世界的な模型メーカー・株式会社タミヤ(静岡市)の代表取締役会長であり、「ミニ四駆」や精密プラモデルの開発を手がけた田宮俊作(たみや・しゅんさく)氏が、2025年7月18日に死去した。90歳だった。同社は22日、公式発表を行った。葬儀は故人の遺志により近親者のみで執り行われ、後日、お別れの会が開かれる予定である。

静岡から世界へ──模型界のレジェンド
田宮俊作氏は1934年、静岡市に生まれ、早稲田大学法学部を卒業後の1958年、父・田宮義雄氏が創業した田宮商事(現・タミヤ)に入社。初期は木製模型の設計・企画に携わっていたが、海外製プラモデルの流入による業界変化を受け、素材のプラスチック化を推進。1960年代には精密なスケールモデルの開発に注力し、1977年に社長に就任した。
1982年には、子どもたちにも手頃に楽しめる製品として「ミニ四駆」シリーズを立ち上げ、当時600円という価格で販売を開始。以降、手軽さや漫画とのタイアップを背景に爆発的な人気を博し、1995年には累計出荷台数1億台を突破した。

海外展開と静岡「模型の都」構想
田宮氏は早くから海外市場に目を向け、ドイツ・ニュルンベルク国際玩具見本市に出展するなど積極的なグローバル戦略を展開。欧米を中心に現地法人や生産拠点を設立し、「TAMIYA」の名を世界に広めた。
また、業界団体「静岡模型教材協同組合」の理事長として、静岡ホビーショーの開催などを通じ、静岡市を「模型の世界首都」として世界的に認知させることに尽力。静岡市の難波市長も「タミヤを世界的ブランドに育て、静岡を『模型のまち』に押し上げた。心から尊敬している」と述べている。

模型業界への貢献と文化的評価
田宮氏は2008年に会長へ就任、2017年には社長職も兼任し、2024年7月に再び会長専任となった。2018年には文化庁メディア芸術祭にて功労賞を受賞し、その功績が芸術・文化面からも高く評価された。
同氏の死去を受け、SNSには多くの追悼の声があふれている。模型ファンの一人は「模型人生の原点には、会長が率いたタミヤ製品があった」と感謝の思いを綴っている。


日本模型文化の礎を築いた功績
田宮俊作氏の長年にわたる取り組みは、単なる玩具や趣味の領域を超え、日本の模型文化そのものを国際的に押し上げる原動力となった。模型業界、そして静岡という地域社会におけるその功績は計り知れない。 (関連記事: トランプ氏「日本と史上最大の取引」発表 15%相互関税と5500億ドル投資の衝撃 | 関連記事をもっと読む )
同氏の志を受け継ぎ、タミヤは今後も「世界最高品質を(First in Quality Around the World)」という企業理念のもと、世界のホビーファンに夢を届け続けるだろう。