台湾出身で、現在は東京を拠点に活動する独立系シンガー・Ayun(アユン)さんにインタビュー。国楽団の出身でありながら、東京で音楽専門学校を卒業し、自身の創作活動を続けているAyunさん。彼女の歩んできた道のり、東京での生活、そして音楽に込めた思いを語ってもらった。
「もともと1年間の気晴らしのつもりだった」東京で音楽に出会ったきっかけ
「小学校と中学校では国楽団の部活に入っていて、高校では本当は音楽パフォーマンス系に進学したかったんですけど、姉が音大を目指して失敗したのを見て、家族にこれ以上の負担をかけたくなくて諦めました。」

その後、大学を卒業し就職するも「退屈だった」と語るAyunさん。妹がフランスに留学したことに刺激を受け、「自分も海外で生活してみたい」と思い立ち来日。最初は1年間語学学校で日本語を学び、帰国するつもりだったという。
「ちょうどその頃、SNSなどで音楽専門学校の広告を見て、オープンキャンパスに参加してみたんです。体験授業を受けたときに、“やっぱり私は歌いたい”って確信しました。」
25歳で新たな挑戦を決意し、音楽専門学校のボーカル科に入学。卒業後も研究生として1年間学び、東京を拠点に音楽活動を続けている。
光と影、孤独、心の移ろい——歌は世界と繋がるためのツール
Ayunさんの作品には、「光と影」や「孤独」といったテーマが繰り返し登場する。
「私はすごく内向的な性格で、感情の表現がうまくできないタイプです。心の中では波があるのに、言葉にできなくて……。だから、歌や創作は私にとって“世界と対話するための手段”なんです。」

ライブでロックを歌うときは力強く観客を圧倒する一方で、MCでは言葉に詰まることも多いという。「初対面でも、歌えば“これが私です”って自己紹介できるんです」と話す彼女にとって、音楽は心の奥底を開く鍵でもある。
「東京での活動」は偶然から始まった
「特別な理由があって東京を選んだわけではありません。音楽学校が東京にあって、そこから活動を始めたので自然と拠点になりました。」
東京は多様な文化と人が交差する場所であり、ライブハウス文化も根強い。「即興セッションやジャンルを超えた演奏に刺激をもらっています。台湾ではなかなか味わえない環境ですね。」
一方で、在留資格や生活の現実的な課題もある。「アーティスト一本で生活していくには、かなり厳しい現実があります」と語り、表現以外にも常に考えることが多い日々が続く。
「日本では珍しい存在」ではなく、「一人のインディーズアーティストとして」
「自分が“台湾から来たアーティスト”というアイデンティティを特別に意識しているわけではありません。東京で活動していても、私はあくまで一人のインディーズアーティストです。」 (関連記事: 「台湾語は心の音」──日本人シンガー真氣、歌で繋ぐ日台の絆 | 関連記事をもっと読む )
実際にAyunさんの楽曲は、ほとんどが英語か中国語で、日本語の曲は少ないという。「日本のアーティスト情報もあまり詳しくないんです(笑)。でも、今後は日本語の曲やコラボにも挑戦してみたいですね。」
