東京・皇居のお堀の向かいには、第一生命ビルがある。このビルの6階には、1945年以来手が加えられていないオフィスが保存されており、まるで時間が止まったかのような空間となっている。ここは、ダグラス・マッカーサー将軍が日本を統治していた当時の執務室であり、日本の降伏後、彼が連合軍最高司令官として7年間この国を統治した拠点だった。
《日経アジア》:マッカーサーの遺産が80年後の今も日本に深く影響
『日経アジア』は27日、ダグラス・マッカーサー氏が戦後日本の政治体制や国民意識、安全保障のあり方に深く影響を与え、現在もその影が色濃く残っていると報じた。彼の改革は、民主主義や平和主義、繁栄の礎を築いたと評価される一方で、外部の強権者による憲法の押し付けと捉える声もあり、主権を奪われたという認識も根強い。いずれにせよ、占領政策とその制度設計が戦後日本の発展軌跡を決定づけたことは間違いない。
1945年8月30日、マッカーサー氏は象徴的なパイプをくわえて厚木基地に降り立ち、9月2日には東京湾の戦艦ミズーリ号で日本の降伏文書に署名。アメリカ軍による日本占領が始まった。『日経アジア』は、これが日本史上唯一の「完全な外国支配」であり、当時のマッカーサー氏の権威は天皇をも上回る存在として受け止められていたと指摘する。
彼は天皇を象徴として残しつつ、国家神道への政府支援を廃止し、戦犯を国際法廷で裁き、旧体制の官僚を一掃(のち多くが政界復帰)した。また、女性参政権の導入、財閥解体、土地改革による小作農への再分配などを通じて、共産主義への支持を抑えるとともに、民主国家への道筋を整えた。
1945年9月27日、マッカーサー氏と昭和天皇が初めて会談した際の様子。(写真/ウィキペディアパブリックドメイン)
マッカーサー氏の最も永続的な影響は、1947年に施行された日本国憲法にあるとされる。第9条により戦争放棄と戦力不保持が明記され、日本は事実上「平和国家」へと転換した。この憲法はこれまで一度も改正されておらず、その解釈は時代に応じて変化してきた。特に故・安倍晋三氏の主導による憲法論議は、日本の安全保障政策に大きな影響を与えた。
元米国家安全保障会議(NSC)アジア部門上級部長で日本専門家のマイケル・グリーン氏は、マッカーサー氏が二つの「遺産」を残したと語る。一つは新憲法の制定と象徴天皇制の維持によって社会の安定を実現し、日本の高度経済成長を後押ししたこと。もう一つは、アメリカが日本を「子ども扱い」したことによって、日米関係に長期的な影を落としたという点だ。
安倍晋三氏が示した同盟の転換点 日米安全保障条約は1952年に締結されたが、1960年の改定時には大規模な反対運動が全国に広がった。改定によってアメリカの防衛義務が明文化された一方で、日本国内では「米国の覇権の延長」との批判が巻き起こり、岸信介首相(安倍氏の祖父)は辞任に追い込まれた。
それ以降の数十年、日本はアメリカの核の傘に依存しつつも、徐々に独自外交の道を模索した。特に安倍政権下では、CPTPPやRCEPといった多国間経済連携への参加、日米豪印による安全保障対話(QUAD)への関与、欧州諸国とのFTA締結などを推進し、米国一辺倒からの脱却を図った。
白新田氏は「安倍氏は、アメリカへの依存が変質しつつあることを敏感に察知し、防衛・外交・経済の多極化を主導した」と指摘する。一方で、日本国憲法の未改正という現実は、マッカーサー占領下の影響が今もなお色濃く残ることを示している。政治論争の焦点は依然としてこの「戦後レガシー」にある。
トランプ氏再登場に日本は動揺 2015年夏、日本各地で安倍政権による安全保障関連法の成立に反対する市民デモが広がった。集団的自衛権の行使を可能にする法解釈の変更は、自衛隊の役割を大きく拡大させるものだった。あれから10年、日本は再び、安全保障のあり方を根底から問い直さざるを得ない状況に直面している。再登場したトランプ氏のアメリカに対し、日本は「取引優先で予測不能な相手」との不安を強めている。
日本政府は、アメリカの外交政策が依然としてアジア重視であり、中国の台頭を抑える意図に変わりはないと主張している。しかし、トランプ氏の各国への強硬姿勢や不意の行動により、専門家の間では「日本が攻撃を受けた際、本当にアメリカは支援してくれるのか」という根本的な疑念が広がっている。加えて、再び浮上した対日関税の脅しが、日本政府の対米信頼を大きく揺るがせた。
『日経アジア』は、かつてマッカーサー氏が日本を占領下で再構築したように、トランプ氏は東京に対して日米同盟の意味を再考させていると指摘する。ワシントンのシンクタンク「スティーセンター」で日本研究部門ディレクターを務める辰巳由紀氏は「日米同盟の基本構造は今後も変わらないだろう。とくに中国への対抗を掲げるアメリカにとって、日本との強固な連携はインド太平洋戦略の核心だ」と述べる。一方で、「トランプ政権下では、通商分野を中心に日米関係がアメリカ国内の政治に左右されやすくなる」とも分析し、慎重な楽観を示した。
マッカーサー氏の統治時代に使用されていたオフィスには、現在その銅像が設置されている。(写真/第一生命ビル公式サイトより)
一方、戦略コンサルティング会社「アジア・グループ」の白新田十久子氏は、日本が今後もアメリカの「無条件の支援」に期待できるのかに懐疑的だ。「トランプ氏は関税交渉を見ても明らかなように、実質的にルールメーカーであり、自己中心的な姿勢でパートナーの事情を考慮しない。経済分野だけでなく、安全保障においても信頼関係が揺らぐ可能性がある」と述べた。
白新田氏はさらに問いかける。「仮にロシアが北方領土に侵攻した場合、アメリカは即座に日本を支援し、奪還に動くのか?」「南方の離島で軍事衝突が起きたとき、トランプ氏は本当に日本と無条件で連携するのか?それとも、別の取引材料に使うのか?」と疑念を示す。
現在、オーストラリア・シドニーにある「アメリカ研究センター(U.S. Studies Centre)」でCEOを務めるマイケル・グリーン氏も、日米関係の現在の混迷を「トランプ氏の個人的な性格によるもの」と指摘。「冷戦終結以降、最も不安定な時期にあるかもしれない。1980年代のような構造的な貿易摩擦とは異なり、今回はトランプ氏の偏執的な態度に起因している」と分析した。
マッカーサー氏が使用していた統治時代のオフィス。(写真/第一生命ビル公式サイトより)
『日経アジア』は、日米関係の動揺が戦後かつてないレベルに達しているとしたうえで、その背景には、いまだにマッカーサーの占領統治が形作った制度が根を張っていると指摘する。マッカーサー司令部の廊下の奥には、埃をかぶった一室があり、そこでアメリカ人の一団がわずか1週間ほどで憲法草案を作り上げた。80年後、その憲法は日本の平和主義の基盤であり、国際社会における日本の立場、そしてアメリカとの微妙な同盟関係をいまもなお規定し続けている。