良好な関係は、まず良好なコミュニケーションから始まる。言葉は緊張を和らげることもあれば、逆に火に油を注ぐこともある。とくに異なる言語を使う相手とやり取りをする際、メッセージは翻訳の過程で本来の意味を失いがちだ。
英誌『エコノミスト』の中国研究員でポッドキャスト制作者の陳潔昊氏は、自身の番組「中美、不用翻譯:語言如何複雑化中美関係?」(Lost in translation: how language complicates US-China relations)で、中国語翻訳の難しさと、誤訳が政治的にどんな影響を及ぼすのかを掘り下げた。
承認か、認識か 翻訳が生む微妙な差
1979年、米中が署名した「上海コミュニケ」で特に注目された一文がある。「米側は、海峡両岸のすべての中国人が『中国は一つであり、台湾は中国の一部である』と堅持していることを“承認する”」――。しかし英語の原文は“acknowledges”で、本来は「承認する」よりも「認識する」に近い。
「承認する」という意味の“recognize”とは異なるニュアンスを持つ言葉が、なぜか中国語版では「承認」として記されていた。ホワイトハウスは後に「米側は中国語版を確認していない。なぜ最終文書で『承認』になったのか把握していない」と説明しており、実際には中国側がこっそり挿入した可能性があるとみられている。
翻訳の違いがあいまいな解釈を生む例は今もある。2025年1月24日、王毅外相と米国のルビオ国務長官が電話会談した際、王毅氏は「好自為之(よく考えて行動するように)」と言った。だが中国側が出した英語版では「I hope you will act accordingly(適切に行動することを望む)」と訳されていた。中国語を理解する人なら「好自為之」が上司が部下を叱責するニュアンスを帯びることを知っている。ルビオ氏は後に「通訳を通した際は特に問題を感じなかった」と振り返った。
なぜ中国語は難しいのか
北京駐在の特派記者コービン・ダンカン氏は、2022年の都市封鎖をきっかけに中国語を学び始めた。「中国語は母語としない人にとって本当に習得が難しい」と率直に語り、その理由を3つ挙げている。
まず、語彙そのものが感情的な色彩を強く帯びる点。英語のようにニュートラルな言葉が多いわけではない。
そして意図の問題。中国当局は国内向けと海外向けで異なるメッセージを発信することがあり、言葉のあいまいさを戦略的に利用する。いわゆる「内宣」(国内プロパガンダ)と「外宣」(対外プロパガンダ)でまったく異なる内容を示すことも珍しくない。
翻訳に潜む政治的な計算
ダンカン氏は具体例を挙げている。習近平氏がよく用いる「講好中国故事」は一般的に“tell the China story well”と訳されるが、中国の記者は「“良い中国の物語だけを語れ”という意味でも受け取られている」と笑い交じりに語ったという。
「人類命運共同体」は、かつて“a community of common destiny for mankind”と訳されていたが、後に“community with a shared future”に改められた。これは一部のASEAN外交官が「命運共同体」に中国主導のニュアンスを感じ、より包容的な言い回しにした方がよいと考えたためだとされる。
また、鄧小平氏の政策として広く知られる「韜光養晦(とうこうようかい)」も興味深い例だ。本来は「実力を隠し、好機を辛抱強く待つ」という意味で、かつては “hide your strength, bide your time” と訳されることが多かった。
しかし近年では、公式の場では “keep a low profile(低姿勢を保つ)” が使われる傾向が強まっている。前者の「実力を隠す」という表現は、権謀術数的で攻撃的、マキャベリ的な響きを伴い、国際的なイメージを損なう可能性があるからだ。
さらに、中国外務省が台湾問題でしばしば使う「玩火必自焚(火遊びをすれば自ら焼け死ぬ)」という言葉も、翻訳上のニュアンスが大きく異なる。英語の “those who play with fire will get burned(火遊びをする者は火傷する)” はあくまで慣用的な警告にすぎないが、中国語では「自焚」が焼身自殺を想起させるほど強烈で、自己破壊的な意味合いを帯びている。
そして習近平氏がしばしば用いる「殺手鐧」についても、英語圏では “the assassin’s mace” と直訳されることがあるが、ダンカン氏は「この訳は不適切だ」と指摘する。より正確には “Trump card(切り札)” や “the ace up your sleeve(奥の手)” とすべきであり、直訳では習氏を暗殺者のように誤解させかねないと語っている。
米中台関係の翻訳問題
当時は中国本土で中国語を学ぶことが許されていなかったため、彼はまず台湾で語学訓練を受け、その後ニクソン大統領の訪中に随行し、初めて中国大陸の地を踏んだ。北京での会談では、中国側通訳との間でいくつかの意見の相違や議論が起きたという。その中で重要な論点となったのが「deterrence(抑止)」の訳し方だった。
フリーマン氏は「台湾では『嚇阻』を用い、威嚇して阻止するという意味で、これが良い訳だと考えられている。一方、大陸では『威懾』を使い、より攻撃的で積極的なニュアンスを帯びる」と説明する。その後、中国軍事科学院が長年の議論を経て「懾阻」(恐喝と阻止)という折衷案を出したが、いまだあまり定着していない。
彼はまた、「翻訳者は政治的上司の意図に忠実であるべきだ」としつつも、「そもそもその『意図』が実際にどう働いているのかは常に疑問が残る」とも付け加えた。
謝罪をめぐる言語学
1970年代とは異なり、当時は米中双方に「合意を目指す善意」があったが、現在は信頼が薄れ緊張が高まっている。そのため危機時の「言葉」の役割はより複雑だとダンカン氏は指摘する。
『エコノミスト』地政学編集者デビッド・レニー氏は、2001年の南シナ海上空で起きた海南島沖EP-3偵察機事件を振り返った。中国軍戦闘機と米軍偵察機が接触し、中国人パイロットが死亡、米軍機は強制着陸して拘束された。当時、レニー氏ら記者は現地で2週間交渉を見守ったが、スウェーデン人外交官の友人が「この問題は最後は曖昧な翻訳で決着するだろう」と語ったという。
中国は米国に責任があると主張し、許可なしの着陸について謝罪を求めた。最終的に米側は「中国領空への侵入」「口頭許可なしの着陸」「パイロットの死亡」に関して「遺憾(sorry for the death of the pilot)」を表明する書簡を送った。レニー氏は「英語の ‘sorry’ は必ずしも加害を認める表現ではない。これは一種の曖昧な処理だった」と説明する。
彼は補足として、当時の中国は今ほど強大でも民族主義的でもなく、WTO加盟を最優先にしていたため妥協の余地があったと振り返る。一方、米国は就任直後のブッシュ政権下で、議会も共和党が掌握していた。現在は党派対立が激しく、メディア環境も敏感なため、同様の事件が起きれば解決ははるかに難しくなるだろう。
陳潔昊氏も、SNSやネットの発達で英語と中国語の両方を理解する人が増えた結果、翻訳をめぐる議論が拡散しやすくなっていると指摘する。例として2019年、NBAヒューストン・ロケッツのゼネラルマネジャーが香港支持を投稿した件を挙げた。NBAは英語声明で「中国ファンを怒らせたことは遺憾」と述べたが、中国語版では「経営陣の発言に深く失望した」と強い表現を用いた。この二枚舌は、かえって双方の不満を高める結果となった。
言語は政治そのもの
ダンカン氏は「中国を取材する記者の仕事の多くは行間を読むことだ」と語る。政府報告書である語彙が何回使われたか、どんな場面で使われたか、スローガンの文言がどう変わったか――それらが政策の微妙な変化を示す。
「中国では言葉そのものが強い政治性を持っている」とダンカン氏は強調する。
陳潔昊氏も「以前は紙の資料を読み込むのが基本だったが、いまは大統領がツイート数本で政策を発表する時代であり、それが中国側の対応にも影響を与えている」と述べた。
レニー氏は「こうした文化的ギャップこそ、米中貿易が膠着する理由の一つだ」と分析する。トランプ氏は「習近平氏と直接会えばすべて解決できる」と語るが、中国にとっては「一つひとつの句読点まで確定しない限り首脳会談はしない」という文化がある。自由度を重んじる米国と、正確さと厳密さを重視する中国の違いが、外交の根本的な摩擦になっているという。
問題は理解ではなく、根本的な相違にある
番組の最後、陳潔昊氏は問いかけた。「これらの言葉遊びは役に立つのか。それとも将来の関係をより難しくする兆しか」。
レニー氏は「言語は一種の権力ゲームだ」と答える。中国は「外国人が中国を理解できない」と繰り返し強調し、「あなたが私に同意しないのは理解していないからで、だからあなたが間違っていて私が正しい」という論法を取ることが多い。
ダンカン氏は「これまで言語の違いは、両国間にある本当の構造的問題を覆い隠す役割を果たしてきた」と指摘する。「米中の交渉者は『誤解があるから理解を深めよう』と言うが、それにとらわれてはいけない」とも述べる。
「言葉をめぐる細かなやりとりは、実際には『理解』こそが最大の問題ではないことを示している。双方はすでに互いを十分に理解しており、価値観や世界観において本当に根本的な相違が存在しているのだ」。