週末、台湾でかつてない規模の「大リコール」投票が行われる予定だ。その前に、民衆党の立法委員・黄国昌氏がフェイスブックに、収監中の前台北市長・柯文哲氏の投票通知書を掲載し、「これはいったい何の皮肉なのだろうか」と一言添えている。
この投稿はたちまち波紋を呼び、環境弁護士で元環境保護署副署長の詹順貴氏は「法学博士号があっても何の意味があるのか」と痛烈に批判した。黄氏の怒りは政府と制度に向けられ、詹氏の怒りは黄氏個人に向かっているが、いずれも「主要目的」のために、本来押さえておくべきポイントを見落としている。
収監者が投票できないという事実は、決して柯氏個人の皮肉にとどまらない。未決囚も含め、すべての拘禁者に関わる問題なのだ。
「通常なら」収監者は選挙権を持つ-台湾に欠けているのは「通常」
黄氏が矛先を向けるのは、証拠も不十分なまま長期勾留を続ける頼清徳政権だ。さらに民進党政権は「移行期正義」「人権尊重」を掲げ、監察院に国家人権委員会まで設置している。2022年に発表した「国家人権報告書」では「収監者の選挙権を認めないことは政府の怠慢であり、深刻な人権侵害だ」とまで書かれている。黄氏は「人権は結局スローガンに過ぎない」と皮肉る。
黄氏が強調する柯氏の不当勾留も深刻だが、拘禁者の選挙権については以前から人権団体や弁護士団体が問題提起してきた。権威主義が緩和された後、制度の是正を進めた人々と民進党は無関係ではないはずだ。
しかし権力の軌跡とは皮肉なものだ。権力獲得を目指す過程では「他者の権利」は武器になるが、権力を握った後は「個人の権力維持」が最優先となり、人権は表面的な飾りになりがちだ。初心を証明するはずの言葉が、結局は「何もしない怠慢」の証拠になってしまう。
収容者には大きく分けて二種類いる。判決が確定した「受刑者」と、まだ判決が出ていない被告や容疑者だ。無罪推定の原則により、彼らは違法行為が確定したわけではない。それでも国家機構は便宜のために収監し、権利を一律に奪う。だが台湾は「民主法治」を標榜し、2006年の刑法改正で「公権剥奪」の範囲は「公務員・公職候補」への道に限定され、選挙・リコール・住民投票・憲法改正への投票権は剥奪対象外となった。つまり受刑者ですら投票権を持てる。まして有罪判決を受けていない人なら、権利は本来減らされていないはずだ。だが、台湾に欠けているのはその「通常」である。
詹順貴氏が「法学博士号を持っていても何の役に立つのか」と切り捨てたのは、黄氏が実務に疎いと批判する意図だ。確かに投票通知は台北市選挙委員会が発送したもので、中央政府とは無関係だ。詹氏の指摘は一理ある。 (関連記事: 台湾、7月26日に史上初の大規模リコール 「大統領選並み」の厳戒態勢、選挙言論にも規制強化 | 関連記事をもっと読む )
しかし投票通知が届いても投票できない――それこそが本当の皮肉であり、台湾の国家機構が矛盾した状況を好んでつくり出し、「法だけでは不十分」という鉄則を示す一例なのだ。