恩恵」と化してしまったと具体的に指摘した。この発言は重大な疑義であり、案の定、徐氏は名誉毀損での提訴を示唆した。
実際、昨年の震災時には、「義援金を県政府に託しても適切に使われない」といった話が側近や支持者から広まり、寄付は大幅に減少。結果として、全体の9割が中央の衛生福利部に集約されたという。また、童氏が教育支援を目的とした事業において「花蓮県政府が妨害してくる」と語った件についても、実際には花蓮を迂回する必要はなかったと見られており、その認識は人づてに聞いた話に基づく可能性が高い(※なお、童氏は後に「妨害の話は2018年の地震に関するものであり、当時の県長は傅崐萁氏だった」と補足している)。
傅崐萁氏の花蓮における評価は大きく分かれる。支持者は、彼こそが蘇花公路の高架化や改良、さらには現職で推進している「花東交通三法」など、インフラ整備に尽力してきた人物だと評価している。なお、この三法は物議を醸したものの、最終的に立法院で決議として通過している(法的拘束力はない)。一方で、傅氏の開発重視の姿勢は、環境保護を重視する童子賢氏とは正反対であり、もともと両者は志を同じくする存在ではなかった。童氏の罷免支持は「無差別なリコール支持」とまではいかないが、その発言には波及効果がある。
しかし、もし童子賢氏が、同行した張峻氏の過去を把握していたとしたらどうだろうか。張氏はかつて《流氓一掃条例》(検肅流氓条例)により矯正教育処分を受けた経歴があり、国有地の不法占拠とビンロウ栽培で調査されたほか、2016年には副議長として関わったLED街灯の不正調達案件で、第一審で懲役7年8カ月の有罪判決を受けている。その後9年に及ぶ訴訟を経て、今年4月──童氏が傅崐萁氏の罷免支持を広告で表明したタイミングで──高等法院は第二審で逆転無罪を言い渡した。こうした「社会的背景」は、かつて株のインサイダー取引で物議を醸した傅氏よりもはるかに複雑と言える。果たして童子賢氏は、それでも張峻氏の宣伝カーに軽々しく乗るだろうか。
マッカーシー的雰囲気が漂う大規模リコールで台湾は完全に敗北した
花蓮は変わる価値がある。国民党にはより適任な立法委員がいる。台湾の民主と自由を守る――。これらはすべて、大規模なリコール運動が掲げるスローガンだ。一方で、民進党の長期政権によって、風水害の復旧がいつまでも進まない地域や、太陽光パネルの乱立で環境が損なわれた嘉義・台南・屏東といった県市は、本当に変革の必要がないと言えるのだろうか。
頼清徳氏は「リコール運動を中傷し、市民団体を攻撃している野党は遺憾だ」と非難したが、この発言こそ本末転倒だ。遺憾なのは、野党が与党とその支援団体の標的にされている現状だ。議場の発言台を封鎖し、議長席を占拠したのは民進党であり、与野党の協議を無視して進めたのは柯建銘氏だ。野党の立法委員を「売国」「親中」「反逆」と安易に罵るのも柯氏やリコール団体であり、「反逆」という言葉が彼らの口から軽々しく飛び出す様は、まるでマッカーシズムのようだ。こうしたレッテル貼りは、その重みをまったく感じさせず、受け入れることなど到底できない。
民進党とリコール団体は今回の投票を「最終決戦」や「歴史的対決」として鼓舞しているが、彼らが頼みにしているのは民意ではなく、25%という低い投票成立ラインだ。これは投機的なゲームにすぎず、民進党はそのゲームを楽しんでいる。しかし、これは勝者なき投票であり、行き着く先は台湾の敗北にほかならない。この一票が台湾の民主主義に深く癒えぬ傷を残し、我々は友人よりも多くの「敵」を自ら生み出すことになる。